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児童労働と難民キャンプ

シヴァ神

児童労働

2月15日、スシル一家とともにたくさんのアトラクションのあるエリオットビーチに行きました。
着いたのは日暮れ直前、すぐ近くには車が止められないので、少し離れたところに車を置き、三輪オートでビーチに向かいます。

ここを訪れるのは三度目です。
ビーチにはたくさんの飲食店、土産物屋、遊具などがあり、家族連れでしっかり楽しめるようになっています。

ビーチには電源がないので、こんな遊具も自家発電機で動かします。
子どもの好きな遊具は万国共通です。

楽しく遊ぶスシルの子どもたちの横で気になったのは、子どもの喜びそうなおもちゃを売り歩く人の中に、小さな子どもたちが混ざっていることです。
この子などは明らかに小学生の年齢です。

この子たちもまだ学童年齢ですね。
昼間は学校に通っているのかとても気になります。

インドでは児童労働が大きな社会問題です。
貧困家庭の子どもは学校に通って教育を受けることができず、その結果大人になっても高収入の仕事に就くことができません。
そしてその子どもたちもまた・・・、という形で貧困は連鎖していきます。

この貧困の連鎖を断ち切るには、貧しい子どもたちに教育機会を与えることが大切です。
夜遅くまで働く子どもたちを目の前にして、そのことを強く感じます。

またインドに古くからあるカースト制度は世襲的職業差別です。
インドでIT産業が盛んなのは、ITという新しい職種はカースト外なので、誰でも実力がありさえすれば大金を手にすることができるという事情があります。

子どもたちと一緒にシューティングゲームや輪投げを楽しみました。

この輪投げ露店の女の子も子どもですね。
笑顔がないのはインドの店員の特徴ですが、この子はどんな思いで店番をしているのでしょう。

またこうしていろんなところを回っている間、たくさんの物乞いが手を伸ばしてきました。
そんな時、スシルやスシルの奥さんは子どもたちにコインを渡し、子どもを通してお金を物乞いに与えるようにしていました。

日本でもホームレスの人たちはたくさんいますが、物乞い、乞食と呼べるような人たちは長年目にしません。
こういった人たちとどのように接するべきなのか、正直戸惑ってしまいますが、インドでは豊かな者は貧しい者に施しをするというのが民族的考え方のようです。

難民キャンプ

スシルに以前連れて行ってもらった難民キャンプに、今回も連れて行ってもらうようお願いしました。

難民キャンプで暮らす人たちの生活は実に過酷で、少しでもお役に立ちたいという思いがあり、今回は渡印に際して長年懇意にしていただいている門本鍼灸院の門本先生から義援金をいただいたので、その全額を寄付させていただきました。

日本円で三万円、インドのお金で16,000ルピーで食料品等を購入し、難民キャンプに持っていきます。
準備はすべてスシルの関係するキリスト教の教会の人たちがしてくださいました。

支援物資は各家庭に配るために小分けしています。
下に積まれている黒い袋はお米、黄色い袋の中には豆や油、小麦粉、調味料や蚊取り線香などが入っています。
写真に写っているものがすべではありません。
トランクに入りきれないものは後部座席にも置いていて、かなりの量を買うことができました。

難民キャンプに行くと、みんな勢ぞろいして待っていてくれました。
その前に支援物資を並べます。
黄色い袋の上に見える赤いパッケージが蚊取り線香で、劣悪な環境ゆえ蚊が多いのです。

彼らの住まいはほとんどが簡単なテントです。
以前訪ねた場所は、彼らが働くごみ処理場の近くで悪臭漂うところでした。
けれどそこは近くに水溜があり、子どもたちにとって危険だということで現在の場所に移転したそうです。
どちらも未舗装路を辿っていく辺鄙なところです。

各家庭に支援物資を手渡します。
まるで立派なセレモニーのように多くの人が写真を撮ってくれました。

ここの難民の人たちは、アーンドラ・プラデーシュ、カンナダ、マハーラーシュトラといった他州から来た人たちで、みなそれぞれ州によって言葉が異なり、タミルナド州の言語であるタミル語を話すことができません。
そして子どもたちもみな学校に通うことができていません。

 

親子で暮らすテントハウスの中はモノが雑然と並んでいます。

ブロック積みの家の中に入らせてもらうと、中は猛烈な暑さです。
天井扇が回っていましたが、高さが低いので危うく顔をぶつけるところでした。
今の時期にこの暑さだと、気温が上昇するこれからの季節はどうなるのでしょう。

彼らと接すると胸が詰まって言葉が出ません。
自分に何ができるのだろう、そう問いながら難民キャンプを後にしました。