しなやかに生きる

咀嚼を意識するようになり、心と身体、そしてすべてのものに対する思いが変ってきたようで、日々新鮮な気持ちで過しています。

「咀嚼は運命を変える」に書いたように、最近シンクロが多発しています。
考えていたことがベストタイミングで目の前に現れ、街では知り合いとよく出くわし、また後になって、これは何かを示唆していたのではと感じることがよくあります。

過去にも何度かシンクロが多発した時期がありました。
けれどこの “後で何かを示唆していると感じる” という感覚は初めての経験です。
咀嚼によって意識レベルが深く低く、腸に向かって下がっていったので、それだけ気付きのレベルも深くなったのかもしれません。

確かにこれだけ心身の感覚が変ってきたのですから、どんなことが起こっても不思議ではありません。
またこれで周りの現象が変らなければ、それの方が不思議というものです。

今はただこの目に見えない流れに乗り、それを楽しむよう心がけています。

 

そしてこの流れにより深く寄り添っていきたいと思い、頭と心の整理を目指し、部屋の中の書類を整理することにしました。
日々一定のルールに則って片付けているつもりでも、細かい “チリ” は溜まっていくものです。

やっぱり片付けはいいですね。
心身ともにスッキリし、頭の中に描くものもより明確になってきます。
本当に大切なものに対して焦点が絞られるといった感じです。

片付けというと年末年始を思い浮かべますが、大きな節目、己の心身や身の回りに大きな変化を感じた時は、整理整頓、断捨離をするベストタイミンクです。

 

掃除をする時のBGMをと思い、YouTubeの画面にある動画を適当にクリックし、片付け始めました。
人それぞれかもしれませんが、自分は音楽がないとなかなか作業に集中できません。

今日聴いたのはチャイコフスキーのピアノコンチェルト一番です。
自分はクラシック音楽が最も好きで、その中でもピアノやヴァイオリンのコンチェルト(協奏曲)が最も心に響きます。

流れてきたピアノはカティア・ブニアティシヴィリ、なんともグラマスなピアニストで、よく「美人すぎる○○」という言葉がありますが、それに則るなら、彼女は間違いなくクラシック界一の「セクシーすぎるピアニスト」でしょう。
<カティア・ブニアティシヴィリ – Wikipedia>

彼女の演奏はこれまで何度も聴いたことがあり、その履歴からYouTubeのトップページに彼女の演奏が上がったのでしょう。

これまでの彼女の演奏はその容姿に違わず大胆でパワフルという印象がありました。
けれど今日耳にしたチャイコフスキーは少し様子が異なります。
これは最近録音されたもののようで、若い彼女も少しずつ年齢を重ね、身にまとう衣装もボディーラインを強調したものではなく色合いもシックで、音色もそれに応じています。

このピアノコンチェルトは超有名で、過去たくさんの演奏家のものを聴いていますが、彼女の演奏には彼女独自の魅力が感じられます。

音の印象を言葉で表現するのは難しいのですが、しなやか、みずみずしい、そんな心の深い部分に感じるものがあります。

これまでの彼女の魅力であったメリハリの利いた演奏、確かな技術に裏打ちされた速いパッセージにおける正確な指使いといったものも感じるのですが、それよりもやはり今回初めて感じたそのしなやかさ、みずみずしさといった印象が強く残ります。

それを感じた時に頭に浮んだが、メリハリ、力強さ、正確さといった表面的なものよりも、潤い、しなやかさ、みずみずしさといった内的な印象の方が、より上位概念ではないのかということです。

 

そしてもうひとつ感じ取ったのが、オーケストラとのアンサンブルの素晴らしさです。
内的に充実した演奏だからオーケストラとの心の交流が上手くいく、またその交流が上手くいっているからこそ内的に充実した演奏ができる、たぶんこの両方が真なのだと思います。

たしかにそう思って考えてみると、コンチェルトにおいて、心に深く響くソリストの演奏で、バックのオーケストラとのコンビネーションに違和感を覚えるものは聴いた記憶がありません。

逆に超越技巧を誇る超有名ソリストでもその技術的優秀さが表に出すぎた場合、バックのオーケストラが萎縮し、上手くアンサンブルできないことがあります。
あまりよくないと感じる具体例をあげるのは気が引けますが、ヴァイオリニストとして技術的に世界最高峰とも言えるヒラリー・ハーンのこの演奏は、彼女の技術があまりにも完璧すぎるため、オーケストラはそれに合わすのに必死で、意識の上で半テンポ遅れてついていっているように感じられます。

これはあくまでも個人の感想で、このコンチェルトに最高の魅力を感じる人もいるかもしれません。
また自分はヒラリーハーンはとても好きなヴァイオリニストで、このバッハのパルティータなどは彼女の演奏以外は聴きたくないと思わせるほどです。

彼女のクールで完璧な演奏はバッハとの相性が抜群です。

 

話をカティア・ブニアティシヴィリに戻しますが、チャイコフスキーのコンチェルトは、最後の第三楽章、怒濤のごとく盛り上がってラストに向かうところが最高に魅力的です。

その第三楽章で、ちょっとオーケストラがもたつくように感じるところがあるのですが、それを彼女が無言で導くようにクライマックスへと持っていく様は胸が熱くなり、YouTubeで音楽を聴いて久し振りに感動を覚えました。

ここ数年の彼女にどのような変化があったのか、何が彼女の演奏をより高みへと導いたのか、とても興味のあるところであり、これから将来に渡って彼女の演奏を聴き続けたいと思います。

 

今日は彼女の内面的により一層充実してきた演奏を聴き、心と身体、そして運気といったもの、それらの歩調を合わせ日々前に向かって進んでいくためには、自らがしなやかな生き方をしていかなければならないということ、これは真面目さや几帳面さよりも大切であるということに気付かされました。

音楽の世界はとてつもなく深いです。
そしてそれは世界のすべて、自分自身ともフラクタル(自己相似形)です。