大人のディープパープル

『三つ子の魂百まで』

三十年ほど前、最も親しくしていた知り合いがマツコ・デラックスのような毒舌のLGBTで、芸能、文化、芸術、そういったところには異常な執着を持つ人でした。
その人がよく言っていたのが、
「人間、性格は治ってもクセは治らないからね~」
ということです。

たしかに、人間の持つ本質的な部分はなかなか変えようがありません。
何十年ぶりに旧知の友と合い、その容貌の変化に驚いても、話していると人柄は相変わらずで、とても安心した気持ちになることがあります。

多くの人が自らの成長を願い、自己変革を志しますが、人間には変えられるところと変えられないところがあり、その変えられない部分を自分の持ち味として活かすことを考えるべきですね。

 

今年のインド滞在期間中は、よく暗い部屋で一人ベッドに横たわり、情熱的ヴァイオリニスト サラ・チャンの奏でるブルッフのヴァイオリンコンチェルトを聴きました。
そのことは「実り多き旅」にも書きました。

サラ・チャンの激しくも表現力豊かなヴァイオリンによって動かされる内面世界は喜怒哀楽といった感情の世界を超え、魂レベルの深いところに響いてきます。

インドで聴いていた音源は、第1楽章と第2楽章の途中まで、それと第3楽章、この二つに分けてアップロードされたものを音声だけにして合わせたもので、第2楽章の後半が抜けてしまった不完全なものでした。

それでもそれを慈しむように何度も聴いていましたが、日本に戻ってから、「実り多き旅」にも張っている三つのパートに分けて全体を網羅しているものを元に、楽曲全体がひとつになるように作り直しました。

三つのパートに分かれているものは、ご丁寧に少しずつ映像が重なるように切られていましたが、今頃の映像編集ソフトはその重なり部分をキレイにカットし、ほとんどまったく継ぎ目が分からないように結合することができます。
本当に便利になりました。

せっかくですので、その楽曲をひとつの流れで組み直したものをYouTubeにアップロードしました。
これは自分のようにこの演奏を素晴らしいと感じる人間にとっては貴重な文化遺産です。

俗な言葉で表現するならば、血湧き肉躍るとでもいうのでしょうか。
この演奏を今でもほぼ毎日のように聴いていますが、そのたびに精神のボルテージが上昇し、ドーパミンが放出されるような感覚を覚えます。
これは一種の肉体的快感です。

このサラ・チャンの生命力あふれる演奏に啓発され、バックのNHK交響楽団も実に生き生きとした素晴らしい音を奏でています。
ソリストとオーケストラ全体で大きなうねりを巻き起こしています。
さらには録音もとても素晴らしく、ヴァイオリンもオーケストラも実にいい響きの状態で録られています。

 

自分はこういった魂が躍動するような生々しい演奏が大好きです。
ピアニストは昔からマルタ・アルゲリッチが好きで、二人とも女性で実にアグレッシブ、情熱的な演奏をするという面で共通しています。

 

今はこういったクラッシック音楽を聴くことが主体ですが、若い頃からそうだったわけではありません。
大昔、音楽を本格的に聴き始めた高校生の頃はクラッシックなどはまったく興味がなく、聴くのはもつぱらハードロックでした。

当時音楽好きの仲間はフォーク派とロック派に分かれていて、フォーク派は吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、そういったところが人気で、ロック派、特に自分でエレキを弾く人間は、ディープパープルやレッドツェッペリン、キッスやエアロスミス、バットカンパニー、そしてクイーンといったようなバンドに人気がありました。

若い頃はエネルギーが有り余っていますから、ガンガンとハイテンションで弾きまくるハードロックはそのエネルギーを昇華さす効果的かつ魅力的方法です。

ハードロックの中でも特にカリスマ的人気だったのがディープパープル、リードギターのリッチーブラックモアの速弾きにはしびれました。
エレキをやっている誰もが憧れ、目指したものです。

 

サラ・チャンに話が戻りますが、彼女のブルッフの演奏があまりに素晴らしいので、ネットでそれについての感想をいろいろと検索してみました。
その中である楽団員の方が同じブルッフの曲を演奏するにあたり彼女の演奏を参考にし、その演奏を「まさにやりたい放題」と評しているのを目にして思わず笑ってしまいました。

自分もその意見に100%同意します。
それだけ自由自在に豊かな内的エネルギーを外に向けて完全に放出できるということが彼女の魅力でしょう。
またそれは内的な面だけではなく、外的、肉体的なものもあると感じます。
彼女の奏でる豊かな音は、その豊満な肉体があればこそです。

 

その激しくも生命力あふれるサラ・チャンの演奏を聴いていて、ふとこれは若い頃に聴いていたディープパープルの音に通じるということに気がつきました。

どちらも激しいエネルギーの発露ということではまったく変わることがありません。
自分も大昔ハードロックを聴いていた頃から随分大人になって、聴く音楽も落ち着いたものになったと勝手に解釈していましたが、その内面的なものはずっと変わらず持ち続けていたんだということに、今頃になってようやく気がつきました。

自分にとってサラ・チャンは「大人のディープパープル」です。
やっぱり“クセ”は変わらないものですね。

 

そこでさらに思ったのは、時が流れて聴く音楽雀目は変わっても根底が共通しているということとともに、なぜか演奏者は昔は男性、今は女性が主体となっているということです。

サラ・チャン、アルゲリッチ、クラッシック演奏家もポピュラージャンルでも、今は好んで聴く演奏家のほとんどは女性です。
対して昔聴いていたハードロックはほぼすべで男性です。
なぜここがまったく変わってしまったのでしょう。

これは想像ですが、女性と男性は陰と陽との関係です。
女性が根本をしっかりと見つめる力に長けているのに対し、男性はそれを応用、発展させるのが得意です。

ですからハードロックのようにエレキ楽器を使い、生音を電気仕掛けで加工、増幅させるジャンルは、男性の持つ器用さ、応用力がその内的パワーを賦活させ、生音を奏でるクラシックは、演奏者の素のままの姿を表出させるため、根底に大きな生命力を持った女性の方がよりエネルギッシュになれるのではないかと考えられます。

 

最近は演奏を聴くばかりではなく、また自分も楽器を持って演奏してみたいという思いが高まってきました。

演奏してみたい楽器はいろいろありますが、昔取った杵柄で、エレキをもう一度弾いてみたいですね。
これは女性性あふれるクラッシックの演奏に刺激され、自分の持つ男性性を表に出してバランスを取りたいという思いの表れかもしれません。

自分は生命力あふれるものが大好きです。
この自分の持つ“クセ”、長所を活かし、エネルギッシュな人生を歩んでいきたいです。