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マルハラ

マルハラ

マルハラとはマルハラスメント。
主に若い世代の人たちが、SNS等で言葉や文章の最後にマル(句点)があると、それを威圧的と感じてハラスメントになるのだそうです。

「マルハラ」とは、LINEなどのチャットで句点「。」を語尾につけると威圧感を与えてしまうことを意味する造語です。

なぜ文末、語尾にマルを付けてはいけないのか?
初めて聞いた時にはまったくちんぷんかんぷんで理解不能でした。

言葉はごく短期間で変化すると言われます。
特に今は時代の流れが急速なので、世代間で言語感覚に違いが生じることは理解できます。
けれど文末のマルは日本語表現のごく基本的ルールだと思いますが・・・。

 

数十年前に若者世代として過ごした自分にはマルハラは理解しがたいものですが、よく考えてみると、若い世代がそういった感覚を持つ根本原因はなんとなく分かる気がします。

日本語は数多い世界の言語の中でも際立った特徴を持っています。
主語なしで文章が作れ、幼児期に日本語環境で育った人は、花鳥風月、自然の音を雑音としてではなく、言語脳である左脳で処理することができます。
これはこれからの融和・融合の時代、日本が世界の盟主となる新たな時代に於いて、日本語で育った日本人の自然観、倫理観が尊ばれるようになることを示唆しているように感じます。

それを導く大きな要因のひとつが日本語の音声、その重点音域が、世界の言語の中で最も低音域にあるということではないかと考えます。
そしてそれは“あ・い・う・え・お”という母音を明瞭に発音することにあります。
ですから日本人は逆に高音域にある子音、例えば英語のRとL、VとFなどといった音を聞き分けることが苦手です。

ではなぜ日本語がその重点音域を低音に置くのかというと、答えは簡単、低音域を司る人体中心軸の下端である肚(はら)、丹田に力が漲り充実していたからに他なりません。

人体は中心軸の下端である肛門、尾てい骨から、上端の頭、頭頂部に至るまで、それぞれ部位が低音から高音に向かって下から上へと対応する箇所が推移します。
具体的には、武道で肚の底から縛り出すような「押忍」という低音はお腹全体に響き、女性の金切り音である「キャーッ」という叫び声は頭頂部を震わせます。

チャクラ 

日本人は元来農耕民族であって強靱な足腰を持ち、下半身の力が充実し、それゆえに下半身主体の低音豊かな日本語が生まれたものと考えられます。

この発声音は聴覚にも影響を与え、聴覚を測ることによってその人の特徴を知ることができます。
末端尾てい骨に響く低音から頭頂部に対応する高音まで、様々な周波数の音の聴力特性を左右の耳、鼓膜を通した気道聴覚と骨を揺さぶる骨導聴覚とで計測することにより、その人の肉体特性のみならず性格特性までをも知ることができるのです。

この聴覚特性から心身の様々な課題の解決に取り組んでるのがトマティスメソッドです。

トマティスメソッド

英会話学習では、ヒアリングとスピーキングは密接に結びついていると言われ、
『聴き取れない音は話すことができない』
とされています。
これは脳と聴感覚との特性を理解すれば納得できます。

 

強靱な足腰を持ち、素晴らしい日本語文化を創ってきた日本人の身体が、今は近代化のよって急速に崩れつつあります。
生命のない食事、安逸な生活環境によってこれまでの身体文化が失われ、体格は大きくなったものの、ひ弱で体力のない日本人へと変貌を遂げました。

人体の太極図

弱体化した下半身、足腰によって、脳と腸との連携がうまく取れず深い思考ができなくなりました。
言語面でいうと、低音を司る下半身に力がないのですから、主に低音域にある母音を明瞭に発音することができません。
母音とは音(おん)の最後にくるものであり、また人体の末端である尻、肛門に力が入らないのですから、言葉尻が不明瞭になるのは当然です。

「あの~、どっちかって言うと~」
「あたしって~、ちょっと○○みたいな〜感じ~」

とこんなダラダラとした締まりのない言葉遣いになってしまいます。
また何事にも“かわいい”とか“やばい”といった言葉で表現してしまうのも、曖昧さ不明瞭さが色濃く表われる現代人の日本語の特徴です。

こんな言語環境下にあるのですから、語尾、文末をマルでビシッと締めることに不安感を憶えるのは必然だとも言えるでしょう。

 

 

マルハラの問題は、日本の言語文化、身体文化が崩壊しつつあることが根本原因です。

すべての文化は連動し、深い相関関係を持っています。
日本の食文化、生活文化、身体文化、そして精神文化、それらが失われつつあるひとつの現れがマルハラであり、この現象からこれからの日本のあり方を考え直さなければなりません。

2024年、2025年、人類はいよいよ大きなターニングポイントを迎えています。
これを乗り越え、新たな地球文明を創っていくには、日本が本来の力を取り戻すこと、旧来の日本文化を見つめ直すことが必須だと考えます。

そのためにはまずは目に見えるところから、肚、丹田を鍛えること、そこが極めて大切な第一段階だと考えます。