味わい尽くす

ジャックフルーツの種

ここ熱帯の南インドは果物の宝庫です。
種類が多いだけではなく、やはり採れたての果物は新鮮な味と香りに満ち、食べて体が喜ぶのがハッキリと感じられます。

実りの時を待つマンゴーとパパイヤたち。

マンゴー パパイヤ

マンゴーとパパイヤの甘みは上品で、日本の果物でいうと白桃に相当するでしょうか。
最近は日本のスーパーでも買うことができますが、ものすごく高価ですね。
インドでその値段を言うと、いつもみんなものすごく驚きます。

昨日と今日はジャックフルーツを食べました。
ジャックフルーツはとても大きな果物なので、日本のスーパーや果物屋さんに並ぶことはほとんどありません。

これは七年前に撮った写真です。
大きさは人間の頭以上で、初めて見た時はビックリです。
木になる果物としては世界最大だそうです。

ジャックフルーツ

この中に、ブドウを二回りぐらい大きくしたような実が百個近く、もしくはそれ以上入っています。

ジャックフルーツ

ジャックフルーツの外側は硬い表皮に覆われていますが、中の実は弾力があってとても柔らかで、甘味があってジューシーです。

これは今日の午後のおやつにいただいたプレートです。

ジャックフルーツ

オレンジ色のジャックフルーツに、手前に転がっているのはその種です。
なんとジャックフルーツは、その柔らかな実だけではなく、中の種も食べることができるのです。

種を食べると言っても、硬い種をそのまま食べることはできません。
種をお湯に入れ、マサラという香辛料や塩とともにゆがいて柔らかくし、少しの味を染み込ませます。

湯がいた種は表面の硬い薄皮を剥き、中の白い部分をいただきます。

ジャックフルーツの種

これは今まで食べたことのない新鮮な味わいです。
食感は栗のようにほっこりした感じで、とても柔らです。
味は想像していたものとまったく異なり、カモンベールチーズのような味わいで、それを少し淡白にした感じです。

実も種も、ジャックフルーツは中身すべてを味わうことができます。

 

味わう、味わい尽くす・・・。

 

文明法則史学と出合って31年、この間生命とは何かを追い求め、その真理を知れば知るほでその精妙かつシンプルな仕組みに驚くばかりです。

人間だけではなく、この時空の森羅万象を律している生命の法則は完璧なまでに美しく、それを感じて得た結論は、その森羅万象こそが、人類が神と呼ぶ存在そのものであるということです。

だからこそエブリシンググレートです。

 

ここでひとつの疑問があります。
それはなぜそれほどまでに偉大で完璧な生命システムを有し、神そのものの存在である人間が、卑近なことで争い、騙し合い、そのシステムとは天と地ほどの差がある低次元のことで悩み、苦しむのかということです。

この問いに対して整合性のある解はただひとつです。
完璧であれば感じ取ることのできない葛藤を、意図的に不完全な状態を創り出すことによって、それを感じ、味わいたいと自らが志しているということです。
つまり人生はシュミレーションゲームのようなものだということです。

ですから人生の目的は学び、成長することではなく、その過程を味わい、楽しむことです。

本来完璧な存在である人間が、学ぶべきものなど何ひとつありません。
ただそれでは面白くないので、わざと不完全な存在に自らを置いているということです。

 

この考え方を初めて聞いた方はすぐには納得はできないかも知れませんが、これを究極とすることで、多くのことの辻褄が合うのは事実です。

 

何事も経験したい、味わいたい、そう望んで自らすべての物事を引き寄せているのですから、その真の自分の願いに反し、それを避けていればいつまで経ってもゲームは終わりません。

もしいち早くそのゲームを終わらせたいのなら、その局面にどっぷりと身を置き、それを味わい尽くすことです。

それを感じ尽くし、味わい尽くしたのならその局面の役割は終了し、新たなステージへと進むことができます。

『嫌なことを避けてはいけない』『苦労は買ってでもしろ』

人生で様々なことを感じ、味わうのは、物事が順調にいってる時ばかりではなく、逆に苦しい時の方が多くのことが味わえます。

そこから目を逸らさない、逃げないということ。

それはその逆境に果敢に立ち向かえということではなく、ただすべての方向からそれを見つめるということです。

 

武漢肺炎という外部から押し寄せてきた課題は、自分一人ではどうすることもできないと思うかもしれません。
けれど自らがエブリシンググレートである人間は、その自分を変えることで、そのフラクタルである世界を変えることができます。

武漢肺炎によって仕事を奪われた、廃業に追い込まれた、大事な行事が中止になった、自らが感染した、あるいは大切な人を亡くした、みな様々な困難に見舞われていることと思います。

その困難をなんとか克服したい、この窮地から脱したい、それは誰もが真剣に考えるでしょう。
けれどそれだけではなく、この武漢肺炎によって得たものは何なのか、そこに目を向けることが大切です。

外出を控えることによって家族との団欒が増えた、食料品やトイレットペーパーの買い占めによって、それら日用品の有り難さが分かった。
今は桜が満開です。
そこで花見ができないことによって、みんなで集い語らうことがいかに有難いことなのか、それを身に染みて感じているのではないでしょうか。

 

それだけではなくすべて、創造主である自分が何を望み、ここから何を感じ取りたいと願って今の現実を創造したのか、それをありとあらゆる方面から感じ、徹底的に味わい尽くしてください。

それが極限まで行き、もう味わうことは残されていないというところまで行ったなら、今の局面は終了し、新たなステージへと移るでしょう。

これは必ずそうなります。

なぜならば、これがエブリシンググレートである自分自身が創り出したルールだからです。