2019年を振り返る

いただいたハガキ絵

今日はクリスマス、今年も残すところあと一週間を切りました。
年末年始は一年の大きな節目であり、この機会に自らの覚え書きといういう思いを込め、この一年で感じ取ったいくつかのことを記します。

 

今年も三月からの一ヶ月間、南インドタミルナド州に行き、可愛いたくさんの子どもたちと接することができました。
そのことはこのホームページでも詳しく書いていますが、その中で最も深く心を打たれたのは、HIVに感染した子どもたちの笑顔です。

HIVに感染した子どもたちの感染源は100%親からのものです。
その親もまたHIV陽性のため、両親がいなかったり片親であったり、また親がいても病床に伏して働くことができなかったりと、過酷な環境の中で暮らしています。

それにも関わらずあの笑顔・・・、今もあの時の子どもたちのいたいけない表情を思い出すだけで涙がこぼれます。
そんな子どもたち、またHIVではなくても貧困がゆえに学校に通うことができず、その貧困の連鎖から逃れることのできない子どもたちをなんとか助けたい、これは理屈を越えた魂の響きです。

その子どもたちを救うため、貧困家庭に乳牛を一頭贈り、そこから採れる牛乳の収益でインドの義務教育期間である十年の間一人の子どもに学校に通ってもらうという取り組みを、今後積極的に進めていきたいと考えています。

先日、自分と支援してくださる方とで二頭分の義援金をインドに送り、まずはちいさな一歩を踏み出しました。

 

インドの旅を終えて半年以上経ち、今回の旅はとても有意義なものだったとあらためて実感しています。

そして思うのがその前後の流れです。
今回はインドに行く前からとても順調に事が運び、その順調さのままインドでの充実した日々が過せました。

今回に限らずこれまでの旅を振り返ってみて、やはりそれぞれの旅にそれぞれの流れがあったように感じます。
その流れが感じられるのは、自分にとってインドの旅は天命に直結した意義深いものであるから、そして日々自然体で生きているその証を示してくれているのだと思います。

年齢を重ねるにつれ、時とは粘性のある有機体のような感触を持つものだと感じるようになりました。
出会い、出合い、すべては必然であり、“今この瞬間”の連なりである時の流れにもひとつの必然の形があるのでしょう。

今もインドの旅前後のいい流れは続いていて、今年は学び多き一年でした。

 

これもたびたび書いてきたことですが、今年の大きな収穫のひとつがしっかりと食べ物を咀嚼する習慣が身についたことです。

咀嚼の大切さは多くの人の知るところですが、なかなか簡単に実践できるものではありません。
自分はこの7月に杉本錬堂氏の動画を観たことがキッカケで実践できるようになりました。

それができたのは、この動画がたまっていた思いの最後の一押しをしてくれたからなのだと感じます。
水がいっぱい入ったコップにコインを一枚ずつ入れ、表面張力で保っていた水面が最後の一枚を入れることで一気にあふれる、あの感じです。

自分にとってあの頃はひとつの臨界期だったようです。
ですから大切なのは、当たり前ですが、何事もその臨界期を迎えるまで日々少しずつ実践、思考、習慣を積み重ねること、これに尽きます。
(咀嚼の効能 ・・・ 「精神と肉体」をご参照ください)

咀嚼を徹底しだした頃の心と体の変化はとても大きなものでしたが、今はそれが当たり前になり、その感覚を大好きなオーディオ的表現で言うと、SN比が上がった、ヒスノイズが減ったといった感じです。

SN比とは信号に対する雑音の割合、つまり雑音、雑念が減ったということ。
そしてヒスノイズとは高音域の雑音で、人体は中心軸沿いに下が低音、上が高音に共鳴し、咀嚼で重心が下がり、上体のふらつきがなくなった分だけ上の方のブレ、迷い、雑音がなくなったように感じられます。

 

最近それにひもトレを加え、体調がとてもよくなり、ここ三週間ぐらいは睡眠時間が確実に一時間は減りました。
今はまだその体の変化に心が戸惑っている状態ですが、この変化を魂の声であると聞き、これを活かしていくことがこれからの課題です。

さらに書かせていただくならば、自分は人一倍体が敏感で、健康にいいものを口にしたり実践すると、即座に反応が現れます。
しかもなぜか理由は分かりませんが、その反応が徐々にではなく、始めてすぐに過剰ともいえる大きな変化が出てくることが何度もありました。

速聴を初めて聴いた夜は頭が異常に冴えて夜中一睡もできず、パタカラをくわえた直後は背筋にまるで板バネでも入っているかのように反り返り、電車の中で座っていても、背中を背もたれに当てることができないほどでした。

今回のひもトレ効果もその最初の過剰反応の一種かとも思いますが、三週間というこんなに長期間反応が大きく現れたのは初めてです。
しかもほとんど当初の感覚でひもを一本たすき掛けしているだけで、得意の研究心でもって長さ、色、素材などの探究はしていません。

このひもトレは、自分の中では咀嚼から続くひとつ流れだと捉えています。
これは今後極めていきます。

 

最近Apple Pencilを活用し始めたのも、今年の大きな変化のひとつです。

Apple Pencil

Apple Pencilで手書きされる文字はアナログですが、そのデータ自体はデジタルです。
最新のデジタル技術がアナログの利便性、可能性を広げてくれています。

これまで身近なデジタルデバイスは、家ではデスクトップパソコン、外ではノートパソコン、iPad、そしてガラケー、音声を聴くためのiPodでした。
これが来年年明けから、ガラケー、iPodを手放してスマホに統合し、メールやSNSを通した連絡、予定の確認等、家と外出先での連携がシームレスになるだろうと大いに期待しています。

このデジタル機器を十分使いこなすには、自分の中でそれらを使っていかにアナログの部分を増やしていくのか、共存さすのか、これにかかっていると感じています。

最近被災者であるOさんと、頻繁にハガキのやり取りをさせてもらうのがとても楽しみです。

いただいたハガキ絵

これまでもハガキや手紙はよく書く方でしたが、一人の方と数日おきにやり取りをするというのは初めてのことで、あまりにも頻度が高いので、決まり切った挨拶を書くことができず、毎回何を書こうか、自分の中で今何を感じているのか、それを探るのがとても楽みです。

メールは何度でも書き直しができますが、ペンを使って書くハガキは基本書き直しができません。
だからこそ真剣勝負、これは相手に対してであり、また自分に対してです。

理数系に長けた自分にとって、自らの天命を全うするため、最新のデジタル機器を使いこなすのは必須だと考えています。
そしてそのためにも、その対極にあるアナログ世界をより広げ、太極のバランスを取らなければならないと心の内が求めています。

来年はたくさんの文字を、Apple Pencilを含め様々な方法で手書きしていきたいと思い、テキストを買ってペン習字を練習する予定です。

デジタル化を進めるとともに、このアナログの世界に心躍ります。