廃棄食材から日本を考える

楽しそうに食事をする家族

日本のビジネス社会では割と気軽に名刺交換をしますが、自分は今後お付き合いする可能性があると感じる人以外、なるべく名刺はお渡ししないようにしています。
何事も社交辞令というのが苦手です。

それでも刺は自己紹介の大切なツールと考え、表裏両面使ってたくさんのメッセージを載せています。
名前、住所、電話番号、連絡先以外にも、プロフィールや人生目標、所属している会、ホームページアドレス、そのQRコード等です。

そのプロフィールの中にモットーとして書いているのが
「食べ物に感謝して残さずいただく」
ということです。

ここ数ヶ月前からそれに加え、
「しっかりと咀嚼する」
という言葉も書き加えました。

これはそうしなければいけないという自分にプレッシャーを与える意味でもあり、また感謝していただくからこそ、その感謝の思いの表れとして食べ物は何度も口の中で咀嚼するということで、目指すものは同じことです。

目に見えない心と目に見える形は二つでひとつです。
華道、茶道、武道、道と呼ばれる世界、礼儀作法、・・・形を整えることによってそこに込められた心を律します。

つまり食べ物を残さずいただくこととよく咀嚼することは、ともに食べ物に対する感謝の表れなのです。

 

今日は、学校給食で余った廃棄食材を家に持ち帰った教師が罰せられたというニュースを目にし、心が痛みました。

余った給食4年間持ち帰る 堺の高校教諭「もったいない」

堺市教育委員会は25日、4年間にわたって余った給食のパンと牛乳を持ち帰ったとして、市立堺高の男性教諭(62)を減給3カ月(10分の1)の懲戒処分にした。教諭は同日付で退職した。「廃棄するのがもったいないと思った」と話しているという。

市教委によると、男性教諭は2015年から夜間定時制で給食指導を担当、生徒が欠席するなどして出た給食の余りを引き取っていた。今年6月に匿名の通報があり発覚。持ち帰った給食はパン約千個、牛乳約4200本で、総額は約31万円に上った。教諭は全額を市教委に返還した。

 

このニュースに対して、芸能界から何人かの方が「これの何か悪いの?」という反論の声が上がっています。

処罰された教師は夜間定時制で給食担当をしていて、業者に頼んで時折パンや紙パックの牛乳をまとめて持ち帰り、家族で飲食していたとのこと。
そしてその責任を取り、代金を返還するとともに依願退職されたというのは実に悲しいことです。

自分がもしその教師と同じ立場で、日々大量の飲食可能な食材が廃棄される場を目の前にしたら、きっと同じ行動をしていただろうと思います。
いや思うのではなく、必ずそうしていたでしょう。

実際に自分は食べ物を残さないということを徹底していて、それを知る知人たちと食事に行くと、必ず目の前にその人たちが食べきれない料理が乗った食器が回ってきて、自分は多少無理をしてもそれを食べきるようにしています。

 

ですから、堺市教育委員会がこの教師がとった行動に対し「学校教育の信用を著しく失墜させた」と発言したことには、まったく同意することができません。

けれど、だからといって、この教師を処罰したことに対して間違いだと言い切れないのが、この問題の難しいところです。

 

現在の日本の管理社会において、最も尊ばれるのは創造性の発揮や発展性ではなく、リスクをいかになくすかというこの一点です。

特に今はクレーマーと呼ばれる人たちが多く、そのごく一部のクレームを付けられる危険性を回避するため、より大多数の人間の広く浅い利益につながるものは阻害される傾向にあります。

組織を管理し、責任を問われる立場にいる人間にとって、今回のことで最も恐れるのは食中毒の発生、それと廃棄食材を持ち帰った人間だけが利益を得ていることに対するクレームでしょう。

リスクを回避しクレームが起きないようにする得策は、それが起きる可能性があるものをすべて禁止することです。

今は街の多くのが学校や幼稚園で、近隣住民の迷惑になるからと、大きな音を立てる運動会の練習ができないと聞きました。
また昔は自由に遊ぶことができた多くの公園で、今はボール遊びが禁止になっています。

公園での禁止事項

こういった規則に縛られた不自由な社会を作ったのは、その規則を定めた管理者ではなく、権利意識の増大した自分たち一人一人、日本人全員によるものです。

 

本来望むべきは寛容な姿勢と、その場その人に応じた臨機応変な対応です。
けれどそのためには、対応する人間に大きな力量が求められ、社会の構成員全員にそれを望むことは不可能です。

なので次善の策として、まずはクレームをなくし、百点満点の対応はできなくても誰にでも80点ぐらいの満足が与えられるマニュアル化した行動が求められ、事実今の日本の社会の多くがそうなっています。

 

そしてそんな社会を打破したいと望むのであれば、まずはその問題点を提起することです。
その意味では、今回の廃棄食材の問題がニュースになったのはいいことだと感じます。

最近資産一千億の某社長の金満生活ぶりがよくニュースサイトを賑わします。
ああいったリッチな人に「今回返還した食材費は自分が肩代わりします」、「依願退職したのなら、自分が新たな職場を提供します」なとどぶちまけてくれたなら、また話題になっていいのになと思います。

本当は自分がそういたいですが・・・。

 

今回のことは、今の日本社会が抱える課題の一端をかいま見させてくれたものだと感じます。

日本が、世界が変革の時を迎えようとしている今、すべてが事なかれ主義、責任回避に向かっていては明るい未来は拓けてきません。

百点満点の対応に個人の力量が求められるように、まずは自分自身を磨いていくこと、そしてそれを回りに伝搬していくことが、ひいては社会全体を変えていく最善の道であると信じます。

自分はその一歩が、自らがモットーとしている与えられた食べ物に感謝し、しっかり咀嚼して残さずいただくことです。
もし今回の処罰を下した堺市教育委員会の方たちが、自分と同じようにこれを徹底して実践していたならば、もしかして通常の判断を越え、また違った結論を導いていたのではないかという思いがあります。

 

自分を変えることはできても、他人を変えることはできません。
もし他人を変え、社会を望ましい方向へと導きたいのであれば、まずは自らが変り、行動を実践していくしかありません。

今回のニュースに接し、自らのモットーをより徹底的に実践し、その喜びが自然と回りの人たちに伝わるよう努力していきたいと感じました。

楽しそうに食事をする家族