選択の科学

「広告の心理学」「楽しく伝える」と伝え方のことを書いて、もうひとつ大切なのが、相手に対してどのような選択肢を与えるかということです。

ものを売る相手、情報を伝える相手に対し、ついよかれと思って選択肢をたくさん用意することがありますが、それは必ずしも相手にとってプラスになるとは限りません。

そんな選択に対する心理を詳しく説いたのが、スタンフォード大学のジーナ・アイエンガーが書いた「選択の科学」です。

彼女の行ったジャムの実験はあまりにも有名です。
ジャムの試食コーナーで、24種類のジャムを置いた場合と6種類のジャムを置いた場合、どちらがよく売れるかを観察してみました。

まずそのコーナーに来て実際に試食する人は、24種類のジャムを並べると60%、6種類のジャムだと40%、種類が多い方が試食する人の率は高まります。

けれどそれを実際に買うかどうかというと、24種類のジャムの場合は試食に来た人のわずか3%、6種類のジャムの場合はその十倍の30%の人が購入したそうです。

これをもって選択肢は少ない方がいいと一概に結論づけることはできませんが、数多い選択肢は迷いと「もっと他にいいものがあったかも」という後悔を生じさせやすいということはあるでしょう。

 

今はネットがありスマホがあり電子ゲーム機があり、どんなすごい情報にでも瞬時にアクセスできる素晴らしい時代ですが、自分が子どもの頃は外で遊ぶ以外はせいぜい白黒テレビかトランプ、メンコ、ゲーム盤ぐらいしかなく、今とは比べものにならないほど質素な環境でも、それで十分幸せであり、「今の時代に生まれてきていたら・・・」と思ったことは1ミリもありません。

幸せ、満足というのは相対的な価値観が多くを占め、たとえ現在持っているものや条件が恵まれていようとも、「隣の芝生は青い」と感じた時点で大きく幸福度は下がってしまいます。
また逆に貧しい環境であったとしても、回りがみんなそうであり、その中で懸命に生きていればなんとなく幸せを感じるものです。

選択肢の多さは必ずしも幸福度や満足感とは一致しません。

 

食事のメニューは極めて多様でも、それがよく知った料理だとメニュー表にたくさん並んでいても困ることはありません。
けれど外国に行って知らない料理が外国語でズラズラと並んでいると戸惑うばかりです。

ジャムの原料はたぶんなじみのある食材が多いと思います。
それでもそれらがジャムになるとどんな味か想像できないものも多く、かつそれらすべてを試食することができなければ、やはり選択した後に「ベストの選択をした」という思いを持つことは難しいでしょう。

 

こういったことは言われてみれば「なるほど」なのですが、なかなか売り手、発信者の方からは気づけないものです。
それを言われなくても相手の立場に立って気づける人が「賢い人」です。

その賢い人になるため、近づくためには、現場を見る、現場の声を聞くことが一番です。
立場が違えば目線が異なり、ものの見方が異なって当然です。

見方と言えば何十年か前、関口宏が司会をする「クイズ100人に聞きました」という番組がありました。
その中で「身長180センチ以上の人100人に聞いた一番得すること」というのがあり、自分もその中に入るものの、そこで出た一番の答えはまったく感じたことがなく、とても驚かされたことがあります。

その最も多かった一番の答えとは、「満員電車で息苦しさを感じない」というものでした。
それまで満員電車で窮屈さは感じても、たしかにほとんど息苦しいと感じたことはありませんでした。
他の人よりも口の位置が高いのですから、有り難いことにバッティングしないのです。

けれど背の低い人や回りと同じぐらいの背丈の人だと他人の息が直接当たって苦しいでしょうね。
まったく気がつきませんでした。
そして他の背の高い人はそのことを意識していたのですね、自らの愚かさを知りました。

 

「キャッチコピー力の基本」にも、やはり選択肢に関することが載っています。

ひとつはコピーは短く言い切るということ。

「言い切る」型の分類

これはちょっと選択肢と言うには苦しいかもしれません。
けれど「シンプル  イズ ベスト」ということです。

それと「二者択一で迫る」というのがあります。
「あなたは蕎麦派?うどん派?」
みたいなのです。

牛丼の吉野家の「美味い 安い 早い」というのも短いので心に残ります。
この本では老舗のうなぎ屋さんが舞台なので、「うまい 高い ちょっと遅い」だそうです。

「沈黙は金」「雄弁は銀」こんな対句法もあり、コピーが短くシンプルなものが心に響くのならば、選択肢も同様に「いいものを数少なく」というのがパンチがあって相手の決断を導きやすいとも言えます。

 

伝えることに限らずですが、何事も自ら体験してみることが大切です。
パソコンを使って案内文や動画を編集したことがあると、ちょっとしたフォントの使い方、行間の取り方、タイミング、・・・細かいところで気を使うべき箇所は山ほどあります。
そして一度そういう作業を体験すると、他の人が作ったもののちょっとした工夫がとてもよく目に付き参考になるのです。

これはその作業を実体験した人にしか分かりません。
ですから何事も下手でもいいから一度体験してみるといいのです。

公衆トイレ掃除でそのことをよく言います。
「続けて来なくていいから一度だけでも体験してみてください」と。

 

取り留めもない文章になりました。
人間誰しも相手の立場に立つというのは難しいこと、だからこそ伝え方を学ぶというのは大切です。

今はスピリチュアルな世界で「すべてはひとつ」「ワンネス」などと言いますが、伝え方を学ぶプロセスは、そのひとつの道なのかもしれません。