生き様を感じる

福本清三

毎日テレビ代わりにYouTubeを見ていると、その上手いアルゴリズムに誘われて、ついつい関連する興味ある動画を見てしまいます。
本当は娯楽系のものにどっぷりとはまる余裕はないのですが、やっぱり映像というのは魅力があります。

YouTubeの無数のコンテンツの中には、邦画の名シーンを切り取ったダイジェスト版が多くあり、つい先日まで渥美清が寅さんを演じる「男はつらいよ」にはまりまくっていました。
今はそこから卒業すべく、画面に現れるそれらの動画すべてに泣く泣く「興味なし」のボタンを押しています。・゚・(ノД`;)・゚・

寅さんの世界、昭和の下町の風情はいいですね。
日本人が忘れてしまった大切なものを思い出させてくれます。
理屈はともかく、数ある名シーンの中で最もお気に入りの二つをご紹介します。

以前も書いたことがありますが、この場面について語る渥美清の言葉は深いです。

「男はつらいよ」シリーズにはたくさんのマドンナたちが登場します。
その中でも自分としては大原麗子が最も魅力的だと感じます。
このシーンも素晴らしいです。

 

寅さんの妹さくらを演じる倍賞美津子もとても魅力的な女優さんですね。
彼女が高倉健と共演した「遙かなる山の呼び声」、あのラストシーンは全邦画中No.1と言ってもいい最高の感動シーンで時々見ては胸を熱くしています。

今もこのシーンを見てウルウルしてしまいました。
寅さんもこの映画もともに山田洋次監督です。
監督の力量も大きいのでしょう。

 

ここからが書きたかったことです。

渥美清も高倉健も、あるいは石原裕次郎も、スターと呼ばれる人たちは持って生まれた輝きがあります。
暗闇の中にあってもひときわ輝く星の如く、スターは存在自体がスターです。

そのスターたちは、銀幕の中では回りの多くの役者さんたちによって支えられています。
その回りを支える脇役の人たちの働きなくしてスターをスターたらしめることはできません。

そんな脇役に徹した役者の一人が、主に時代劇で活躍し、「生涯五万回切られた男」の異名を持つ福本清三です。

福本清三

彼は今年の元旦に77歳の生涯を閉じ、そのことがニュースになったので過去の作品を目にし、彼の存在の大きさをあらためて知りました。

2003年、トムクルーズ主演の「ラスト サムライ」にも出演しています。
彼曰く「長年切られ役を演じてきたご褒美に、神様がハリウッドに出させてくれた」とのことです。

その「ラスト サムライ」での寡黙なサムライを演じた彼の演技にはスターのような輝きはありませんが、長い下積み生活を続けてきた、言葉にはならない、辛酸を味わった者にしか表現できない何かを感じさせます。

自分は最初にこれを見た時、その言葉にならない何かを彼の佇(たたず)まいから感じ取り、涙がこぼれました。

生き様は言葉にしなくても伝わります。

 

その生き様で思い出すのが日系ブラジル人のメリッサ・クニヨシちゃんです。
メリッサちゃんを初めて目にしたのはブラジルのテレビ番組で、当時はまだ八歳でした。
(2003年生まれで彼女ももうすぐ18歳)

日系四世でまだ八歳の彼女自身にはまだ生き様と呼べるものは感じられませんが、日本語を話すことのできない彼女が歌う「瀬戸の花嫁」からは、移民してきた曽祖父母たちから引き継いできているであろう血のにじむような苦労の足跡、望郷の念を抱きながらも必死に持ち続けたであろう日本人としての魂のようなものが感じられ、彼女の歌声もまた涙なくして聴くことができませんでした。

こういう声が「魂に響く声」と言うのですね。
これまで何十回、何百回と耳にしてきた「瀬戸の花嫁」の詩が表現する本当の意味を、メリッサちゃんの歌を聴いて初めて理解できたような気がします。

 

生き様は誤魔化すことができません。
これに尽きます。