心の旅のパートナー

心の旅

『深い真理ほどシンプルである』
これまで何度も書いているこのことを、今あらためてセドナメソッドを通して感じています。

感情を手放すセドナメソッドの方法自体はとても簡単です。
手に握りしめたペンに怒り、悲しみ、恐れ等の感情を移入し、その感情移入したペンを手のひらから落とすことで、そこに込めた感情をも手放します。

最初は誰しも「こんな簡単なことで・・・」と疑問を持たれますが、実際にこれをやってみれば、この方法による感情の変化がよく分かります。

 

極めて簡単な方法を用いて手放すべき感情を手放す、セドナメソッドはただこれだけのものです。
ただこれだけのものなので、実践するのにテキストは必要ありません。

けれどテキストには、それを深めていくための様々な心の探り方が段階を追って紹介されていて、言葉の綾ならぬ「心の綾」とでも言うような感情の持つ複雑さを解いていく手法が詳しく書かれています。

 

無気力、悲しみ、恐れ、渇望、怒り、誇り、これらを手放すべきだということはよく分かります。
それに勇気、受容、平安といったポジティブ感情も、これらを手放すことによって心はよりニュートラルになり、自然とポジティブな思いが湧いてきます。

このニュートラルな心の状態こそがセドナメソッドの目指す心の世界です。

その次はある行動に対して、それを妨げている抵抗、その逆にそれをしなければならない、すべきだという思いもまた手放していきます。
例えば家の掃除がなかなかできない時、それを妨げている「掃除したくない」という抵抗、それとともに「掃除をしなければならない」という逆の思いも同時に手放します。

こういった相反する二つの思いが心の中にあるということは、普段はまったく意識することがありません。

実際に今回最初から順にセドナメソッドを進めてみて、この抵抗というものの存在が頭の中から消えていて、久し振りにこのワークをすることにより、心の中にこれまでにない爽快感を覚えることができました。

 

それはこれまでの数年間、休憩しながらもセドナメソッド等で感情を手放すことを意識し続けてきて、少しずつ深いところに入り、そのワークの効果がよりハッキリと感じ取れるようになったのだと思います。

また今は世界も日本も混沌とした状態の中にあり、そこで真実を求めようとしたならば、どうしても感情は大きく揺れ動き、葛藤や抵抗が生まれる機会も増えてきます。
だからこそセドナメソッドの重要性は増しています。

 

セドナメソッドの解放の旅は、制御、承認、安全、分離という根本欲求を手放し、さらに好き、嫌い、利点と不都合といったものも手放していきます。

これらも以前一通り実践したものの、このたび久し振りに振り返ってみて、自分の心の新たな面を発見できそうな期待を感じています。

人間の心はタマネギのようなものだとよく言われます。
表から少しずつ皮をむいでいかなければ一番奥の芯のところにまで辿り着けない、そして皮をむいていく過程で涙が出ると・・・。

そのタマネギも一度むいただけではダメで、時を経て何度もむいていく必要があります。
セドナメソッドがいくら素晴らしいからと言って、それを一度じっくり時間をかけて最後までやり終えただけで完璧な人間になれるわけではないのですから。

 

それとセドナメソッドをしていて感じるのは、これを実践している過程で、回りで嬉しくないこともたびたび起こるということです。
これはきっとセドナメソッドで学んでいることをしっかりと身に付けたいという思いで、自分の心の奥が引き寄せているのだと感じます。
そして実際にその嬉しくない感情を手放そうと試み、それができた時はひとつ成長できた自分を感じ、喜びとともにその嬉しくない出来事が起きたこと自体にも感謝できるようになります。

「シンクロからの学び」に書いたように、マイナスの出来事からの方が学びが大きいのです。

セドナメソッドが絶対で最高ということではありません。
けれどこういった自分の心を見つめ、磨けるものをひとつ持っていることはとても幸せです。

セドナメソッドは心の旅のよきパートナーです。