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聖地カニャクマリ

シヴァ神

2月21日、サンカランコービルでの仏舎利塔落慶大法要を終え、昼食の後、大型バス二台でインド最南端の地カニャクマリ目指します。
日本でも海に突き出る室戸岬で空海が虚空蔵求聞持法を会得し悟りを開いたように、インド亜大陸の最南端は大地のエネルギーが集積した聖地です。
そこのカニャクマリのカニャは未婚、クマリは神という意味で、未婚の神が祀られています。

バスはサンカランコービルの町で降りる人も含めてぎゅうぎゅう詰めの状態です。
そしてのそのそと動き出したバスはサンカランコービルの町に到着し、子どもを含めた地元の人たちが下車し、バスの席には少し余裕ができました。
その後なぜかバスは再びサンカランコービル道場へと逆戻りしてしまいました。
なぜ道場と町を往復する時間、バスに閉じ込められる必要があったのか、やはりインドは謎の国です。

 

サンカランコービルからドライブインでの休憩を含めて約四時間、カニャクマリの宿泊先であるヴィヴェーカーナンダロッジに着きました。
ヴィヴェーカーナンダはこの地にゆかりのあるヒンドゥー教の聖者で、ロッジには各種宿泊施設やキレイな庭園などがあります。

到着後、荷物を部屋に置いてまずは夕食です。
ここでは各自メニューを選ぶようになっていて、メニュー表にはかなりの数が記載されています。

自分も周りの人たちも、インド人以外は何を選んでいいのかよく分からず、ポピュラーなドーサイメニューの中に「ペッパードーサイ」と書かれたものがあったので、それをオーダーしました。

けれどこれが勘違いで、“Pepper”だと思っていたのは“Paper”で、ペーパードーサイ、紙のように薄く巨大なドーサイが運ばれてきました。

その大きさを的確に表現すべく、隣の女性に腕を伸ばしていただきました。
めちゃくちゃでかいですが、薄い分だけ普通のドーサイと量的に変わらない感じです。
間違ってオーダーしてしまいましたがいい経験でした。

その女性も含め、このたびの法要で知り合った女性四人を最南端のコモリン岬に案内しました。
ここには両手で数えるほど来ているので、だいたいの道はよく分かっています。

コテージからゆっくり歩いて20分ほどで岬に着きました。
翌朝はこのあたりからご来光を拝みます。
沖に浮かぶ二つの島を結ぶ橋は、ここニ三か月前にできたとのこと。
随時色が変わる電飾はキレイですが、日本人的にはちょっとちゃちっぽい感じもします。
けれどこれが原色が映える熱帯南インド的と言えなくもありません。

ここでもスイカやパイナップルといったフルーツがカップに入ってひとつ20ルピーで売られていました。
まだ熟す時期ではないマンゴーは、未熟の状態で辛いチリパウダーをつけて食べるのがインド流です。
みなさんそのマンゴーを未経験だということなので、ひとつ買ってみんなで分けました。
「意外と美味しいですね」の声をいただき一安心です。

 

翌22日は午前5時に案内所に集合し、わずかな距離ですが、バスに乗ってコモリン岬へと向かいます。

バスを下車し、一行数十名で団扇太鼓を叩き、南無妙法蓮華経とお題目を唱えながら練り歩きます。
一行の先頭は、石谷政雄上人と木村千草庵主さんです。

延々と連なって練り歩いている間中、周りのインド人たちの注目を集め、多くの人がカメラやビデオで撮影しておられました。

岬にはすでに数百人以上、たぶん千人を超す人たちがご来光を待ってすでに集まっておられます。
けれど宗教家は尊敬される特別待遇、ほとんどの人が場所を空けてくださいます。

昨日見た橋が、夜明け前の澄んだ空気の向こうに浮かんでいます。
南インドではこの薄紫色をたびたび見かけます。

この日は少し曇り空でした。
なかなか姿を現わさない太陽も、待つこと20分ほどで少しずつその顔を見せてくれました。

夜明けの海に、心ひとつに打ち鳴らす太鼓とお題目の荘厳な響きが広がります。
この響きがすべてを圧倒し融合していくような、これが宗教の持つ壮大な力であり醍醐味でしょう。
細かい理屈を超え、この世を律する生命のダイナミズムのようなものに包み込まれます。

午前6時45分、ようやく朝日がその全容を現わしました。

幼いころから毎日天に昇ってくれていた太陽、その同じ太陽が今もまたまったく姿を変えることなくここインドでもその形を見せてくれている。
この普遍性、人類の命を守り、育んでくれる太陽こそが生命、真理の象徴なのだと強く感じずにはいられません。

 

ご来光を拝んだ後も、場所を変えながら祈りは続きす。

ここでは沐浴する人もおられ、何人かが海に入られました。

すべてを洗い清める、沐浴とはどういう意味なのか、ここでもそのことが理屈を超えて伝わってきます。

ネパールから来られた庵主さんも全身海に浸かっておられました。
その後シャワーを浴びる施設があるわけではありませんが、そんな細かいことはこの偉大な大自然の前では無力です。
日々日本の狭苦しい都会の中で暮らす自分たちにとって、インドは生きる上で最も大切なものに気づかせてくれます。

世界中から集まった宗教家たちとともに偉大な自然と触れ、その荘厳さを共有し、言葉にできない何かが伝わってきます。
宗教とは何なのか、そのことを新たに見つめ直しました。

コモリン岬から1キロちょっと離れたバスが止まっている所まで再びお題目を唱えながら練り歩きます。
ここでも周りの多くの人たちの注目を浴びました。

バスで数分、新たに仏舎利塔を建立する場所に着きました。

キレイな花やお菓子、果物などで祭壇を彩ります。
僧侶もそうではない人も、みんなで協力して行うところがいいですね。

式典は粛々と進み、参加者全員がお香を供えました。

式典の最後は支援者、サポーターの紹介です。
自分が行く児童養護施設、そのトリチーのオーナーであるスガンサ・クマールが紹介されました。

石谷上人が、スリランカで死を覚悟して平和行進を行っている時、藤井日達聖人から「カニャクマリに仏舎利塔を建てて欲しいと言われる方がいるので南インドに行くように」と連絡が入り、一人カニャクマリに向かわれます。
(その後石谷上人の平和行進を引き継いだ横塚上人はテロリストの凶弾に倒れます)

カニャクマリには知る人はおらず、食料もお金もない中、二日間何も食べずに一人お題目を唱えながら歩いている時に、彼らの兄弟の父親であるジョージと出会い、彼はキリスト教徒ながら敬虔な宗教者である石谷上人の姿に感銘を受け、食事や祈りの場所を提供し、ロンドンの仏舎利塔落慶法要には同行されたとのこと。

そして彼は死ぬ直前に三人の息子を枕元に呼び、「自分の死後も石谷上人のお世話をすように」と息子たちに申し伝えたのだそうです。

石谷上人からは以前、「彼に出会わなければ自分はこの南インドの地で野垂れ死にしていただろう」と語ってくださいました。
たぶんそれは真実だと思います。

これは以前撮った何かの本に載っていた若き日の石谷上人と彼らの父ジョージの写真です。

その因縁の地、ここカニャクマリに新たな仏舎利塔が完成するのはいつのことになるのでしょう。
石谷上人はすでに齢八十歳を超えておられます。
それまで是非ご健在でおられることを心からお祈りいたします。