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障害者の性

障害者の性

平成元年に文明法則史学と出会い歴史の持つ生命現象を知ってから35年、この間生命とは何かを追い続けてきました。

生命の真理、それは極めて深遠であり、また実に美しくもシンプルなものです。
また“生命の真理”と言葉ではいいますが、生命こそが真理そのものであり、生命と真理は本来同義であると考えます。
それはまた遺伝子DNAに代表される二重らせんといった構造、日々の活動の源となるエネルギー、これらもまた究極的には真理そのものであって、山の別々の裾野から同じ頂に向かって行っているものであり、同義、不可分であると感じます。
それは量子力学に於いて、すべての量子は粒子と波動、両方の性質を持つという事実と同じです。

 

生は性、生命とは何かを問いかける上で、性の有り様は切っても切り離すことができません。
性とは生命を継承するためのシステムであり、そこに生命の実相が現れるのは当然です。

男女の倫理観、結婚観、家族のあり方、また性風俗やLGBTQの問題に至るまで、これまでこういったことすべてに対し興味深く見てきましたが、性の問題はその時々の社会的環境に大きな影響を受け、その本質が隠蔽されてしまう危険性があって注意が必要です。

例えば昨年6月に可決されたLGBT理解増進法などはその典型です。
大多数の国民、議員が反対する中で可決されたこの法案の真の狙いは、アメリカからのごり押しにより、日本の持つ旧来の文化を壊すことが目的だと考えられます。

 

食欲に関して、大食漢の人もいれば小食の人もいて、そのどちらがいいと決めることはできません。
それと同様性欲に関しても、精力絶倫、性欲の強い人もいれば淡泊な人もいて、これもどちらがいいか悪いかを決めることはできません。
ただし性欲に関しては、その欲求をストーレトに表現すると社会的規範を乱す恐れがあり、それを律する理性を持つことが望ましいとされることはあります。

けれどそれが行きすぎると人間としての基本的あり方を否定することにもつながり、特殊な性嗜好を持つ性的少数者が自らの思いをカミングアウトできなかったり、社会的弱者が性欲の解消ができないことが問題となることがあります。
そのひとつがこのページの表題にした「障害者の性」のあり方です。

 

人間には三大欲求と呼ばれるものがあります。
食欲、睡眠欲、そして性欲です。
この中で食欲と睡眠欲は自分自身が生きていくために必要なもの、個体維持に関する欲求です。
対して性欲は自分自身ではなく子孫を残すためのもの、種保存の欲求です。

さらにはこれらをまとめた利己的な遺伝子(selfish genes)という考え方があり、個体を維持するのも子孫を残そうとするのも、どちらも自分が持ってる遺伝子を継承するためのものであって、遺伝子継承こそが人間の唯一の欲望というものです。
つまり人体は遺伝子の乗り物にすぎないという考えです。

利己的な遺伝子

この考えが正しいのであれば、自身の個体維持に危機感を抱いた場合、自らの遺伝子を残すため種保存の欲求、性欲が高まるはずです。

戦場に於いて常時生命の危機に晒されてている兵士は、その異常な状況によって性欲の高まりを感じているのではないかと思われます。
そしてその欲望が暴発しないよう、従軍する慰安婦制度が設けられたのだと考えられます。
(注 : その是非を問うているのではありません)

ベトナム戦争に於ける韓国軍はその暴発を防げず、多数のベトナム人女性をレイプし、ライダイハンと呼ばれる推定数万人にも及ぶ混血児を産み出しました。
戦争によって多くの婦女子が暴行されることは、過去の歴史上枚挙にいとまがありません。

人間は危険な体験をした時と興味を引く異性と出会った時とでは、心拍数が高まって発汗し顔が赤らむといった同じ生理的反応を示します。
危険な吊り橋を渡り終え、興奮状態の時に出会った異性は好きになる確率が高いそうです。
それはその時の興奮状態が、生命の危機によるものか異性として高い関心を示したものなのか判別し難いためです。

当たり前のことですが、性欲とは生存のあり方と直結します。

 

性欲は生きていく上での根本欲求であり、食欲、睡眠欲同様その発現を抑えることは不可能です。
なのでそれを表に現したり解消することができない人がいかに大きな苦しみを抱えているかは想像に難くありません。

これはとても大切なことなので、誤解を恐れず感じていることをそのまま述べますが、障害を持っている方の性処理の問題は重要であるにも関わらず、世間ではそういったことはないものとしてほとんど語られることはありません。
これは性は隠微な問題であり、公に語ることなくプライベートに処理すべきものだという考えがあるからではないでしょうか。

けれど障害を持っている方は異性と交流する機会がほとんどなかったり、極めて限られている場合が多く、また自身で自慰行為ができない方もおられます。
それと周りの健常な人は、心身にハンディキャップを背負った人は性欲の発現も抑えられているんだと、無理に思い込んで問題をなきものにしようとしているのではないかと思われます。

けれどどうなのでしょうか。
生存条件にハンディを持つ障害者の方は、逆に生への危機感から性欲がより強くなるのではないのでしょうか。
(先に述べたように、性欲の強弱に善悪はありません)

 

実際に障害を持つ方たちと性について語り合った経験のない自分が、その性のあり方について断定的に語ることはできません。
それを知る術は本やネットに限られていますが、やはりこのことで悩んでおられる方が多くおられるように見受けられます。

障害を持った方の性欲を処理する場がなく、また誰にも相談することができず、最も身近な近親者がその苦しみを抱えるといった事例もあります。
ある知的障害者の方は平日は施設で過ごして週末だけ家に戻り、そこでその息子の性欲暴走を防ぐため母親自らが性の相手をし、実の息子の子どもを妊娠してしまった例、そういったことが母親だけではなく、実の姉や妹などを対象としても複数起こっているそうです。

YouTube登録者数148万人の街録chで断トツで再生数が多いのが、障害者を対象とした性サービスを行っている小西理恵さんのインタビュー動画です。

障害を持たれた方の深い心の苦しみ、性(生)への葛藤を救済する行為がいかに尊いものか、このインタビューから感じ取ってください。

小西理恵さんのチャンネルで実際に性サービスを受けた障害者の方の素直な喜びの声が胸に響きます。

 

最後に、小西さんと同じく障害者に対する性サービスを行っている「ホワイトハンズ」という会社で射精介助を行っている方の言葉をネットから引用します。

「射精まで10分程度」障害者の性介助サービスを行う40代女性が語る、“やりがい”を感じる瞬間 |…

――性の問題がよりオープンになるために必要なことは何でしょうか。

鈴木:まず学校での教育が大事だと思います。性は、「いやらしいこと」「恥ずかしいこと」ではなく、「当たり前のこと」として認識されるべきです。そして、射精介助など性的なケアが生活の質の向上や、身体の機能の維持のために必要な介護の一環として組み込まれるとよいのではないでしょうか。陰部洗浄やオムツ替えは普通に行われているのに、なぜ性的なケアは行われないのか……と思います。

 性欲が「触れていけない問題」として隠されるのではなく、睡眠、食欲と同様に、満たされる社会になってほしいです。そうなると、当事者だけでなく周囲も、より穏やかに、幸せに生きられると思います。