覚醒する自我<3>

人体を一本の管に見立てた時、表の皮膚と裏の消化器官、その二つをつなぐ役割を持つ口と肛門は極めて重要です。

つなぐものはそれに関わる二つの性質を持つハイブリッドです。
水晶は工業製品の部材として、またスピリチュアルなお守りや浄化装置として使われますが、これは透明度が高く、水と鉱物二つの性質を併せ持つからです。
炭は木に火の性質を加えたもので、燃料の他やはり浄化能力を持っています。
炭の中でも最近は竹炭がよく話題になりますが、これは竹は生長が早くて木の中でも陰性の性質が特に強く、陽性の火と性質がかけ離れていて、よりハイブリッドの効力が出るためと考えられます。

そしてつなぐものとは境界領域にあるものであり、ブドウの皮と実の間にあるポリフェノールは栄養価が高いことで知られ、他の野菜や果物でも皮と実の間に豊富な栄養素があるとされています。
人間もまた母胎と赤ちゃんをつなぐへその緒、胎盤、臍帯血、プラセンタは、極めて高い医学的価値があることが認められています。

 

ですから人体の基本構造の中の境界領域であってつなぐ働きを持つ口と肛門の役割は極めて重要です。
これもこれまで何度も書いてきたことですが、肛門を締める力を高めることは大切で、この運動をムーラバンダと言い、自分は毎日入浴時に千回以上行っています。

口も同様締める力を高めることが重要であり、認知能力の衰えた老人は口元が緩み、逆に意志、行動力に長けた人は口元が引き締まっています。

これにはトレーニングするための道具があり、唇の周りの口輪筋を鍛えるパタカラ、舌の筋肉を鍛えるペコパンダがおすすめです。

これは以前作ったパタカラ、ペコパンダを紹介するために作った案内です。

口輪筋や舌の筋肉を鍛えるのと同じく、歯の噛み合わせを整えることもとても大切ですが、上の案内にある噛み合わせ治療の名医である山崎歯科医院の穐田先生はご高齢のため引退されてしまいました。残念です。

 

緊縛から話が外れてしまったようですが、すべてのものは関連し合い、調和・バランスを保っているのですから、周りがいい状態でなければ一部のみ理想状態を保つことはできません。

骨組みとなる骨格の上に薄い紙を貼って人形を作ろうとした時、表面にしっかりとした張りを持たすには強固な骨格が不可欠です。
お腹を下していたり満腹でお腹が重苦しい状態で、緊縛のような皮膚に刺激を与えても、十分な反応は得られないでしょう。

 

人体の基本構造である一本の管は、より極端に描くとドーナッツのような形です。

すべてはつながっていて、これはその見方のひとつの究極形です。
スピリチュアルの世界でよく“ワンネス”という言葉が言われますが、それは自分の肉体にも当てはめることができ、部分をよくするには全体を見渡すことが必要です。

 

緊縛に関してもうひとつ思ったことを。
緊縛とは肉体的自由の拘束であり、そこからの解放を求める肉体的欲求が満たされないがゆえ、普段眠っている精神の力が覚醒し、非日常の力で精神・意識が肉体の外に飛び出すのではないかということです。

人間の本源は霊的存在であり、今世人間として不自由な肉体をまとうことによって何かを学びたい、感じ取りたいと願っているのだと考えます。
けれど霊的存在の乗り船である肉体がまったく自由のきかない状態になってしまうとそこから得るべきものが手に入らなくなり、“人間として生きる目的達成の危機”を感じ、その危機感、渇望感が普段眠っている意識の力を呼び覚まし、自我意識が肉体の衣から抜け出るのではと考えます。

けれどここまで考えてきて、病気や怪我で肉体的自由を失った人が同様に覚醒したという話はほとんど聞かないことに疑問を感じます。
それは何故か、あくまでも推測ですが、緊縛による自由の束縛はごく短時間における変化であり、意図的に与えられる不自由さであって、本当は自由な肉体を持っているがゆえ、拘束感がより強いのではないかということです。

さらには緊縛には縄(麻縄)を使い、そのザラザラした感触が肌に線接触で食い込んでくるので、その存在感、強制感がより一層強いのではないでしょうか。
また通常ほぼ全裸に近い状態で行うので、己の肉体と否が応でも直面せざる得ません。
たぶん同じ肉体的拘束でも、縄を使う場合と拘束衣のように全身を包み込むように締めつけた時とでは意識に与える影響は異なるのではないかと思われます。

保江先生が緊縛体験を紹介する時の緊縛師は、女優杉本彩が映画「花と蛇」を撮影した時の緊縛を担当した有名な方だそうです。
それにしても「杉本彩 緊縛」で画像検索すると超リアルな画が満載で、緊縛はやはり異次元世界であることを実感します。

 

こんなふうに緊縛について考えてきて、今自分には自由に動かすことのできる肉体を与えられているという事実がとても有り難く感謝すべきことなのだと強く感じます。

可愛い子には旅させろ、苦労は買ってでもしろ。
一時的にでも不自由さを味わうことには大きな学びがあり、そこから偉大な生命力が賦活し、気付くきっかけとなります。

農作物は一時的に水や栄養を断って栄養枯渇状態にすることにより、なんとか生き延びようと大地にしっかりと根を張ります。
雌鶏の強制換羽、人間の断食も同じです。

自由を得て大きく解き放たれるために拘束する、逆もまた真なり、陰極まれば陽になる。
常に変わりのない快適な日常を求めるのではなく、大きなダイナミックレンジのある生活の中にこそ真実が見えてきます。