止まらない流れ

原爆の子の像

自分は天性自由人だからなのか、真面目にコツコツ目標に向かって努力するということが苦手です。
だからこそそれを克服するとブレークスルーできると考え、この連休はじめから毎日三時間以上英語学習に取り組むことをノルマにしています。

日々いろんなことをこなしながらの学習でなかなか大変ではありますが、こういう努力をほとんどしてこなかった自分にとってとても新鮮な感覚であり、大げさに言えば自己発見という思いもあります。

そんなことであまりパソコンに向かう余裕もないのですが、今感じていることを書いてみます。

 

昨日も書いた偶然とは呼べないような流れが今も続いています。

昨日の新月の日、ブレインダンプで頭の中のものを思いっ切り書き出しました。
自分の夢、やりたいこと、恐れていること、すぐに実践できること、それらひとつひとつは普段頭のどこかにあることでも、それらを一度にすべて目にし、意識することは絶対にありません。
それらをまとめて整理する、このブレインダンプは極めて価値ある思考整理・活用法です。

午前中にこのブレインダンプをし、昼過ぎから街に出かけました。
広島は毎年5月3日、4日、5日の三日間、市内中心部にある平和大通りというメイン通りを歩行者天国にして、大きなイベントが開かれています。
そこにはたくさんのステージが設けられ、その中のひとつで、昨日午後3時から親しくしているミュージシャンの十輝くんが出演するので、それを観に行きました。

彼は毎年6月の第一金・土・日に行われるとうかさんという大きなお祭りで、五年連続PRアンバサダーという役を務めています。

 

十輝くんのステージを見終わり、混雑した中を平和公園近くのパソコンショップへと向かいました。
数日前にそこで買ったパーツに不具合があり、それを交換してもらうためです。

そしてその店を出た後、知り合いの家に行こうと平和公園を自転車で走っていると、原爆の子の像、被爆して亡くなった佐々木禎子さんを記念して建てられた像の前で何か催しをしています。

原爆の子の像

この原爆の子の像が建てられたのが61年前の5月5日で、昨日はその記念日ということで式典が催されていたのです。
そこを通りがかったのがちょうど午後4時、まさにその式典が始まろうとしている時刻でした。
そこには懇意にさせてもらっている知り合いが二人いて、そのうちの一人と横に並んで式典に臨みました。

原爆の子の像の真横はきれいなバラの花壇になっていて、今は見頃、そこから眺める原爆ドームは最高の美しさです。

式典が終わり、その知り合いと二人でお茶を飲もうということになりました。
その方は国際交流や様々な慈善活動のリーダーとして活躍されていて、精神的にも深い世界を持っておられますが、これまで二人だけで話をしたことはなく、昨日が初めてでした。

そういう方とですから話は当然深いものとなり、自分がなぜ生命やインドに関することを熱心にしているのか、宗教とは、生命とは、天命とは、そんなことを二時間近くにわたってお話ししました。

佐々木禎子さんの名前はインドでも教科書に載っていて、子どもたちもよく知っています。
そんな子どもたちは禎子さんに由来する折り鶴がとても大好きです。

インドの教科書 佐々木禎子さん

原爆の子の像の前をたまたま通りがかって式典に参加し、親しい知り合いと出会い、初めて深い話をするキッカケを与えてもらった、これはやはり単なる偶然とは思えません。

 

そして今日のこと、お昼過ぎ、冷蔵庫にある野菜ジュースを一本飲んで家を出ました。
そのジュースは知り合いからもらったもので、何本かもらったそれが最後の一本でした。

そしてその足でその知り合いの家に行くと、
「野菜ジュースがあるから十本ほど持って帰ったら」
と、ちょうどなくなったばかりのジュースをまたいただきました。

その方とは相性がいいのでしょうか、仏壇にお供えしていたお酒とか、その時ちょうどなくなっていたものをもらうということがよくあるのです。

 

さらについさっきのこと、これもたまたまですが、ネットで東寺の大日如来像のことをテーマにした動画を見かけ、それを見ました。
東寺の大日如来像は、母が亡くなった時にとても大切なメッセージをもらった忘れることのできない存在で、それを紹介した動画は見ないわけにはいきません。
「母の愛」

今東京の国立博物館で東寺の仏像を展示する特別展をしているのですね。
<特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」>

そして大日如来像をはじめ本堂に展示されている仏像群は、それをもってこの宇宙の縮図、立体曼荼羅を表しているということをこの動画を見て初めて知りました。

 

実は昨日ブレインダンプをし、たくさんの自分の思いを紙に書いたものの、それをどうまとめたらいいか迷っていて、今朝それを曼荼羅を模したマンダラートに書こうとしたものの、中心の回り八項目にうまくまとめられるかどうかを考え、少し躊躇していたのです。

さっき東寺の動画を見たのは本当にたまたまです。
マンダラートのことを考えていたから曼荼羅の動画を見たのではありません。

これはやはり今回はマンダラートに思いを書いてみろ、それを示すための導きだとしか思えません。

 

こんな流れが、十回目のインド渡航を決意した二月終わり頃からずっと続いています。

自分の思いを思いっ切り表に表し、それを整理し、意識し、その上で潜在意識の導くまま、天命とともに歩んで行きます。