『歌は世につれ 世は歌につれ』
その昔、ある歌番組で名司会者玉置宏が毎回述べていたこの口上は、ある年代以上の方なら頭にしっかりと残っていると思います。
その時々の歌は世の中の動きと深く関わりを持ち、それらは合わさった形で人々の記憶に残っていきます。
そしてそれは歌だけではなく、その時読んでいた本、体験したこと、考えていたこと、あるいは食べたものに至るまで、記憶は時の流れの中で、その瞬間の様々なものと重なり心に染み入ります。
前項旅の途中で、世界中が混乱している今は旅をしているようだと書きました。
旅とは漂白の感情、非日常の時、こんな時の記憶は日常よりも深く心に刻まれ、その旅がはるか昔のものであったとしても、その数日間の思い出はいつまでも鮮明に残ります。
今現在のコロナ禍は、いわば強制的、社会的に無理やり旅をさせられているようなもので、なかなか思うようにならないことが多く、本当に苦しい思いをされている方が多いと思います。
けれどここで心しなければならないのは、起こっている現象と、それをどう受け止めるかという反応は別だということです。
人から怒られたから悲しい、勤めていた会社が倒産したから辛い、これは万人が共通して持つ当たり前の感情だと思うかもしれませんが、そうではありません。
人から怒られた、会社が倒産したというのは客観的事実でも、そこから生まれる反応は人によって異なる主観的なものです。
人から怒られ、それを自分を改善していくヒントをもらったと喜ぶ人もいるでしょう。
会社倒産は転職のチャンス、新たな可能性を発見する好機かもしれません。
何事もすべて前向きに受け止めろとまでは言いません。
ただこれまで当たり前だと思っていた“自分の反応の癖”を自覚し、まったく別の捉え方もあるということを常に頭に入れておくべきだと考えます。
大切なのは現象ではなく、それを捉える自分の中での反応です。
今という人類に課せられた試練の旅で、暗い気持ちで沈んだり、不安や怒りで心をかき乱されてもいいことはありません。
こんな時こそ、今という深く心に刻まれる試練の時だからこそ、心の中の反応を変え、気持ちを建設的なものへと切り替えていく試みをするべきです。
けれど心という形のないものはなかなか変わりません、なので心と連動している形あるものを変えていくのです。
具体的には習慣、行動を変えること。
今は生活リズムが大きく変わった方が多いと思います。
これは新しい学校に入学した時、職場が変わった時、または結婚や引っ越しをした時と同じように、生活のすべてを見直す絶好の機会です。
そしてここでの変化は長く定着しやすいものです。
習慣、行動の何をどう変えていったらいいのか。
それは各自が判断していくことであり、それを判断するのが楽しみであり学びです。
ここで一般論として思うのは、今は社会に“手放す”ことを求められている時です。
これは同時に個人にも当てはまることであり、今はさらに新たなものを求めて外に目を向けるのではなく、現在あるもの、古くからあるもの、過去に関わって中途半端になっていたものに着目するのがいいと思われます。
自分はこれまで苦手分野だった古典文学と日々親しみ、まったく新たな目が拓けてくることに心震える喜びを感じています。
これは今回のコロナ禍がなければ出合えなかったことです。
旅にはたくさんの種類があります。
ここインドでは、急に決まって急に実施されたロックダウンにより、職を失った人たちが大勢います。
日本でも同様だと思いますが、貧民層が多く、徹底した外出禁止令が出されているインドは問題がより深刻です。
インドの大都市圏では遠く離れた土地から出稼ぎに来ている労働者が多く、彼らのほとんどがその日暮らしの生活であり、仕事がなくなるということはその日の食費、宿泊費にも事欠くということを意味します。
そんな彼らが政府発令のロックダウンに集団で抗議し、それを警官が暴力で制圧しています。
この集団の中にもたぶん感染者がいるのではないでしょうか。
だとしたら、ここから恐ろしい集団感染が発生していることになります。
政府も対策として食糧支援やシェルター(避難所)の設置などを行なっていますが、それだけでは十分ではなく、何十万という数の人が、列車、バスが止まっている中、着の身着のままの状態で数百キロの道のりを徒歩で故郷へと向かっています。
その旅がいかに過酷かは想像に難くありません。
急激なロックダウンがこのような結果を招きました。
けれどロックダウンを事前予告すると、帰郷しようとする出稼ぎ労働者たちが過密状態で列車やバスに群がることになり、それはまた別の意味で大いに危険です。
旅に関わらず、物事の選択に最善のもの、より究極的には善悪はありません。
大切なのはそれをどう捉え、どう活かすかという、その人自身の反応です。
さらに望ましいのは、反応することなく、現象をただその現象として捉えることです。
けれどそこに至るのはなかなかです。
まずはより望ましい反応を、それが俗に言う「プラス発想」に通じます。
今はその反応を鍛える時、そう反応してみるのがいいのではないでしょうか。
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