断捨離 > 断捨離のモチベーション

断捨離のモチベーション

どろろ

年の瀬も押し詰まった12月は大掃除、片付けのシーズンで、一年の垢を洗い流すべく断捨離を行うには最高の季節です。
自分は特に12月生まれなので、より一層その気運が高まります。

何事もモチベーションを上げるには、それについて書かれた本を読むこと、体験談を聞くことです。
断捨離本はたくさん出ていますが、たぶん年末は売れ行きがいいかもしれません。

断捨離本のレビューを見ると、「本を読んでいる途中から家中を片付けたくなりました」などと書かれたものがたくさんあり、みんな分かっていてもできない片付けを、本を読んで再認識して実際に行動するまで後押しされるのですね。

 

自分も先日たまたまYoTubeのおすすめ動画にあったガラクタ片付けの動画を観て、大いに片付け気分が盛り上がりました。

テレビでは食レポや大食い番組が人気ですが、ガラクタ片付けの動画も観ていてそれと同様の爽快感があり、こちらの方がより自分にプラスになると思います。

掃除をしたい、でも気分がイマイチという時は、こういった動画を観るのがおすすめです。
<片付け – YouTube>

 

家の中を整理整頓している時にいつもイメージするもの、それは半世紀ほど前の「どろろ」という手塚治虫のアニメ作品です。

どろろ

今ネットで検索し、現代版にリニューアルされていることを知りました。
以下 どろろ|アニメ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL からの解説です。

室町時代の中ごろ、応仁、文明の大乱を経た1470年代の出来事、という設定になっています。舞台は北陸、そして能登半島。体の48箇所がなく、人間とは言えない主人公は作り物の体で、自分の分身ともいえる48匹の妖怪と戦いながら、自分の体を取り戻して行く、というお話です。また14、15、18、19、20、23、25話は、原作にはないエピソード、つまりテレビ用オリジナルストーリーとなっています。途中でタイトルが『どろろと百鬼丸』というふうに変更になったのは、百鬼丸のほうが子供のこそ泥、どろろよりも活躍場面が多く、また妖怪退治こそがメインのストーリーだったせいで、視聴者にはどうしても主人公が百鬼丸にしか見えなかったせいです。パイロット版とは異なり、モノクロで放映されたのは、ひとえに予算のせいだと言われていますが、モノクロだからこそ、余計に妖怪たちの不気味さが伝わってくる作品となりました。

これはたぶん古事記で描かれた不具の赤子「蛭子」(ひるこ)をモチーフにしたものと思われます。
昭和という時代でしか描けなかったかなりおどろおどろしい作品ですが、深い意味を感じさせる名作です。

子どもの頃にこのアニメを観て、不具の子として生まれたどろろが48匹の妖怪を一匹ずつ倒し、その後痛み苦しみながらも身体の一か所ずつを本来のものに取り戻していくというラストシーンが強く印象に残っています。

 

片付けの方法は人それぞれ個性があると思います。
自分は一か所ずつ徹底的に片付けていくタイプで、片付け終わった後にその場所を何度も見返し、満足感に浸っています。

その一か所ずつというのが、どろろが妖怪と格闘し、少しずつ人間本来の姿を取り戻していくのを思い出させるのです。

どろろが闘っているのは妖怪であり、自らに課された業(ごう)というものです。
片付けも同じ、いつまでたっても片付けられないものは、そこに何らかの己の業が潜んでいると考えることができます。

業というのは悪い意味合いを強く感じるので、因縁と言い換えた方が適切かもしれません。
断捨離、片付けが100%正しいわけではありません。
散らかりまくった部屋から天才的発想が生まれるという話もよく聞きます。

ただその部屋の状態が自分の心を反映していることは間違いありません。
そして自分の場合、今はひとつずつ部屋の片付けを進めていくことが、自分の心をより明るい方向に導いてくれると感じるのです。

 

今日はたくさんたまったモバイル系のケーブルをまとめました。
こんなちょっとしたことでも気分スッキリです。

モバイルケーブル

そしてこのちょっとしたことが大きなことにつながります。

大人でも子どもでも、なかなか取りかかれなかったことが、ちょっとやり出すと案外スムーズに進み、「こんなことならもっと早くやっておけばよかった」と感じることがよくあります。

物事の抵抗を示す摩擦には、静止したものを動かす時に生じる静止摩擦係数と、動いているものに生じる動摩擦係数の二種類があり、これはどんな場合でも静止摩擦係数の方が大きくなります。

つまり最初の一歩より二歩目、三歩目の方が楽だということです。

 

今日はそのモバイル系のケーブルの片付けをして、より大きな片付けの決断をすることができました。

もうかれこれ三十年以上電話の固定回線契約を持っていて、一時期は電話とFAX二つの回線を持ち、いつからか今の電話回線ひとつにしています。
けれど時代は完全にモバイル、ネット中心となり、固定電話はほとんど使うことがありません。
実際かかってくるほとんどすべてはセールスとか自動案内のアンケートのようなものなので、家で電話が鳴っても受話器を取ることはまずありません。
それでも名刺に固定電話の番号があった方がいいと感じ、ずっと月1800円ほど払って維持してきましたが、いよいよそれに見切りを付け、今日ケーブルの片付けをした後で、NTTに連絡をして回線を止めてもらうことにしました。

さらには、長年ガラケーを使っていましたが、最近iPadでいろいろアプリを活用していると、どうしてもスマホと連動させなくては本来の価値を発揮できないという当たり前のことを強く感じるようになり、ガラケーも手放し、格安スマホに乗り換えることにしました。

格安スマホにするということは、従来使っていたキャリアメールが使えなくなるということですが、これもごく少数の人とのやり取りなので断捨離する決意をしました。

ただ残念なのは、今年インドで買ったSIMフリースマホが日本では使えないと分かったことです。

xiaomi-note-6-pro

これはいたしかたありません。
断捨離は個人レベルの構造改革、痛みが伴います。

もし新たに入手したSIMフリースマホがインドでも使えるのなら、インドで買ったものはインド人の知り合いにプレゼントしようと思います。

 

モチベーションを上げるというか行動を促すには、最初の簡単な一歩を踏み出すことですね。

数日前、手持ちのハードディスクで容量の少ないもの三つをハンマーで叩き、今日近くの区役所に行き、「小型家電製品回収ボックス」に入れてきました。

ハードディスクの容量は年々増大し、以前使っていた容量のものは少しずつ価値を下げていきます。
それでもまだ十分に使えるものですが、持っていてもどこかで使う可能性は極めて低く、故障や寿命というリスクを考えると、その時に適切な容量のものを買うのが理想です。
売れば多少の利益になるかもしれませんが、その手間と時間を惜しみました。

これも自分にとっては大きな決断でした。

 

今自治体の個人情報の入ったハードディスクが、適切に処分されず大量にネットに流れていたということが大きなニュースになっています。
ハードディスクの中身を完全に消去するのは手間ですが、物理的に破壊するのは簡単です。
ただハンマーで叩く、床に投げつける、それだけで中身を読み込むのは非常に困難または不可能になります。
もし膨大な手間をかけて一部読み取りが可能だとしても、絶対に中古としての売り物にはなりません。

なぜ自治体の担当者、またはその横流しした容疑者の手元に渡るまでの流れの人間が、そのハンマーで叩くという一手間をかけなかったのか、それが大いに疑問です。

そういったことは作業手順が下流の人間がすることで、自分たちはそんなことをする必要はないと考えていたのでしょうか。

もし自分が個人商店主で、漏れてはいけないデータが入ったハードディスクを処分のために業者に渡すとしたら、その前に、絶対に自分でそれに衝撃を与えて壊すはずです。
それをしないのはまさにお役所仕事や大企業病であり、意識や責任感が欠如した結果で、その罪は容疑者同様重いものと考えます。

<追記>
上のハードディスクに関す意見が間違いであることに気がつきました。
「ハードディスクについて訂正します」をご覧ください。

 

話が横道に逸れましたが、まず自分がどのようにすれば大切な一歩を踏み出せるのか、それを考えるべきでしょう。
それは断捨離だけではなく、多くのことに当てはまります。

自分にとってはどろろのように、断捨離は業を消していく作業、そう考えるのが楽しみでありモチベーションがアップします。

 

どろろのアニメ第一話が手塚プロダクション公式チャンネルから発信されています。
このような深いストーリーやリアルな描写は、今の時代では望むこともできないでしょう。