今いるところはインド最南端のタミルナド州、インドの南端は、東部から中央の大部分をタミルナド州、西側の細長いところをケララ州と二つに分かれています。
そのケララ州で、14歳の女の子が貧困を苦に焼身自殺するという事件が起きました。
オンライン授業受けられず自殺 インドの貧困層少女、視聴の手だてなし―新型コロナ
新型コロナウイルスの感染拡大が続くインドで、14歳の少女が学校のオンライン授業を受けられないことを悲観し、焼身自殺した。少女は貧困家庭に育ち、スマートフォンなど授業を視聴できる機器を持っていなかった。インドで国民の約6割を占めるとされる貧困層が新型コロナに伴い直面させられている現実が改めて浮き彫りとなった。
こういう事件を耳にすると心が痛みます。
スマホはインドでは一万円台くらいからあり、ネットの契約は日本より格安で月五百円程度です。
今さら“もし”などということはありえませんが、もしこの少女が自殺する前に時間が戻れるとして、もし誰しもが彼女にお金を直接手渡せる環境にあったとして、二万円で一人の子どもの命が救えるのなら、喜んでお金を差し出す人が地球上に何億人かいるのではないでしょうか。
人の命の値段っていくらなんでしょう?
もちろん値段など付けようありませんが、この金額で一人の未来ある女の子が亡くなったと聞くのはあまりにも悲しすぎます。
けれどこれは彼女のことだけではなく、インドでは、一二年前にもわずか数百円の借金を苦に自殺した人がいて、それぐらいインドの貧困は深刻です。
14歳ということは日本の中学校に相当するハイスクールの生徒ですね。
現在ここタミルナド州でもコロナ禍を受け、多くのハイスクールでリモート授業が行われています。
けれどスマホを持っていないのは自殺した彼女だけではありません。
自分が訪ねるホームにもハイスクールに通う子どもたちがたくさんいますが、ホームでは誰一人個人用のスマホを持っていません。
そもそもスマホがあっても、4Gネットワークが来ていないネット難視聴地域が数多く残されています。
さらには言うならば、学童期の子どもで学校に行かず労働に従事させられている児童労働の数がインドは世界最多で一千万人以上と言われていています。
六年前、貧しさゆえに学校に通うことのできない子どもたちに無償の教育を与えるインドの貧村の学校に駐在していた時、その学校にすら通うことができず、たくさんの子どもたちが楽しそうに授業を受けている校舎のすぐそばで、羊を追ったり植物を摘んだりして働かされたりしていた子どもたちの姿を忘れることができません。
このたびのコロナ禍で、日本では派遣切りのような弱者切り捨てが行われ、所得格差はますます広がったと言われています。
それはここインドでも同様で、地方から日雇いで出稼ぎに出ていた多くの人や家族が露頭に迷い、公共交通機関がストップした中、数百キロかそれ以上の距離を徒歩で帰路に着く人たちの姿は世界中で大きく報道されました。
貧困を抱える国はインドだけではなく、隣国バングラデシュ、またアフリカの数々の国はさらに酷い状況です。
以前初対面の人から、
「外国の支援なんかする余裕があるなら、まず日本のことを先にするべきだ」
と激しい叱責を受けたことがありますが、経済が低迷しているとはいえ、日本は世界の中でも豊かな国であることは間違いありません。
最も貧困な国や地域、難民の人たちに、日本で一回の豪華な食事に相当する金額を支援すると、それで一人の人の命を救えることもあると思います。
ならばこれから世界のリーダーとなるべく運命を持つ日本は、その現状をどこの国よりもしっかりとした目で見つめていく必要があると考えます。
これは理屈ではありません。
かと言って情でもありません。
スピリチュアルの世界では、すべてがひとつにつながっているということが当たり前のように語られています。
ならば国と国との間も同様です。
世界はひとつ、これからの世界観は『分かち合い』がキーワードになるものと信じます。
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