特攻隊の欺瞞

神風特別攻撃隊

昨日の日本の基底文化の最後に人間魚雷「回天」のことを書きました。

自らの命を呈し生還を望まず敵に挑む、いわゆる特攻隊と呼ばれるものは、戦闘機「零戦」で敵艦に体当たりする神風特別攻撃隊、大型機に吊るされて敵艦に近づいた後、ロケットで滑空して敵に向かう「桜花」、そして人間魚雷「回天」の三つがよく知られています。

その他いくつかの特攻兵器があったようで、それらすべての特攻による死者は一万人近くにに上るものと思われます。

これは日本軍側だけの死者であり、調べても正確な数字は分かりませんでした。
また特攻訓練中に殉死された方や援軍や「桜花」もろともそれを吊り下げていた母機「一式陸攻」に乗務していて墜落死された方など、どこまでを特攻の犠牲者とするかは難しいものと思われます。

 

なぜこんな特攻隊のことを話題にするかというと、数日前に半藤一利のあの戦争と日本人を読み、そこに書かれていた特攻隊のことが強く頭に残ったからです。

この本では明治時代の日露戦争から太平洋戦争に於ける特攻、原爆、終戦、天皇に至るまでのことが詳しく述べられていて、日本の軍部の台頭や大戦に至る流れが実によく分かります。

その中でも特攻隊について書かれたところが最も衝撃でした。

 

大戦も終わりに近づき、サイパン、テニアン、ガム島が陥落し、本土決戦やむなしという必敗の空気が濃い中で、起死回生の手段として生み出されたのが十死零生の特攻隊です。

こういった生還することを考えない戦法などはそれまであり得ませんでした。
それこそあの当時は「窮鼠猫を噛む」といった状態で、葉隠で述べられている
『武士道といふは死ぬことと見付けたり』
という精神を利用した、異常を異常と感じない特別な空気感だったのでしょう。

これは今でも起こりうることで、そのことを心に留めておかなければなりません。

 

けれどこれは流石に異常な攻撃命令だと軍部は感じていたようで、戦後特攻隊の推進者は大西瀧中将という方個人だということになっていましたが、当時の残された文書を解析すると、軍部の方からそれを推し進めていたのだということが分かります。

また特攻隊兵によるとされていますが、実際は上官からの命令によって任に着いた者が多くいたようです。

こういった表と裏があるというのは、今の政治の世界と変わりありません。

 

特攻隊のことをより深く知りたいと思いネットでいろいろ調べてみましたが、特攻隊で大きな戦果が上がったのは初期の零戦によるものだけで、その後は米軍が対策を強化し、ほとんど何の戦果も上げることなく討ち死にしていったようです。

戦果が上がったからいい、英霊が報われるとは言いませんが、攻撃をする前に非業な死を遂げるであろう若者たちを見ても、作戦を変えることなく、まるで機関銃を無闇やたらと無駄撃ちするかの如く出撃命令を出し続けた軍部はまさに狂気です。

もっとも戦争そのものが狂気であると言うのが正しいのでしょう。

 

広島に暮らしていると、平和や原爆のことが日常的に話題となります。
原爆資料館も昨年リニューアルされて展示内容も一新されました。

そこでいつも気になるのが、原爆を「非人道的兵器」と呼ぶことです。
民間人を大量殺戮する原爆が非人道的であることに間違いありませんが、それの意味するところは通常兵器は人道的であり、その存在を肯定するかのように響くところです。

戦争の勃発は極力避けなければなりません。
しかしそのためにも迫りくる中国の脅威を考えたなら、抑止力としての日本の軍備は欠くことのできないものと考えます。

けれどそれが例え銃一丁であっても、非人道的兵器になるということを忘れてはいけません。

 

そう考えたなら、死を賭した特攻隊は悪で他の攻撃方法は善ということにはならないのですが、やはり超えてはならない一線というものがあり、自分は特攻隊や米軍による二発の原爆はそれを超えたものだと考えます。

ましてやそこに欺瞞があればそれを許すことができません。
けれどこれも考えてみれば、こういう一線を超えたものだからこそ欺瞞に満ちているとも言え、悲しいかなそれが現実でしょう。

 

昨日の日本の基底文化の中で、人間魚雷「回天」で殉死された18歳の特攻隊員の方の遺書を紹介した動画を載せました。

この遺書の中で、祖国のため、本土決戦にならないよう、家族を守りたいということが語られています。
つまりは自分が命を散らすことによって戦局を有利に導き、日本軍の勝利を願っての出撃だったのです。
これは特攻によって命を落としたすべての若者たち共通の願いだと思います。

 

けれどこの裏にも欺瞞があります。

特攻隊が出撃した昭和19年の終わり頃や20年は、もう戦局はほぼ決していていました。
これは口伝であって正式な文書として残っているものではありませんが、特攻隊を送り出した将校たちはこれで日本を勝利に導けると信じていたのではなく、負けるにしてもその前に米軍に一矢報いたい、あるいはここまでのことをするとさすがに天皇も終戦を決意してくださるだろうとの、終戦を願っての出撃命令だったというのです。

このようなことを、これから祖国のために命を散らそうとしている特攻隊員が出撃前に聞いたらどう感じるでしょう。

ただただいたたまれない思いです。

戦争というのは全体のため、一人一人の人間の命をあたかも将棋の駒のように扱ってしまう、やはり狂気です。

 

このような過ちを二度と繰り返さないためにも、亡くなられた英霊に対して心から手を合わさなければなりません。

右翼も左翼も関係ありません。
世界の恒久平和は人類共通の願いです。

神風特別攻撃隊