インドから日本に帰ってきて最も懐かしく思うのは、世話になったたくさんのインド人たち・・・もですが、一番はしっかりと懐いてくれたワンちゃんです。
(インドのみなさんゴメンナサイ m(_ _)m )
インドロックダウン生活四ヶ月、今振り返ってみて、このワンちゃんに随分と心癒されたように思います。
ワンちゃんたちのご飯は、スギルタンの家で余ったご飯を鶏の餌と一緒に与えてもらっていました。
日曜日にスレッシュの家でチキンカレーを食べた時は、その匂いを嗅ぎつけてワンちゃんたちはいつも外で待っていて、自分がワンちゃんに餌をあげるのはその時のチキンの骨だけです。
それでも自分にすごく懐いてくれたのは、いつも手で頭や背中やお腹を撫でてあげていたからだと思います。
他のインド人たちにとって犬は完全に番犬扱いで、彼らが犬に手を触れることはほとんどありませんでしたから。
ボディーコミュニケーションは犬にとっても人間にとってもやっぱり心地いいものですね。
ワンちゃんたちはそれを欲するし、自分も彼らのお陰で随分と寂しさを紛らわすことができました。
この肌の触れ合いによるコミュニケーションというのは人間同士も同様で、恋人同士の熱い抱擁、赤ん坊をあやす時、子どもを慰める時、みな皮膚の感覚を通して相手と心を交流させます。
そう考えると、人間は猿から進化し極めて薄い体毛しか持たないようになり、その分皮膚感覚が鋭敏になったのですから、よりボディーコミュニケーションが重要な生き物だと言えるかもしれません。
ただそれと同時に言語能力も著しく発達させ、それに頼るようになり、今の文明は知識に頼ってボディーコミュニケーションの大切さを喪失した文明なのかもしれません。
ボディーコミュニケーションは自分一人でも行えますし、また実際に行っています。
お腹が痛い時、「ウ~」とうめき声を上げながらお腹を擦ったり抱え込みます。
「ウ」というのは最も内にエネルギーがこもる音であり、そのエネルギーを手と音によってお腹に送りこんでいます。
ちなみに外に向かうエネルギーが最も強いのは「ア」の音で、遠くに危険を知らせる時は、咄嗟に「ア~」という声が出るのはそのためです。
他にも頭が痛い時、歯が痛い時、その痛みのある場所に手を持っていって「手当て」をするのは、そうすることで痛みが緩和されるのを無意識で感じているからです。
喪失感に暮れて悩み苦しんでいる時は、体を丸め、両腕で自らの体を抱え込むようにするのも自らを癒し慰めるボディーコミュニケーションの一種です。
逆に希望に燃えている時は上を向いて背中を反らし、両腕を大きく広げたりしますね。
そう考えてみると、これまで心と身体の健康を維持するために最も大切だと何度も書いてきた「身体との対話」が、より大切なものであるということがよく分かります。
これまで二十年間以上に渡り、いつもお風呂の中では、全身に手を当てる「手当て」をし、そこに視線を送り、言葉による「声(肥え)がけ」を行ってきました。
その時の思いは感謝と労りを込め、「ありがとう」「お疲れ様」この二つの言葉が中心でしたが、今日このページを書いていて、より深く自分に愛情を送ってあげることが大切だということに気がつきました。
「ありがとう」「お疲れ様」この二つの言葉に加え、今日から
「愛してるよ」
この愛のメッセージを自分にプレゼントしたいと思います。
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