自分に優しく

最近いろんな方の悩みを聞くことが多くなりました。
そしてそのほとんどの場合、根本原因は自分を好きになれない、自分のいやな面ばかりを見てしまう、つまり自己肯定感が低いということにあるようです。

今の社会は人々(消費者)の現状に不満を持たせ、その改善を求めることで消費欲求を高め、社会の経済を回していくという側面があります。
ですからいくら社会が物質的繁栄を享受しても人々は幸せになれず、自分を好きになることも、自分を愛し肯定することもできないというのは自然の流れです。

これは目先にぶら下げたニンジンを追う馬のようであり、このもっともっとと追い立てられる現状に疑問を感じる人が多くいるがゆえ、断捨離やミニマリストが大きなトレンドとなっています。

自分が初めて南インドに行った2008年、日々明るく笑顔とともに生きている児童養護施設の子どもたちと出会い、ただ自分がそばにいるだけで幸せそうな顔を見せてくれる子どもたちから、生きるために己の価値を高める必要などなく、ただ生きている、そのこと自体が大きな価値を持つ宝なのだということに気づかせてもらいました。

 

つい先日もそんな自己肯定感の低い方と出会い、大きく二つのことをアドバイスさせていただきました。
ひとつは、自己肯定感の低い人は他人のことばかりを気にし、常に意識が自分の外に向いています。
自分の外というのは、身体でいうと外の情報と接する頭部です。
頭には五官のうちの四官、視覚、聴覚、嗅覚、味覚があり、ここが外部との接点であり、ここに意識が行きすぎると頭に血が上った状態となってしまいます。

つまり四官から入ってくる外部情報に惑わされ、常時臨戦態勢のようにピリピリし、己を無くして肚(はら)が座っていない姿です。
自分を見失って心ここにあらずということです。

そこで人と接する時は一呼吸おいて背筋を伸ばし、お腹に力を入れて肛門をグッと引き締めます。
これで意識が自分の内側、肚(はら)に落ち、再び頭部に戻ってアウトプットされるという長いループを辿り、深い思考ができるようになります。
そしてその過程で自分の考え、価値に気付けるようになります。

 

もうひとつは実際に自分に優しくするということです。
赤ちゃんでも可愛い子犬や子猫でも、可愛がるときには抱きかかえ、優しく肌を撫でるものです。
それと同じ事を自分に対して行なうのです。

撫でるところはどこでもかまいませんが、最も感じやすいのは利き腕とは逆の腕の肘から手首にかけての上腕部です。
右利きでしたら左肘を曲げるとちょうど何かを抱えるようなポーズとなります。
その左腕の体毛に軽く触れるか触れないかぐらいの感じで優しく撫でると、自分でしているにも関わらず、誰か他の人に優しくされ慰められているような、そんな癒された気持ちになります。

人によっては上腕部ではなく頭、あるいは太ももを撫でるのがより心地よく感じられるかもしれません。
実際に試してみてください。

本当にこんなことで・・・と思われるかもしれませんが、これがとっても幸せ気分になれるのです。
そして自分が幸せになり満たされると、他人にも自然と優しくできるようになります。
普段から自分を追い立てせかしてばかりいた、そんな己の姿を反省できるかもしれません。

 

肚という字はにくづきに土と書きます。
土とは地球の表面すべてを覆うもの、人体では皮膚、触覚に相当します。

肚に力を入れ、肚に意識を置き、肌を撫でることで全身を覆う皮膚感覚が敏感になり、自分自身で考える力、感じ取る力、つまり感性が高まります。
これまでは外からの情報、権威ある人やものからの言葉に左右されていたのが、自身の感性をより大切にできるようになります。
これは情報過多の現代人に最も欠けている力です。

 

意識、価値判断の基準を常に自分の内に置くこと、そのための感性を高めること、そんな自分という宝物を大切にし、活かすことが自分を愛し優しくすることです。

 

自分に優しく<2> へ