生命への感謝

形には意味があり、目に見える形を整えるから目に見えない、その奥にある心も整います。
そのことは頭では分かっていても、やはり実践を通さなければ、なかなか深く心で理解することはできません。

型を重んじる日本の武道、茶道、華道、道と呼ばれる世界。
自分が実践しているところでは、トイレ掃除も心磨きの道標となるものがあり、それは掃除道と呼ばれています。

日々お風呂の中で自分の身体に感謝を捧げる時は、実際に感謝の言葉を唱えるとともに、視線をそこに向け、手のひらで身体各所を丁寧に擦ります。
丁寧とは、上下左右であれ円の動きであれ、それを美しく見える形でするということ、決してぞんざいに行ってはいけません。
ぞんざいにしては心がこもらず、また心を込めていれば必然的に丁寧な動きになるはずです。

これは掃除で水拭きする時も同じです。
身体に感謝の思いを捧げる時と同様に、その拭いている箇所に思いを寄せ、感謝の言葉をかけると同時に、雑巾を持つ手を丁寧に動かします。

型を重んずることによって心を整え、心を寄せることによって必然的に動きも丁寧になるのです。

 

食べ物を噛むこともまた同じ、食べるとは、食べ物の生命をいただくこと、その命に深く感謝していれば、必然的に食べ物をゆっくりと丁寧に食べるようになるはずです。

そしてこれも「逆もまた真なり」で、ゆっくりと咀嚼することにより、自然と食べ物への感謝の気持ちが芽生えてきます。

 

丁寧に、ゆっくりと咀嚼することを心がけるようになり、いろんな世界が開けてきました。

今、「新たなる生命の時代」の改訂作業に取り組んでいて、いろんな新たなアイデアが湧いてきて、ワクワクしているところです。
HTML(通常のwebページ)バージョンも作りかけていますが、本文の改訂が終わらない限り、これが完成することもありません。
現在は目次と以前のバージョンのpdf版だけです。→「新たなる生命の時代」

この中に、コラムとして以前ご紹介した「いのちをいただく」を入れようと考えています。
これは、食というのは生命をいただくこと、その生命を尊ぶことの大切さを教えてくれる大切なメッセージだと考えています。
あらためて以前ご紹介した、その全文を再掲します。

 

~ いのちをいただく ~

その絵本の帯に、一人の名もない主婦のメッセージが書かれていた。
「朗読を聞いて、うちのムスメが食事を残さなくなりました」
絵本に「坂本さん」という人が登場する。 実在の人物である。

坂本さんの職場では毎日毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。
牛を殺すとき、牛と目が合う。 そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」
と思っていた。
ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。
「明日の牛か・・・」と坂本さんは思った。
しかしいつまで経っても荷台から牛が降りてこない。 不思議に思ってのぞいてみると、
10歳ぐらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何かを話しかけている。 その声が聞こえてきた。
「みいちゃん、ごめんねぇ。 みいちゃん、ごめんねぇ・・・」
坂本さんは思った、「見なきゃよかった」
女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。
「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。 だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。
ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。 明日はよろしくお願いします・・・」
「もうできん。 もうこの仕事はやめよう」と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。 しのぶ君はじっと聞いていた。
一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。
「やっぱりお父さんがしてやってよ。 心の無か人がしたら牛が苦しむけん」
しかし坂本さんは休むと決めていた。
翌日学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。
「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」
坂本さんの心が揺れた。 そしてしぶしぶと仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。 坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。
「みいちゃん、ごめんよう。 みいちゃんが肉にならないとみんなが困るけん。 ごめんよう」
と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。
殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。 坂本さんが「じっとしとけよ、じっとしとけよ」と言うと、
みいちゃんは動かなくなった。
次の瞬間、みいちゃんの目からは大きな涙が落ちた。
牛の涙を坂本さんは初めて見た。

心を込めて「いただきます」「ごちそうさま」を

 

これは、「絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」として出版されている絵本の本文を一部抜粋し要約したものです。

その本文を朗読している動画があり、今日それを見て涙しました。
ホームページには貼り付けられないようなので、リンク先からご覧ください。
<『いのちをいただく』朗読>

これを見て、自分が以前よりも食べ物、そこにこめられた生命に対してより深く感謝できるようになっていることを知りました。

これまでも食べ物は残さずいただくことをモットーとし、食品スーパーでは賞味期限の近いものから買うように心がけていました。
けれどまだまだゆっくりと咀嚼するということが足りていませんでした。

このたび咀嚼を強く意識するようになり、そこに思いを込めようという気持ちはまったくなかったのですが、咀嚼という形を求めることにより、自然と食べ物への思いも深まっていったようです。

 

食べ物とは他の生きものの生命そのものであり、生きるとは、他の生きものの生命を継承することによって成り立っています。
そう考えたならば、食べ物にはやはり深く感謝するしかありません。

絵本の中にはそのことが具体的に書かれていて、最後は牛のみいちゃんに涙した女の子も、家族と一緒にみいちゃんの肉を、その生命に感謝しながら食べる場面も出てきます。
それは見方によってはとても残酷なことで、絵本のカスタマーレビューでは、それを痛烈に批判したものもあります。

今日現在、この絵本にひとつ星の評価をしたレビューが10件あります。
<ひとつ星のレビュー>

自分はこの人たちと同意見ではありませんが、こういった感想を持たれることは十分に理解できます。

皮肉ではなく、こういった自分とは違う見方をする人の意見はとても参考になり、同意見の人のものよりも見識を広げるのに役立ちます。

 

生命とはこの世で最も尊く、そして身近なもの、
だからこそ奥深く、様々な見方がそこにあるのでしょう。

けれどそれに対して感謝をしなければならないというのは同じです。

食べるとは生命をいただくこと、そのことに深く感謝し、食べものをしっかりと咀嚼し、よく味わってください。

心を込めて「いただきます」「ごちそうさま」を

 

*** 「命の教育」」に続きます。 ***