エセ・コロナ禍 > 全体主義への道<2>

全体主義への道<2>

全体主義への歩みは一歩一歩、静かに歩み寄ってきています。
全体が危機に瀕した時、個人に制限を課すのは致し方ありません。
その制限は法律であったりマナー、エチケットであったり、種類によって実質的な強制力は様々です。

日本は倫理観の高い島国で、阿吽の呼吸で周りの様子を察し、『言わぬが花』で不文律となっているルールが数多くあり、忖度、同調圧力は日本の文化とも言えるものです。

このたびのエセ・コロナ禍ではその日本人的性質の弱点が露わとなり、危機感を煽る政府やメディアの意図した通りに日本人は互いの顔色を窺い、自粛警察となり、他国のように国民の権利や行動を制限する法律を持たない環境下で互いの自由な行動を監視し合っています。

その意味では日本は法治国家ではありません。
法律以上に大切な倫理観があり、それでもって日本はこれまで治安のいい国家を維持してきましたが、今はそのマイナス面が大きく出ています。

 

コロナ騒動が始まってしばらく経った頃、ある倫理観の高い方から「マスク着用はエチケットだ」と注意を受けました。
その頃はすでにコロナ疑惑を強く感じていたので、そのエチケットという言葉の意味を深く考えざるえませんでした。

エチケットとは、法律、規則で規制するほどではないものの、公益性、道徳的観念から見て守った方がいいルールです。
このたびのエセ・コロナ禍におけるマスク着用の問題は、危機を煽るメディア報道によってノーマスクに不安を持たれる方が多くいて、その方たちの不安を和らげるという面ではマスク着用はエチケットであるとも言うことができます。
けれどそこにはマスク着用が健康面でプラスになるという科学的根拠も着用を義務とする法的根拠もなく、逆にマスクはコロナに対する恐怖心を必要以上に高め、社会を混乱させる元凶となり、死を招くワクチン接種へと誘導するものであって、自分はこれをエチケットとは考えません。

 

この義務も必要もないコロナ禍を煽る偽りのアイテムであるマスクの着用を、法的根拠を基に飛行機内で拒否し、飛行機の運行を妨げたとのことで搭乗を拒否され、警察で事情聴取を受けた呉市議の谷本誠一氏のニュースが昨日から全国を駆け巡りました。

谷本市議は自分たちとともにコロナの真実を伝える同志です。
詳しい顛末は同乗者でともにノーマスクで搭乗拒否された高橋清隆氏のブログで報告されています。
<高橋清隆の文書館 : 2022年02月07日>

全体主義とは個人の権利を剥奪し、ごく一部の支配者層に大多数の国民が従属させられる社会です。
過去の季節性インフルエンザよりも死者、重症者が少ない新型コロナウイルス対策の名の下に、移動の自由、営業の自由、教育の自由、飲食、娯楽の自由、様々な私権が歯止めなく剥奪され、この流れは今後も続くものと考えられます。
そしてこれがこのたびのエセ・コロナ禍を計画した者たちの大きな目的の一つです。

今回のマスク騒動は当然のことながら既存メディアは否定的報道一辺倒ですが、これは日本の全体主義化、言葉を選ばずに言えば奴隷社会化への動きにストップをかける大きなチャンスと考えます。

情報によると、呉市議会は谷本誠一市議に対して議員辞職勧告決議案を提出する動きにあるそうですが、市役所には谷本市議を応援する電話が300本ほどかかっています。
そして自分たちの仲間は17日に呉市役所前での抗議街宣を計画しています。

やはり今が正念場、いまだ真実を知る者は少数派ですが、着実にこの歩みを続けていきます。