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直すから治すへ

健康だけが取り柄の自分ではありますが、ここ一週間ほど体調を崩し、日々必要最低限のことをするだけで悶々とした日々を過していました。

ここ三十年間、歯と縫うほどの怪我以外、医者や薬のお世話になったことはほぼありません。
その間風邪やインフルエンザ、腎臓結石や突発性難聴にもなりましたが、すべて薬を飲むことなく自力で回復してきました。

今も考えようによってはかなり辛い状態ですが、ネットで養生法などを調べ、日々の生活と心のあり方を見つめ直しています。
また完治した暁には詳細をご報告いたします。

 

何事もマイナス面だけというものはありません。
起こってくることはすべて必然、そこから何を感じ取り、学ぶかです。

『ものの価値はそのもの自体にあるのではなく、それを自分がどう捉えるか、その中にこそ存在します』

これは自分が長年最も大切にしてきた価値観のひとつです。

今は「引き寄せの法則」が当たり前に語られるようになり、心と身の回りに起こる現象が完全にリンクされているという認識が広まってきました。
だとしたら、起こってくることはすべてに善悪をつけるのではなく、それをいかに活かしていくか、それのみを考えるべきです。

 

体調を崩して考えたこと、

ひとつは、これまでの日常がいかに有り難いものだったかということで、これは病気になった多くの人が語ることです。

体調が悪いと日常生活すべての作業に苦痛が伴います。
食欲もなく、食事を美味しいと感じることができず、普段の何気ない喜びすべてが色褪せてしまいます。

日々の当たり前の暮らしにもっと感謝をしなければ・・・、いつもインドに行って感じていることを再認識しました。

 

二つ目は、それに伴って暮らしのひとつひとつを見つめ直さなければと感じました。

自然治癒力を高めるため、普段惰性でしていることも改善すべき点は改善し、生活を正し、夜更かしや偏食などあまりよくないと感じていたことをこの期間だけでも正そうと努力しています。

そしてその結果体調がよくなったなら、どの生活習慣が体にどんな影響を与えていたかおおよそ見当をつけることができます。
自分はそういった反応が人一倍顕著に現れる方なので、それがよく分かるのです。

『一病息災』これを機によりよい生活習慣を身に付けたいと考えています。

 

さらには、体の不調は体から何らかの異常を知らせるサインです。
そのサインを感じ取り、ただ症状を抑えるのではなく、その根本原因を治していきたいということです。

よく言われるのは、例えば風邪を引いて発熱するのは、体温を上げて免疫力を高めるためであり、それを無理に解熱剤で抑えるのはデメリットが大きいということ。
同じく風邪の時に出る痰や鼻水も排毒作用による体内の毒素であり、それは体に大きな負担がかからない限り、出るものはしっかり出して上げるのがいいと言われます。
その上でなぜ風邪を引いてしまったのかを考え、そのための養生を日常生活の中でするということが大切です

風邪自体が一種の排毒作用を担っているので、それを毎回押さえ込んだり、ほとんど風邪を引いたことがないという方は、癌や心臓病といった重大疾患により罹りやすい傾向にあるそうで、風邪、風邪の諸症状イコール即悪であって抑えるべきものというのは誤りです。

足裏にはツボが集中していて、こんな図をよく目にされたことあると思います。

足裏のツボ

ですから足の裏や指にできるタコや水虫は、全身のどこに不調があるかを示す重要なサインです。
つまりタコや水虫はそのできる場所に意味があり、それを削ったり薬を塗って治せばそれで終わりといったものではないのです。

 

熱があるから薬を飲んで熱を下げる、タコ、魚の目を切り取ってしまう、もっとシビアに言うならば、どこか不具合のある内臓を切除する、それが無駄だとは言いませんが、それは対処療法的な治療であり、病気や症状を「治す」のではなく「直す」ということをしているに過ぎないのだと考えます。

これは東洋医学、中医学的な病に対する見方であり、これまで主流であった西洋医学に最も欠けていて、かつ最も大切なポイントです。

自分は今これまで未体験の病と向き合い、その症状が現れた意味、原因、それを治していくための方法を自ら体の状態に耳を澄ませながら探っているところです。

 

この「治す」ということの大切さは医学だけではありません。
この世の中すべてのことに対してこの根本的の原因究明、そして治療が求められています。

人類は完全に爛熟しきった現代文明の下、これまで歴史上経験したことのないほど巨大な文明、価値観の転換期に晒されています。

ここで求められているのは疲弊しきった旧時代の文明、価値観の放棄と、それに換わる新たな文明、価値観の創造とそれを発展させていくことです。

政治、経済、医療、教育、農業、・・・すべての社会制度は深い共生関係にあり、この中の何かが魁(さきがけ)になることはあっても、ひとつだけが大きく変るということはありません。
求められているのは“すべての大転換”です。

それが「世直し」ということですが、文字で考えるならば、本当は世直しではなく『世治し』でなくてはなりません。

 

旧時代から新時代へとバトンをつなぐための世治しは、まず最初は旧時代の価値観に対する禊(みそ)ぎをすることであり、そのためには「臭い物に蓋をする」ということがあってはなりません。

911テロはアメリカがあからさまな自作自演の証拠を数多く残すことにより、アメリカ至上主義の西側世界文明終焉を導くものだったと考えられますが、残念ながら現在に至るまでそれが公には認められていません。

日本でも「森・かけ・桜」数々の疑惑を残しながら安倍内閣は終わりを迎えました。
最近でも公文書偽造問題で自殺に追い込まれた元近畿財務局職員赤木俊夫さんの奥さんの悲痛な叫びが耳に残っていますが、調査直前に会員名簿は廃棄されているので再調査できないというのはあまりにも理不尽で情けないものです。

巨額詐欺事件で数年前から大きな社会問題となっていたジャパンライフも、このたびようやく「桜を見る会」に複数回招待されていた主犯の元会長が安倍総理辞職を待っていたかのようなタイミングで逮捕され、アベノマスク業者選定、検察庁長官定年延長、賭け麻雀問題、すべてに明らかにできない忖度が働いていると思わざるえません。

安倍内閣が過去と比べて巨悪体質だとは思いません。
政治とはそんなものと言ってしまえばたぶんそうなのでしょう。

けれどこんな疑惑が当たり前といった政治体制の下で、日本が新たな文明秩序を築き、人類史上最大の文明転換期を盟主として舵取りできるとは到底思えません。

「世治し」に誤魔化しはききません。
臭い物に蓋をしたその上に、新たな城を築くことはできないのです。

 

ではどうしていくべきか、それが今を生きる一人一人に与えられた課題であり、結末がどのような形で迎えようが、そこに至る努力の過程に魂レベルでの深い意味があると考えます。

「治す」ための本質が見えなくなると、逆に大切ではない枝葉末節に意識の目が向くのでしょうか。
そんな面白い画像をツイートで先日見たので、それを最後にご紹介します。

 

赤ペン先生もはねとられませんが・・・

 

たしかに!

 

次回からカラーでお願いします。

 

○は下から書くのが正解だそうです。

 

こっちの字を書ける方が偉いですね。

 

そう言われてみればそうですね。

 

子どもは無限の可能性を持っています。
それを引き出し、育んでいくのが教育ではないでしょうか。