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『トイレ掃除は心磨き』
公衆トイレの清掃や街のゴミ拾いをするようになって今年で16年になります。
これまで続けてこられたのは、楽しいから、心地いいから、それが唯一の理由です。

その間自分の心が磨かれたかどうかは分かりませんが、たぶんトイレ掃除と出合っていなければ、今の自分は大きく違っていただろうと感じます。

「トイレを掃除するとお金持ちになる」
こんなことを言う方がおられますが、残念ながらそれを体感したことはありません。

「トイレ掃除は奇跡を起こす」
これはたぶんそうだろうと思うことは多々あります。
掃除をした後は本当に気持ちよくて爽快で、夜お風呂で汗を流した時のサッパリ感は格別です。
そしてその後のビールの味も・・・。
これだけ心に素晴らしいものを受け取ることができるのですから、外の世界もその影響を受けないはずがありません。

「困った時、苦しい時は原点に立ち返れ」
これは誰しもが考えることでしょう。
そしてその原点は人によって様々で、自分にとってこの大切な原点のひとつがトイレ掃除です。

トイレを無心になって磨いていると、自分の心の中も同時にキレイにしていくような気がします。
そしてただ今生きていること、それが本当に有り難い、そんな思いになってくるのです。

今というこの瞬間、存在、素のままの命に感謝すること、これが究極の原点だと感じます。

 

日本は世界でも指折りのキレイな環境を保っている国です。
そしてその対極がインドかもしれません。

インドに行くと、日本とはまったく違う光景を目にします。
街にはゴミが散乱しています。
トイレも決して清潔とは言えません。
しかし、その中で人々は驚くほど力強く生きています。

ここで一つの疑問が浮かびます。
「清潔であること」と「人間の豊かさ」は、本当に比例するのか?

日本は世界でも有数の清潔な国です。
しかし同時に、

  • 他人の目を過剰に気にする
  • 失敗を恐れて動けない
  • 責任を回避する

そうした弱さも抱えています。

日本人とインド人は、浄・不浄の考え方が根本から違うのですから、ゴミや汚れに対する見方が異なるのは致し方ありません。

いつも訪ねる児童養護施設では、プラスチックやビニールのような不燃ゴミを躊躇なくそこら中に捨てますが、その代わり毎朝の清掃では、落ち葉や木の枝をほうき目が芸術作品であるかのごとく美しく掃き上げます。

南インドのホームの子どもたちの掃除 南インドのホームの子どもたちの掃除 南インドのホームの子どもたちの掃除

またトイレの便器も汚れてはいますが、インドの水は日本とは違ってミネラルを大量に含んだ硬水で、どうしても水垢がこびりついてしまいます。
水垢は汚れでも、自然とともに暮らす彼らにとっては自然の一部なのかもしれません。

それでも自分が這いつくばって便器を磨いてキレイにすると、見ていた子どもたちはより尊敬と親しみを持って接してくれるようになったので、キレイなのはいいこと、キレイに掃除する人はいい人間という意識があるのかもしれません。

インドでのトイレ掃除

 

こんなふうにトイレ掃除のことをいろいろと考えたのは、奥多摩でトイレ清掃を業務としているオピトという会社の人たちの、実に楽しくかつ素晴らしい仕事ぶりがYouTubeで紹介されているのを見たからです。

これを見ていて、オプトの人たちの気持ちがよく分かります。
トイレのこびりついた汚れは簡単には落とせません。
腕に力を入れ、そのためには“腰を入れる”必要があり、這いつくばって磨くのが最も効率的なのです。

トイレの床に寝っ転がっている場面がありますが、入念に掃除をすると、その磨いた場所が心からいとおしくなってきます。
掃除する前はアンモニア臭が漂っていたその場所が、掃除とともに臭いが消え、最後は磨き上げた時の思いが空間に伝わり、まるで高原のような爽やかな空気が漂います。
これは決して大げさではありません。

そして従業員の方たちの素晴らしい笑顔、この笑顔の底にある喜びは、トイレ掃除を熱心にしたことのある方ならみなさん理解できると思います。

 

トイレ掃除、できれば自分が掃除する義務のない、他人が汚したトイレ掃除を体験してみてください。
そこから得られるものは、言葉では言い表せません。

ボクは日本一かっこいいトイレ清掃員