愛しのミーちゃん

右耳

今から一年近く前、右耳の調子が悪くなったと書きました。
十年かもうちょっと前からだと思うのですが、時折右耳の聴力が落ちたり歪んで聞こえたり、耳鳴りが起こったりということを周期的に繰り返してきました。
その不調が数年間落ち着いていた昨年の秋、突然右耳が詰まったような状態になり、聴力が著しく低下しました。

過去不調のピーク時には完全に聴力を失ったこともあり、考えようによっては深刻な状況ですが、これまで一度も医者にかかることも薬を飲むこともなく、なんとか自力で回復させてきていて、今回も自分なりに回復の努力を続けています。
(知り合いからいただいた漢方薬は飲みました)

今回は不調になってすぐ、知り合いの整体師に何度か整体をしてもらう機会があり、それは確実に効果があったように感じます。
身体の不調の根本原因はすべて全身のバランスから、この東洋医学、整体の見方は当を得ていると感じます。

最初に右耳の調子が悪くなってからは、絶好調期でも右耳の聴力は左耳よりも若干下回った八割か九割程度で、今回調子が悪くなった昨年秋からは、この絶頂期と同等の状態から二割程度を大きな波のように何度か繰り返し、最悪の数日間は以前経験した完全失聴という状態にまで落ち込みました。

 

『一病息災』
どこか身体の調子が悪くなるたびにこの言葉を胸に刻みます。
今回も耳の調子を振り返りながら、日常生活の中で身体と耳をどのようにして労るか、そのことを随分と考えました。

それでもお酒を飲んだり夜更かしをすることもありますが、耳の状態は日によって異なり、また一日の中でも波があるので、日々の生活と耳の状態はどういった因果関係があるのか、ネットで調べた耳ツボマッサージはどんな効果があるのか、そんなことを深く追い求め、お陰で身体と思い、行動との関わりをより深く感じ取れるようになりました。

一昨年からエセ・コロナ禍が始まり、本当にとんでもない世の中になりました。
日本も世界も徐々に本格的な危機的状況を迎え、個人的我欲も大いに吹っ飛び、この耳に対しても“絶対によくならなければならない”という執着はありません。
これは年齢的なこともあるのかもしれませんが、“絶対に治らなければ”というあせりの気持ちよりも“今少しでも聞こえている、この状態が有り難い”という感謝の思いが勝り、これは心身の健康、耳の回復にとってプラスだと考えます。

これまで、以前のホームページも含めたくさんの健康に関することを書いてきて、その中で最も大切にしているのは、自分の身体に声をかけ、手当てをする「身体との対話」です。

この身体との対話はもう二十数年続けていて、この重要性と効果を疑ったことはありません。
そしてこれをさらに徹底しようと、不調の右耳に名前を付けることにしました。
この身体との対話をするキッカケとなったのは左肘のしゃ骨骨折、その際に左肘に「サッちゃん」と名前を付けたように、右耳にも「ミーちゃん」と名前を付けて、懸命に声をかけました。
少し不調だけれど、日々一生懸命音を聞き取ろうと顔晴っているミーちゃんです!

やっぱり名前を付けてする声がけは思いがこもりますね。
傷付いた右耳への愛しさが募り、ただ感謝と労りの気持ちがわき上がってきます。
もちろんそれでもってよくなりたいという気持ちはありますが、それは二の次であり、よくなるにしてもそれは自分のためではなく、右耳を少しでも労りたいからという思いが自然と先に立ちます。

ミーちゃんに、
「あなたを労ってあげたいのだけれどどうしたらいい?」
と尋ねました。
するとやはり返事が返ってきました。
あるマッサージ方法を思わぬ形で入手でき、それを実践することで明らかに状態がよくなりました。

それがつい数日前で、ここ半月ほどは耳の状態は上向きです。
いつもその状態をチェックするため、イヤフォンを付けて同じ曲を聴いていて、最近は以前よりもよく聞こえるようになったので気分最高、そしてそれがミーちゃんの感謝へとつながりと好循環です。

 

さらには数日前、本棚にあったこの「本当の自分に出会えば、病気は消えていく」が思いがけず目に入り、パラパラと再読し、やはり自分の思いが病を創造していたのだということを再認識しました。

この本は数年前に出合い、とても得心できたので何冊か買って知り合いにプレゼントしました。

病は治療して治すものではなく、自分の意志で“やめる”ものである。

 

人間の生命の本質は永遠不滅の魂です。
そして人間は肉体を持ち、有限の生の中を生きることで様々なことを学び、その学びの大元となる肉体の健康を維持することで多くのことを感じ取ります。

この健康に関する知恵をもう少し分かりやすくまとめてみようと考えています。