昨日インドのモディ首相が全国民に向け、5月3日まで延長されていたロックダウンをさらに二週間延ばし5月17日までとすることを宣言しました。
これで人類史上最大のロックダウンは七週間あまり続くことになります。
日本も緊急事態宣言の延長がほぼ決定され、日本もインドもコロナ禍に苦慮している状況に変わりありません。
ここインドでは貧しい出稼ぎ労働者たちが交通機関がすべて止まっている中、水も食料もお金も十分に持たず、百キロを超える道のりを徒歩で移動し、何人もの死者が出ています。
12歳のマクダムさんという女の子は150キロ先の故郷を目指して歩き、15キロ手前で力尽きて亡くなったことが大きな話題となっています。
現在インドの幹線道路の要所要所には警察官が立ち外出規制を行なっています。
彼女はその規制を回避するために藪の中を歩いたりしたそうです。
インドでは毒蛇やサソリも珍しくありません。
そんな道中をどんな苦しい思いをして歩いていたのか・・・、それを思うとただただ胸が痛みます。
日本でもインドでも、国民の生命、健康を守るということと経済を維持するという関連は深いものの両立し難い二つの命題の間で苦しんでいます。
コロナ禍はいつ終焉するのか。
そのためにはどうすればいいのか。
これから社会はどう変わっていくのか。
自分はこの先どうしていくべきなのか。
また今現在どうすべきなのか。
まったく先の見通せない不安が募ると同時に、自分というものが見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
今は世界中の人が、それぞれの立場、状況で、不安と戸惑いを抱えておられます。
自分もいつ日本に帰国できるかまったく分からない状況の中、ビザは先月切れてしまい、不安に思えばいくらでも不安の材料はあります。
けれど幸いなことに、今いるところは極めて環境がよくて安全で、周りのインド人たちも家族同様に接してくれるので日々困ることはまったくありません。
逆に保養施設にでもいるかのような快適さに浸っています。
そんな中でもあまりにも急な状況変化に戸惑いを感じることがあり、そんな時は自分にとっての原点は何なのか、それを見つめるようにしています。
原点とは、その人にとって生きる上で最も大切なもの、生きがい、使命、天命、そういったもので、それは人それぞれ異なります。
自分にはこれまでの人生で感じ取ってきた大切な思いや価値観、絶対に忘れてはならないものは数多くあり、二十歳の時に自ら誓った神の道、十年前に二度の死に目に遭って感じた今は天命を果たすべく特別に与えられた余生だということ、母の死から教わった永遠の生命、関空で体験したすべてを手放すと起こる奇跡・・・、戸惑いを感じる時はこれらを思い出し、噛みしめるように心に刻んでいます。
原点の形は人それぞれ違っても、ある場所はみな同じです。
それは心の中、各人の胸の中にしっかりと刻み込まれています。
ですからその思いは外ばかり見ていては気がつきません。
意識が外にばかり向かっていると、心の中にあるものでもそれを見過ごしてしまうのです。
今は不安を打ち消すため、意識はどうしても外に向かいがちです。
不安が怒りに変化し、政府や中国などの批判に躍起になっている方がおられます。
その怒りに正義の仮面を被せ、営業している店に非難の電話をしたり、他県ナンバーの車に傷をつける人もおられます。
積極的にいい情報を集めようとしている人も、承認欲求が動機である場合、それが自然とエスカレートし、心の中は次第に空虚なものへとなっていきます。
SNSを頻繁に利用する人が、自己肯定感、幸福度が低くなるのは事実です。
そんな不安を抱え、外に意識が向いてしまう今だからこそ、意識を内側に向け、原点を見つめ直すことが大切です。
原点は各自それぞれが持っているもの。
そしてもうひとつ、万人が共通して持つ原点があり、それが今ここ、この瞬間という存在そのものの原点です。
これもまた、自分の内側ということで共通しています。
不安、不満、怒り、それらはみな自分の外の空間、あるいは過去の後悔、未来への不安といったように、現在から離れた時間の中に存在します。
ですからそこから解放されるには、今この瞬間、自分の内を見つめることが最も望ましいのです。
それが瞑想であり、その瞑想とは自分の内を見つめ、今この瞬間に意識を集中することです。
これは引き寄せの法則でよく言われる「理想の未来が実現されたかのようにイメージする」といったことではありません。
今を見つめ、今この瞬間の有りのままの事実がいかに満たされているか、その“真実”を感じ取るのです。
これはヴィパッサナー瞑想と呼ばれているもので、今行なっている呼吸、聞こえている音、座っているお尻の感触・・・、徹底して今を感じ取ります。
瞑想を勧めているサイトや本はたくさんあり、その効能は多くの人が知るところですが、実際に行ってみると、「30秒ほどしか集中できなくて・・・」と言って挫折される方が多いようです。
けれど30秒もできれば十分です。
これは実体験として感じるところです。
身体を労わり、言葉をかけて撫でる「身体との対話」の大切さはこれまで何度も述べてきました。
その流れで「爪もみ」は、身体の末端にあって究極の身体への感謝行です。
人体に不要な箇所など一箇所もありません。
けれど人間の意識は普段は身体の中心部に集まり、その末端、手足の指先に意識がいくことはほとんどありません。
足の指一本が欠けるだけで歩きは途端に不自由になるというのに、その指に感謝することなどまったくないのです。
ですから全身への感謝の表現として、最も意識が行きにくいところにある「爪もみ」はとても大切です。
自分はこの「爪もみ」を毎日の入浴時に楽しみながら行なっています。
それでも一本の指にかける時間はわずか二秒程度です。
一日は24時間、1440分、86400秒、2秒というのはその43200分の1です。
それでも十分に満足できているのですから瞑想も同様でしょう。
一日一回30秒、その間だけ自分の内側、今この瞬間を見つめ、それをまたひとつの“原点”として日常を過ごせばいいのではないでしょうか。
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