アヴェ・マリア

アヴェ・マリア

アヴェ・マリアとは「こんにちは、マリア」を意味するラテン語で、アヴェ・マリアと題した曲は、シューベルト、グノー、カッチーニの三曲が有名です。
それぞれみなよく知られた名曲ですが、その中でも特にカッチーニのアヴェ・マリアに深い思い入れがあります。

カッチーニのアヴェ・マリアは三曲の中でも動より静、歓喜よりも慟哭とも言える悲哀を感じさせる精神的、霊的な印象を強く持ちます。
これは自分の感性とマッチするものであり、またある知り合いの音楽家から
「サカイさんの険しい生き方はカッチーニのアヴェ・マリアを思わせます」
と言われたこともあって、愛着にも似た親近感を持っています。

そのカッチーニのアヴェ・マリアでこれまで最も数多く聴いてきたのが寺井尚子の演奏するもので、iPadやスマホに入れて数百回は愛聴しています。
インドにいる時にも夜部屋を暗くした中で聴き、内省的気分に浸ったものものです。

彼女の音の魅力は芯の太さ、逞しさ、そしてしなやかさです。
途中アドリブパートの深く沈んだ響きは、まるでヴァイオリンから一回り大きなヴィオラに持ち替えたかのようで、この音は彼女の肉体的特質である体幹の強さと柔軟さがなければ決して出すことはできません。

外見を見る限り彼女の顔つきや体型は収縮力の強い陽性タイプで、内面にある強いエネルギーを内に秘めたまま、そこから大きな悲しみとそれを乗り越えようとする強さ、この対極のものがにじみ出るようにあふれ出し、そこに心揺さぶられます。

彼女は通常のクラシックではなく、少しニッチなジャズヴァイオリニストというスタイルで活動しているのも、その躍動感ある強い肉体的特質があるがゆえだと感じます。

 

最近好んでよく聴くのが若く美しい髙木凜々子というヴァイオリニストです。
彼女のチャンネルのどんな曲を聴いても実に優美かつ繊細に弾きこなし、世には埋もれた才能が数多くあるのだということを知りました。

個人的嗜好なのでしょうが、彼女の音はほんわかと幸せな気分にしてくれます。

 

そしてつい最近出合った松本尚子のアヴェ・マリア、これには驚きました。
サムネイルに“究極の”と書かれていて興味を持って聴いてみたところ、たしかに究極の何かを感じます。

これは頭でいい悪いを感じる以前に身体が反応を示します。
言葉で言えば胸に響くということですが、耳から胸に伝わって何かを感じるのではなく、耳ではなく身体自体が音を感じ取って反応するという感覚で、これは滅多に体感することではありません。

寺井尚子の演奏が胸の奥から肉体的に体幹に響くとすれば、松本尚子のそれは同じく胸の奥でも魂の琴線を震わすといった感覚です。

 

先月11月20日、広島平和公園の原爆ドーム対岸のステージで、世界的ダンサーである那須シズノさんと広島祈りの舞人の祈り舞を撮影し、動画としてアップロードさせてもらいました。

ここで音楽として使われていたのがやはりカッチーニのアヴェ・マリアです。
カッチーニのアヴェ・マリアは鎮魂の場の空気にとてもふさわしいものです。

 

作曲家織田哲朗さんのインタビューを聞いていた中で、彼が作曲し他の人がプロデュースした曲の中で最も出来のよかったのは酒井法子の「碧いうさぎ」だと語っていました。

「碧いうさぎ」、本当にいい曲だと思います。
このパソコンの中にも動画を保存し、以前は何度も聴いていました。

久しぶりに再び聴いて、曲、アレンジ、何より酒井法子の歌唱とその表情、手話をする仕草に素晴らしいものを感じます。
そしてこの曲の後、酒井法子が薬物、逃亡事件を起こしたことはよく知られています。

この曲の中で彼女が演じる“善の姿”は完璧です。
これを見て思うに、彼女の中に善とともに善と対極の悪をもしっかりと存在するがゆえ、善を客観的に演じられたのではないかということです。

両極あわせ持つ、これが太極であり、このバランスである中庸が大切です。

深い悲しみを感じるがゆえにその中に喜びを見いだせる。
カッチーニのアヴェ・マリアの音楽としての深さもこの太極にあると感じます。

 

これはトイレ掃除も同じです。
この写真は今日撮ったもので、広島市内の公衆トイレをみんなで掃除しました。

トイレ掃除

便器の中に頭を突っ込み、究極の穢れを受け入れるがゆえに美しいものが見えてくる、これがトイレ掃除の本質です。

 

日本人の潔癖志向はマスク着用率、ワクチン接種率世界一、手のひらの免疫作用を受け持つ常在菌をも死滅させる消毒液を常用し、太極とは別のアンバランスな片極へと突き進んでいます。

けれど日本はその国旗が示す通り、太極を完全に受け入れ、その上ですべてを融和さすところにあると考えます。
今こそ目覚めの時です。

日本国旗