内なる輝き

小林愛実

世界で最も権威あるピアノコンクールといえばショパン国際ピアノコンクール、五年に一度、5の倍数年に行われるショパンコンクールは、昨年2020年は新型コロナウイルスの影響で一年延期となり、このたび第18回大会が開かれ、日本人参加者が二名入賞したということが大きなニュースとなりました。

ショパンコンクール参加には16歳から30歳までという年齢制限があり、数少ないチャンスという意味ではスポーツ選手にとってのオリンピックと同等かそれ以上かもしれません。

日本人二人が入賞というのは快挙です。
特に四位に入賞した小林愛実さんは彼女が幼い頃から応援していて、このホームページでも彼女のことは何度か書いたことがあります。
二人がどのような演奏をしたのか早速YouTubeから聴いてみることにしました。

反田恭平さんの名前は以前から耳にしていましたが、演奏は聴いたことがありませんでした。
ショパンコンクールは一次、二次、三次と予選があり、各予選はピアノソロで、十名にしぼられた本選ではピアノ協奏曲を弾くことになっていて、その本選のコンチェルトを聴きました。

出だしから素晴らしい音の響きでとても力強く、音楽としての骨格が安定していて、並々ならぬ力量を感じさせます。
その上表現が多彩で、ゴージャスという言葉が頭に浮びます。

表現の多彩さでは2000年、第14回コンクールで優勝したユンディ・リを彷彿させますが、彼がどちらかというと女性的な優美さを持つのに対し、反田さんの多彩さには男性的質実剛健といったものを感じます。

自分はどちらかというと男性的な演奏は好まないのですが、反田さんの演奏には最後まで魅せられました。

風貌も音楽性も技術も、とても二十代のコンクール参加者とは思えない風格があります。
この素晴らしい演奏で二位・・・、前回よりもレベルが上がったのでしょうか。
反田さんは年齢的に今回が最後の出場、これからまず間違いなく世界に大きく羽ばたいていかれることでしょう。

 

続いて小林愛実さんの演奏を聴きました。
同じくファイナル(本選)のコンチェルトです。

彼女は前回第17回のコンクールにも参加し、今回同様最後の本選にまで残ったものの、十人中六人の入賞を逃してしまいました。

普通はファイナルまで辿り着けるだけでもすごいことですが、彼女のそれまでの演奏実績から考えると、決してキャリアに輝きを与えるものとはならなかったと思います。

ショパンピアノ協奏曲第一番、その長い約四分間のオーケストラの演奏の後、おもむろにピアノのパートが入ります。
まさに満を持してといった緊張感とともに奏でられるピアノの音色に、彼女の思いのすべてが込められているようです。

正直言って、反田さんの演奏と比べるといくぶん音が軽く感じられます。
もちろんそれは極めて高いレベルでの比較です。

今回の演奏は、前回六年前のものよりもより情緒的であり深みを感じます。
それはこの六年間練習を積み、経験し、考えてきたことの重みそのものだと思います。

その重みの中身は決して楽しいことばかりではなかったでしょう。
彼女の奏でる音からそのすべてが胸に染み込んでくるようで、聴いていて自然と胸が熱くなり、涙がこぼれました。

まだ小林愛実ちゃんと呼ぶにふさわしい幼い頃からの彼女の演奏を耳にし、今に至りその姿を画面で見て、これは感動ではなく、喜怒哀楽といった単純な感情でもない、その間の彼女の生き様を感じ、その重みを受けての生理的反応のように感じます。

本当に深い思いは言葉で言い表せません。

 

幼い頃の愛美ちゃん、卓越した技量の上に、全身で音楽の喜びを表現するその様は、媒体である音楽の存在を忘れさせるほどの生命の輝きに満ちていました。

けれどその表現力が卓越していたがゆえ、周りから絶大な期待と賞賛を受け、これはまったく自分勝手な想像ですが、これまでかなり苦しい思いをしてきたのではないでしょうか。
そしてその重みが、彼女の本来持つ輝きを見えにくくさせているように感じます。

初めて彼女のことを知ったのは、このモーツアルトのコンチェルトです。

この演奏を久し振りに聴くと、やはり胸に熱いものがこみ上げます。
けれどその熱いものは、今回のコンクールの演奏を聴いて感じるものとはまったく異なります。

誰と比べることもない、人を感動させるためでもない、ただ自らが感じ取る喜びを目の前の鍵盤を使って表現しているだけ。
だからこそ技術を超越した世界で聴く人に喜び、さらには幸せすら感じさせると言っても言い過ぎではないでしょう。

今から十数年前、たぶん十歳前後であろう愛実ちゃんのこの演奏は、完全に比較を超えた『この上ない演奏』です。

あの頃の愛実ちゃんにできたのですから、今の小林愛実さんにできないはずはありません。

得るのではなく、忘れていたものを取り戻すだけ。
どうか忘れかけている内なる輝きにもう一度目を向けてください。

これが大好きな小林愛実さんに、自分から贈る言葉です。

 

1970年、第8回コンクールで第二位になった内田光子、1985年、第11回で四位になった小山実稚恵、お二人ともコンクール受賞後に確実に大きな進歩を遂げています。

小林愛実さんもこの二人に負けない大きな可能性を持っていると感じます。
そして近い将来、それが花開くであろうことを信じます。

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