ツイてる人

トイレ掃除

「月のリズムでツキを得る」でツキには二種類あるということを書きました。
ひとつは原因という種を蒔かずして実りだけを得ようとするもの、つまり自分以外の憑きものの力を借りようとするツキ(憑き)であり、もうひとつは月の運行に象徴される自然の流れに則り、それでもって物事を上手く運ぶようにしようというツキ(月)、この二つです。

月とキツネ

この世の中は厳密な因果律で支配されています。
けれど現実社会ではなかなかそれが実感できず、「正直者が馬鹿を見る」ようなこともよく起こり、ついつい楽をして大きな益を得ようという、憑きもののツキの道へと導かれてしまいます。

それが最終的に幸せに至る道へとつながるのならいいのですが、己が蒔いた種から得た実りは必ず自らが刈り取らねばならず、借りた憑きものの御利益にはお返しが必須で、最終的にはいい結果を生みません。

その極端な例がオレオレ詐欺のような犯罪で、なぜあのような卑劣な行為をするのかというと、彼らには因果律が感じられないから、原因と結果の法則が短期間で彼らの元にやってこないから、それが自分の得になると考えるからなのでしょう。
本当は悪いことをすればすぐに悪い結果が返って来ればいいのですが、この時空の真理は“自らが気づく”ところにあるため、因と果には若干のタイムラグが設けられているのだと感じます。

その逆に、この因果律が明確に現れてくるのがシンクロ(シンクロニシティー、共時性現象)です。
シンクロとは同期ということ、思ったこと、必要なことが目の前で同期されたように即座に現れる、因と果が直結しているということです。

すべての出来事がこのシンクロのような明確な因果律で示されているならば、人はその理合いに則って行動し、いい方向へと導かれていきます。
また人生の好調期にはこういったことがよく起こり、すべては順調な波に乗ったようにスムーズにことが進みます。

こんないい波に乗ることができる人は徳のある人です。
また宗教的には神に愛された人とでも表現でき、徳が徳を生み、ツキからツキが生じ、善循環の流れに乗っていくとができます。

さらには逆もまた真であり、因果の流れから外れて目先の欲に走っても、その場その場でなんとかやり過ごすことができ、悪循環の中から抜けきれない人もいます。
けれど究極的には善も悪もなく、すべては学びであり、陰極まって陽に転ずるのもまた自然の理であり、悪循環を体験することもまたひとつの糧でもあります。

ではどうすれば善循環の流れに乗ってツキを得るのか、ひとつはツキの流れ、自然の流れのままに生きることです。
太陽の動きとともに生活し、月の運行リズムを意識して生きること、実際に農業では蒔種も収穫も月のリズムを元にすると大きな成果が得られることは常識になりつつあります。

今周りでは定期的にプチ断食をする人が増えていますが、断食をするのなら是非月のリズムに則り、新月前後、または満月前後に行ってください。
断食効果に大きな差が出ます。
「月のリズムでツキを得る」

すべては自然の中に答えがあります。

もうひとつは憑きもののツキの逆をいき、大きな成果を求めないこと。
無駄と思えるような下積みの努力を続けること、利己的ではなく利他的行動を取ることです。

自分が実行していることでいえば、公衆トイレ掃除などはそのひとつです。
他人が汚したトイレを掃除する義務はありません。
そんなことをしても何の利益も返ってきません。

だからこそ自分を真摯に見つめることができます。
すべてが利益、効率優先の世の中だから、そこで見落とされていたものを感じ取ることができます。
目先の大きな成果を求めないから、本当に大切なものを得ることができます。

トイレを素手で磨くと大金が手に入ると説く方がおられますが、自分はそれを求めたり、それを実感したことはありません。

人間の身体の根本は口から肛門に至る一本の管であり、トイレというその下端から出るものを処理するところに手をかけると、対極である上端の口へ入るものに変化が現れるというのはまっとうな理合いです。
けれどそれは求めるものではなく結果として得られるものであり、それを表に出すことはタブーだと考えます。

ただトイレ掃除によって多くの人が奇跡とも呼べるシンクロを体験したということはよく耳にします。

実はこの文章は最初に考えを決めて書いているのではなく、書きながらいろいろと思いを巡らせているのですが、自然に則って生きるとは、自然の流れに対して謙虚であるということ、自然の流れに謙虚であるためには身の回りの物事に謙虚であること、つまりトイレ掃除のような下座行はその意味でとてもいい方法なのだということに今気がつきました。

冗談で、「トイレ掃除をするとウンがつく」とも言いますし・・・。

昨今はシンクロ、引き寄せという言葉を誰しもが使うようになり、この世の因果律の存在を多くの人が知る時代となりました。

そしてその因果律を知ったのならそれを深く感じ取るまで自分を見つめ、どうすることが己の最も深い部分、魂が喜ぶべき行動なのかを察し、実践していく、これがツキを得ることであり、幸せになる道なのだと考えます。

今日は2022年大晦日、大変な時代の中、来年も自らがツキを得、それが多くの人に波及していくことを望み、願い、実践していきます。