ネットリテラシー

日々ネットにあふれる情報は、発信元が企業や販売関係、著名人や専門家、あるいはニュースサイトといったものである以外、個人から発せられる投稿や書き込みは、匿名であることが大部分です。

匿名であることは世間の常識や良識に囚われることなく、忌憚のない意見を書き込めることがメリットですが、それが時として常軌を逸し、相手方への罵詈雑言といったその人の内なる邪の部分をすべて露呈したかのようなものに発展してしまうことがあります。

人間の持つ最も醜い感情のひとつが嫉妬心です。
その嫉妬心に基づく憎悪が特定の著名人に向けられることがあり、今日のニュースによると、舌がんと食道がんであることを告白して話題となったタレントの堀ちえみがプログに「死ね」などと何度も書き込みをされ、その書き込みをした50代の主婦が書類送検されたとのことです。

舌がん闘病中の堀ちえみ 脅迫被害 北海道の50代主婦書類送検 

舌がんで闘病中のタレント堀ちえみ(52)が、自身のブログに脅迫めいたコメントを書き込まれるなどしたため、今春に警察に被害届を提出していたことが16日、分かった。

堀と業務提携している芸能事務所によると、2年ほど前からブログのコメント欄に「死ね」といった誹謗(ひぼう)中傷の書き込みがされるようになり、自宅のポストにも嫌がらせの手紙が投函(とうかん)されるようになっていた。堀側は、昨年末に警視庁に被害について相談し、今春に被害届を提出した。

その後の捜査で、北海道の50代の主婦が先月18日に書類送検された。女性は2月上旬にブログのコメント欄に「死ね」などと投稿。この女性とみられる人物がほかでも「癌(がん)なのにあちこちで叩かれて笑えるわ(原文まま)」などと複数回にわたり悪質なコメントを書き込んでいた。関係者は「女性は軽い気持ちで書き込んだようで、大ごとになるとは思っていなかったのでは」と話している。

堀は2月19日にステージ4の舌がんであることを告白。同22日に舌の60%を切除、再建する手術を受けた。4月にも初期の食道がんが発見され、切除した。現在は「再びステージで歌う」という目標に向かって、懸命なリハビリに臨んでいる。

16日のブログは病院での診察や検査に関する内容。最後に「ご心配をおかけしましたが、私はもう気にしてませんので大丈夫です。これからもリハビリを頑張り、ブログも楽しく続けさせて頂きますので、引続き応援を宜しくお願いします」とつづった。

弁護士の若狭勝氏(62)は、女性について「脅迫罪が適用されるかもしれないが起訴されない可能性が高い」と指摘。「死ね」という言葉だけでは「自らの意思で殺す」ということが読み取れないためで、仮に適用された場合には「10~20万円の罰金刑に問われることになる」とした。今回のような書き込みが事件に発展することもある。若狭氏は一般論とした上で「軽い気持ちで書き込んだとしても、被害者が警察に届け出れば、加害者が取り調べを受けることになる」と警鐘を鳴らした。

 

「死ね」などという言葉は、決して面と向かって人に発せられるものではありません。
けれどそれがネットでは “軽い気持ち” でできてしまうことがネットの持つ恐ろしさです。

手元のスマホで世界に向けて簡単に情報を発信できてしまうということは、それが感情を高ぶらせるのではなく、感情を表に出す感覚や判断力を鈍らせ、何のためらいもなく心の中にある醜い部分を表にさらけ出してしまうのでしょう。
匿名の時にこそその人間の本性が現れます。

 

自分も堀ちえみと同じように、ネット上に悪質な書き込みに悩まされたことがあります。
まったく身に覚えのない詐欺師呼ばわりするような書き込みを百件ぐらいされて、警察にも届け出ましたが、十年以上前のことでもあり、当時は担当の警察官もネットのことをほとんど理解しておらず、ネットの仕組みを一から説明しなければなりませんでした。

そして担当の警察官が広島から東京まで脚を運んでそのうちの一件のIPアドレスを調べ、発信元を調べてくれたのですが、そこが個人宅ではなくネットカフェだったそうで、それで捜査は打ち切られてしまいました。

それら書き込みは当分ネット上に残っていましたが、さきほど自分の名前でネット検索したところ、幸いにもその書き込みは一件もヒットしませんでした。
もうだいぶ時間が経っていますので、ネット上、あるいは検索上から消えてしまったのでしょう。

 

プログやホームページを通して自分の思いをネット上に発信するようになって二十年近くになり、この間名前と顔を表に出すのを一貫したポリシーとしています。

理由はいくつかあります。
ひとつは何事も隠すということが嫌いで、すべてをオープンにしたいという思いがあるから。
二つ目は、自分も実生活とネットとの間に垣根を設けたくないから。
さらには自分の発することに責任を持ち、書いたことを実行しなければならないというプレッシャーを自分に与えたいと思っているからです。

 

ネットの書き込みというのは面白いもので、自己規制と良識に縛られている報道とは違い、忌憚のないものが多く、時にはそこに自分も好き勝手な言葉を書いてみたいという思いに駆られることがありますが、いったんそれを許してしまうとそれが誹謗中傷といったものでなくても自制できなくなる怖さを覚え、自分にストップをかけています。

対極の例として、自分がインドを訪ねるのは、それが自分の中の善の部分を刺激し、それに喜びを感じ、その部分を自分の中でより大きくしたいと願うからです。

匿名で行うネットの書き込みはこの逆ですね。
書き込みをする全員がそうだとは言いませんが、匿名の言葉というのは、心の中の魔を引き出す危険性を持つということを自覚することが必要です。

それでも人それぞれスタイルというものがあります。
自分には、実名を出した上で思いのままに意見を述べ、その責任を自分の糧にするとう形が合っています。
そしてそれが絶対に望ましいものだとも思いません。

 

その匿名性というものが、昨今の発展著しいネット社会では、身を守るために必要不可欠となることがあります。

よく言われるのが不用意に個人情報をアップすると、それが犯罪を誘発することにつながるというものです。
デジカメやスマホで撮った写真には位置情報が記録されていることがあり、SNS等ネットにアップしたそれを元に写真の撮影場所、自宅を調べ、バカンス中に自宅に空き巣に入られたり、ストーカーを呼ぶ危険性があります。

また街中に監視カメラが行き渡っている中国では、監視カメラの映像に顔認証システムを付け加え、特定の人物の行動の軌跡を調査することも可能とのことです。
ここ最近の香港民主化のデモでも、そういった中国政府によるネット監視を懸念し、マスクで顔を隠すだけではなく、デモ参加時は位置情報が特定されるスマホの電源を切り、地下鉄の切符もスマホ決済ではなく自動販売機で現金購入するという対策をしているようです。

 

今年初め、不正クセスによってファイル転送サービスの大手「宅ファイル便」から480万件の個人情報が流出するという事件が起き、大きな話題となりました。

自分もこの宅ファイル便はたびたび使って重宝していたので、この事件によってサービス停止となって不便になるとともに、パスワード流出の可能性を考え、同様のパスワードを使っていたところは、早速バスワードを変更しました。

480万件というのはものすごい数です。
ごく身近な知り合いにも宅ファイル便を使っている人がいたので、その人にもパスワード流出による危険性の話をし、そのパスワードを他でも使い回しているのなら早急に変更をすることをおすすめしましたが、残念ながらその方からは、
「私は大丈夫だから、特に対策はしません」
と返されてしまいました。

その方は少し年配ですが、元一流企業にお勤めのとても頭のいい方ですが、そういった方ですら、ネットに対してはその程度の意識しかありません。

またいろんなところに行ってパソコンやスマホを見せてもらい、ソフトやOSのID、パスワードを尋ねてみると、きちんと管理されている人はごく稀で、ほとんどの人は訳が分からなくなっていたり、どこかメモ帳の端っこに走り書きをしていたりといった有様です。

 

インターネットというのはここ二十年ぐらいで急速に生活の中に入り込んできたもので、その理想の関わり方というものをほとんどの人が理解しておらず、また当然教わったこともないというのが実情です。

けれどネットは極めて利便性の高いものであると同時に、それゆえに大きな危険性をはらんだものでもあり、その特性はきちんと学び、身に付けておく必要があります。
それがネットリテラシーというものです。

ネットリテラシーとは「インターネットの便利さと脅威、ルールを理解し、適確な情報を利用して、よりよい情報発信をすることができる能力」のことを意味し、インターネットを利用するシーンでは必要不可欠なものです。

けれど昨年末は、オリンピック・パラリンピック担当大臣で、サイバーセキュリティー担当であった当時の桜田義孝氏が、自分でパソコンを打つことはほとんどなく、USBメモリーのことも知らないということが分かり、世間に衝撃を与えました。

またつい先日のセブンペイの不正利用事件では、記者会見した会社トップが二段階認証のことを知らなかったということも大きな話題となりました。

 

政府や企業で決定権を持ち責任ある立場の方たちが、年齢のこともあり、ネットリテラシーをほとんど持ち合わせていないというのは悲しい現実です。

この現実は早急に変えていかなければなりません。

ネットのことだけではなく、社会のすべての機構が急速に変化してきています。
経験豊富な人間の持つ過去の経験則を活かすことよりも、新たなものへの対応力を持ち、時代の変化に合わせフレキシブルの知恵を活用することの方がより重要であり、そのことが求められています。

そしてそれを雇用、人材活用を含め、社会の仕組み全体に活かしていかなければなりません。
構造改革、これが真のリストラ(リストラクチャリング、再構築)です。