ここインドでネットのニュースを見ていても、新型コロナウイルスの話題ばかりが目について、気が重くなるばかりです。
これは今後の展開いかんに関わらず、その根本原因をきちんと明らかにしなければ次へのステップには進めません。
そのためにも、新型コロナウイルスはあえて武漢肺炎と呼ばせていただきます。
<武漢肺炎は武漢病毒研究所で漏れた生物兵器> ⋯ 必見です!
昨日見たニュースの中で、「コロナ騒動に便乗したデマには乗らないように」と書かれたものがあり、それは至極もっともだと思います。
日本ではトイレットペーパーが店の棚から消えたそうですね。
これは近く解消されるそうですが、インドではトイレットペーパーは使いません。
インドのトイレは壁の下の方に蛇口と小さな手桶、それに加えてバケツが置かれていることがあり、それでお尻を拭います。
自分はそこまでの達人ではないので、日本から持参したハンディーウォシュレットを使い、やはりトイレットペーパーは使いません。
多少お尻が濡れていても、熱帯ではすぐに乾くのでノープロブレムです。
そのデマを流さないでということですが、中国武漢からはじまったこのたびの武漢肺炎が、人工的に作られたウイルスが誤って漏れたというのは真実だと感じます。
ニュースの中ではこの人工的生物兵器説もデマの一例として挙げられていましたが、それがデマか真実か、遠くない日に必ず明かになるでしょう。
それが時代の大転換期を迎え、古い価値観の悪い面を一気に露呈させる禊(みそぎ)の流れであり、911のテロがアメリカの自作自演のものであったことが明かになったのと同じです。
残念ながら、911のテロはアメリカ政府がその所業を認め謝罪するに至っていませんが、このたびの武漢肺炎は、その証をしっかりと捉えその発生原因を認めさせなければなりません。
インドでも武漢肺炎は日毎に大きな話題となっています。
二週間前には簡単な検温だけだったチェンナイの飛行場も、感染四ヵ国のビザが発給停止、無効となった今は、医師が十人常駐しているとのこと。
また次に行きたいと計画していたトリチーは外国人の訪問が非常に厳しく制限されていて、韓国やイタリアの訪問者はホテルに隔離されているという情報が入ってきました。
この先どうなるか分かりませんが、幸い今身近に接しているインド人たちはとても親切で、その都度対処法を教えてくれるので、今はそれに任せています。
その意味で、今回は特別なインドの旅となりました。
けれどトラブルが多いほど感じるものも学ぶものも多いものです。
あの六年前の9月30日、関空で財布、ケイタイを含めたすべての貴重品がなくなり、完全に為す術をなくした時に得た至福の境地、その後の奇跡、この体験があるので、この程度のことではまったく動じず、逆に貴重な経験を楽しみ味わいたいという思いの方が強いのです。
日々着々と進む工事を見るのは楽しいものです。
、、
今日は午前中、砂をふるいにかける作業を手伝いました。
少しするだけで汗だくです。
スレッシュに、最近日本では夏場に電動ファンが付いている服を着るんだと教えてあげたら驚いて、その画像が写ってるiPadを作業人たちに見せていました。
今度インドに来る時は、これを買ってきて欲しいそうです。
けどそれより先に、きちんとした靴と手袋をはめるのが先だと思いますが⋯。
ここにいてるとほとんど外に出ることがなく、一昨日近くのスーパーで買ったものを御紹介します。
南インドのホウキは椰子の葉の芯を束ねた手製のものがメインで、ほとんどチリトリは目にしません。
たぶんゴミは外に掃き出してOKなのでしょう。
けれど日本人的にはチリトリが欲しいので買いました。
55円ほどです。
考えてみると、もうこれまで何度もチリトリを買ったことがあり、そのたびに方々にチリトリを置いて帰っています。
インドに来て二週間、この間まったくお酒を飲んでいません。
スギルタンが言うのにそのスーパーにはワインなら棚にあるとのことでしたが、店の人に聞いてもないということなので、ビールもどきの50円のジュースを買ってきました。
このお菓子、ココナッツと乳製品の甘い味わいですごく美味しいのです。
値段は100円ほどで、自分用にいくつか買って帰りたいと思うほどです。
一昨日買ってすぐに少しだけ食べ、残りは昨日の仕事人さんたちのおやつに差し上げました。
インド人は基本的に老若男女を問わずみんな甘いものが大好きです。
最後はこれ、15円ほどのキャンディーです。
ちょっとだけ喉がいがらっぽかったので買いました。
美味しいですが、日本のものより甘みが強烈です。
時節柄、あまり人前で咳をすることができないので⋯。
これがそれらのレシートです。
Mrpというのが定価で、Rateが販売価格です。
今はいちいちレシートは取っていませんが、その旅の思い出を残したかったら、お金を使った記録とレシートを手もとに置いておくことをおすすめします。
それを目にするたびに思い出が蘇ってくるでしょう。
そんなのんびりとしたところに、今日若者が二人訪ねてきました。
二人とも立派な青年で、スギルタンが運営していたカニャクマリ(シオンブラム)のホームにいて、自分が2008年に写した写真の中に彼らの顔がありました。
写真はその場でコピーして渡し、記念のセルフィーです。
自分の横にいる彼はカメラマンになっていて、キャノンのカメラを持っていました。
あのころプライマリースクールに通っていた子たちがこんなに大きくなるなんて、時の流れを感じてしまいます。
下の写真、左端の子が上の写真右端の彼です。
ホームを出た子どもたちが立派な大人になっているのを知るのは嬉しいことです。
その彼らの心の中に、ほんの少しでも彩を添えられればこれに勝る喜びはありません。
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