心を刻む

Oさんのハガキ

先日「心のこもったハガキ」を書いてから、自分が文字を書く時に、どれだけ心をこめているんだうかということが気になるようになりました。

今日、初めて外でApple Pencilを使い、その時の話の内容をシコシコとペンを使って画面に書き込みました。
机がなく、iPadを抱えた状態で書いたのでキレイな文字は書けず、とても人様にお見せするようなものではありませんが、画面に貼ったペーパーライクフィルムの感触はとてもよく、本物の紙とはちょっと違ったザラツキ感が、書いていて心地よさを生み出します。

さらにはハイテクの力で書いた文字を様々なバリエーションで変化させ、写真や図形を貼り付けられ、文字を書くペン自体もボールペン、万年筆、筆ペンとタッチを変化させることができ、その色や太さも自在です。

これは本当に大いに楽しみで、これまで紙に書き留めていたものを少しずつこのApple Pencilを使ってデータに換えていこうと考えています。

 

そしてやはり最も嬉しいのは、この入力方法がキーボードではなくペンだということです。
ペンといってもそこから入力されたものは最終的にデジタルデータに換るのですが、この文字を綴って入力するという感触は、完全デジタルのキーボードとはまったく異なります。

それはキーボードで機械に向かってただ文字を打ち込むのではなく、手を使って書くと、同時に自分の胸に思いが刻みこまれるといった感触があります。

これはハガキを書くことによって、文面に綴った感謝の言葉が自分の胸に染み込むのと同じで、自ら感じ取る以外に説明のしようがありません。

自分もデジタルのペンを本格的に実用として使ったのは今日が初めてで、これからその感覚をより深めていきたいと思います。

 

今こう書いていて思い出しました。
自分が最初にコンピュータを使ったのは三十数年前、NECのオフィスコンピューターが会社に導入されることになり、二日間その研修を受けたのが始めです。

そのオフコンはワープロ機能としてそこそこ使いましたが、それをしばらく使うと思考がデジタル的になり、感情の起伏が単調、即物的になり、自分は理系で機械は得意だけれど、デジタル機器を扱う性格特性ではないということを自覚しました。

その後長らくパソコンは意図的に避けてきましたが、仕事でどうしても必要となり、再び手に取ったパソコンはOSがWindowsとなり、機械と人間との関係、インターフエイスがそれ以前よりも格段に改善されていて、今はこうしてパソコンを使って様々な仕事をこなすまでになりました。

パソコンはハード、ソフトの進化により、その能力、機能性は飛躍的に進化し、それと同時にそれを操作するためのインターフェイスもより人間に優しい形へと発展してきました。

自分のような本来アナログ型の人間は、そのインターフェイスに強いこだわりを持ち、少しでもデジタルに適応できるよう、パソコンはノートではなくデスクトップ、画面も大きなものを二つ置き、マウスは手の大きさに合った左右非対称の5ボタンと、人間工学的に最も負担の少ないものにしています。

そして今回ペンの活用で、さらにデジタル機器が自分の方に近づいてきてくれると期待しています。

 

文字を綴るということですが、その「心を刻む」ということを意識しだし、あらためてハガキを書かせていただく有り難みを感じています。

自分の体の一部である手を動かす、それが文字に変換され、その感触を手を通して感じ取ることができる、これが素晴らしいです。
これはサイクリングでペダルを踏み、その力が風を切って前へと進むのを感じる、その快感と同種だと感じます。

Apple Pencilも、以前のツルツルの画面だとペン先が滑って書きにくいのと同時に、文字を書いているという感触がほとんど伝わってこないのが大きなデメリットでした。

この感触というのはとても大切です。

 

今ハガキはすべてインドの写真を印刷した絵ハガキにし、その宛名面下半分を通信欄として利用しています。
そしてそのハガキは官製ハガキとハガキサイズの写真用紙の二種類あり、二つの封筒に分けて保管しています。

インドの絵ハガキ

ハガキをそのまま郵便として送る時にはインクジェットハガキに印刷したものを、荷物に入れるメッセージカードとして使う時は写真用紙に印刷したものをと使い分けています。

写真の鮮明度はやはり写真用紙の方がキレイです。
インクジェットハガキはざらついている分だけ少しくすんだようになってしまいます。

今回あらためてハガキに文字を書く時の自分の気持ちを見つめてみて感じたのですが、インクジェットの官製ハガキの方がペン先の抵抗感があり、文字をひとつひとつじっくりと書かねばならず、その方が抵抗のある分だけ心が入り、まさに心を刻むといった感じになります。

その差はほんのわずかなものですが、そのわずかな感触の差が、書く時の心への響き方の差となるようです。

 

これまでも筆記用具をはじめてする文房具には人一倍気を使ってきたつもりでしたが、今はこれまで以上に気くばりをするべきだと思うようになりました。

これは贅沢をすべきだというのとは違います。
自分の心をより見つめ、それにより忠実になり、ものにも気くばりをするべきだということ、『断捨離の目的は、本当に必要なものを活かすこと』これと同じです。

『弘法筆を選ぶ』、これもまた真です。

 

これも今書いていて頭に浮びました。
文字を心を込めて刻むというのは、食べ物をしっかりと咀嚼するのとまったく同じです。

咀嚼習慣を徹底しだして四ヶ月ちょっと、その次の段階として、自分の中で文字の持つ意味合いをしっかりと“咀嚼する”ことを求めるようになったのだと感じます。

 

今朝もまた一週間ぶりにOさんの明るい笑顔と出会いました。
OさんにOさんのハガキを撮った写真を見せて、「ホームページに載せましたよ」と言うと、とても嬉しそうにニッコリと微笑んでくださいました。

Oさんのハガキ

ハガキだけではなく、日常のすべてのことに心を込め、心を刻み込むように行動できれば理想です。

そしてそのための入り口として、食べ物をしっかりと咀嚼し、文字を心を刻むように書くことを目標としていきます。