成功から幸福へ

環境改善されたインド門

ここインド全土で3月25日から行なわれているロックダウンはすでに一ヶ月近くが経過し、物流の混乱や食や住まいを失った人々の暴動など様々なトラブルとともに、人間が破壊した自然環境は着実かつ劇的に改善してきています。

環境改善されたインド門

インドの大気汚染の大きな要因のひとつが石炭による発電で、ロックダウンで多くの企業が操業を停止し、電力需要はかなり減少しています。

それでも物流の悪化によって発電所の操業か供給方法に不具合が生じているのか、最近停電することが多くなりました。

インドで停電はつきものです。
インドの企業や店舗、一部の家庭では停電に備えた非常用バッテリーは不可決で、停電と同時にそのバッテリーから電力が供給されるようになっています。
特にデスクトップPCのようなパソコン関係はこれがないと使うことができません。

その停電も年々時間が短くなり、今年は夕方ぐらいに一度だけ数分止まるといった程度だったのが、ロックダウンに入ってから停電頻度が高まり、一日数回時間を問わず停電するようになりました。

 

停滞しているのは電力供給だけではありません。
すべてです。

生活必需品の物流、販売はロックダウン後も許可されていますが、許可されているはずの物流業者の車が警官に止められ暴行を受けたり、発行されるはずの許可書が発行されなかったりと、日本では考えられないような低次元のところで混乱が起きています。

農業、漁業も地域によっては本格的に再開しているようですが、それを市場に運び、市場でそれを売らなければ最終的に消費者の元には届けることができず、それが機能していないため捕った魚を売ることができなかったり、収穫した農作物が大量に廃棄されるといったことが起きています。

また長期的には魚を捕るためには魚網が必要です。
物流には車が、市場には建物が・・・といった具合に、経済とはすべてが関連し合ったひとつの流れの中にあり、一部だけうまく機能していれば大丈夫といったものではありません。

 

ここにいると、夕方ごろにスギルタンがよく部屋を訪ねてきます。
そこでの話で、
「このたびのことでインドの都市部は空気汚染がかなり解消されたようだね」
と話をすると、
「きれいな自然環境でご飯は食べられない」
と言っていました。

このたびのコロナ禍による自然環境の改善は地球生命体ガイアの意志であり、人類はその意志に則った暮らしをしていくことが強く求められているように感じます。

けれどそれを具現化していくのは容易ではありません。
そのためにはこれまで築き上げてきた市場経済の仕組みを根底から変えていく必要があります。

部分的にほぼ完全にストップした状態にある世界経済の中で、世界的に名だたる大企業や様々な業種が壊滅的影響を受け、たぶんほとんどの人が世界を動かす新たな仕組み作りが必要だと感じておられると思います。

そのひとつの答えが抽象的ではありますが、
『成功を求める価値観から幸福を求める価値観への転換』
にあると感じます。

 

それは三木清の「人生論ノート」その中の「成功について」を読み思ったことです。

この「人生論ノート」には様々なテーマについて23題の論文が収められていて、そのどれもが深遠かつ難解です。
自分もこの「成功について」を十回ぐらい読んで啓発を受けたものの、その内容をいまだしっかりとは把握できていません。

哲学者三木清は明治の生まれで終戦の年に政治犯として48歳で獄死しています。
彼はドイツにも留学し数多くの著書を遺した突出した異才ではありますが、今の自分の感覚からして、当時は今のように書物からでもインターネットからでも簡単に大量の情報が手に入る状況ではなく、そんな中でなぜこれほどまでに深い思索ができたのか、まずそのことが驚異です。

太古の時代から偉大な思想家や哲学者はいて、その思想、哲学を生み出すために、今のネットから排出されるような仮想現実情報は必要ないと頭では分かっていても、それに侵されてしまった頭の中には、
『大量の情報によって賢い人間は作られる』
という思想が染み込んでいて、大戦が始まる前後の三木が四十歳になった頃から書かれた一連のこの珠玉の文が遠い世界のもののように感じます。

 

そして少し冷静になって思うのは、自分の無意識の中にある“思い込み”とは逆の中に真実があるのではないかということです。

『情報、特に自分が体験せずして得た間接情報は、その人の持つ感性を鈍らせる』
『外の情報ばかりに目をやっていると、最も大切な自分の内が見えなくなる』
『深い思索の源は己の内にある』

 

そしてこれまで持っていた“思い込み”を支えるもの、その重要な概念のひとつが『成功』であると感じます。

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