モラルを問う

バーガーキング社 「縦読みは偶然です」

今世界は新型コロナウイルスの蔓延で大変な状況になっています。
中国寄りのWHO事務局長は、
「渡航や貿易を不用意に妨げる必要はどこにもない」
と渡航禁止など中国と物理的に距離を取ろうとする国に対して牽制していますが、潜伏期間の長いこのウイルスの実態や拡散状況がまだハッキリと分からない今の状況では、過度と言えるぐらいの予防策を取るのが賢明と思われます。

多くの人が批判するように、日本の対応は手ぬるいとしか言いようがありません。
言葉は悪いですが、まさにこの問題によって政治家や官僚の場当たり的で無能な実態が明らかになった感があります。

その結果、ミクロネシア政府はついに日本を汚染国のひとつとして認定するに至りました。
  <外務省 海外安全ホームページ|現地大使館・総領事館からの安全情報 詳細>

1月31日にミクロネシア大統領府が発出した新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言に関して,2月3日より,ミクロネシア政府は日本が汚染地域・国であるとして,同宣言(4)にある14日間ルール(注)の適用を開始しました。
 このため,日本からミクロネシアに入国するにあたっては,ミクロネシアに入国する前に非汚染地域であるグアムやホノルル等で最低14日間滞在する必要があります。また,ポンペイ空港では,入国者のヘルス・スクリーニング(主に申告書と問診)が始まりました。

 

そんな中、昨日インド行きのチケットを予約しました。
関空を今月2月21日に出発し、3月30日に帰国します。

今回はキャセイパシフィック航空を初めて利用し、香港経由でインドチェンナイに向かいます。
インドでも1月30日に自分が行くインド最南端タミルナド州の東隣のケララ州でコロナウイルスの感染者が見つかり、これからどうなるか先行きが不透明です。

「たぶん大丈夫だろうけれども万が一・・・・」
と昨日知り合いに言われました。
たしかに大丈夫だとは思いますが、大丈夫ではない確率も万に一つよりも高いであろうと思われます。

ウイルス対策には人混みに出ない、マスクやうがい、手洗いで消毒、防衛することが大切ですが、それ以前に、自己免疫力を高めることが何より重要だと考えます。

 

自分はこれまで三十年間ほとんど薬を飲んだことがありません。
風邪はもちろんインフルエンザも薬なしで自力で治しました。
何針か縫うような怪我をした時も、医者からもらった化膿止めも飲まず、抜糸も自分で行いました。

もちろんこんなことは人に勧められるものではありませんが、これは自分なりの免疫力、もっと端的に言うと生命力、これを高める鍛錬だと考えています。

免疫力の湧き出る源、それは腸です。
ネットで「免疫力 腸」と検索するといろいろ出てきますが、これは理屈ではなく身体で強く感じることです。

腸の働きが弱く、腹(肚)に力が入らずに背筋が曲がり、青白い顔、低い体温で生気なくトボトボと歩く人間に病原菌に打ち勝つ力はありません。
清潔で化学薬品による除菌・滅菌が行き届いた環境にいて、日々ストレスのない生活を送る日本人は、衛生環境の悪い国に旅行するとすぐに下痢をし、病気になってしまいます。

寄生虫学の専門家である藤田紘一郎博士は、免疫力を高めるには不潔な環境に身を置くこと、そしてお腹に回虫を飼うことも大切だと説いておられます。
回虫のことは意識してはできないですが、それだけ腸の働きが大切だということです。

腸をよく働かせて免疫力を高めるには、

  • 体温を上げる
  • 良質の植物性発酵食品を摂る
  • 食べ物しっかりと差咀嚼する
  • 腹巻きをする
  • 呼吸法

こういったことが大切で、この中で最初の体温を上げるというのは結果としてそうなるのであって、そのための方法が大切で、すぐにできることとして、日本人が古来から口にしている味噌、醤油、漬物、納豆といった良質の植物性発酵食品をより多く食べてもらいたいと思いです。

特に生味噌がいいですね。
これを毎日スプーン一杯食べるだけでも体調がよくなります。
デパートや高級食料品スーパーで売っているようないいものは味も良く、野菜につけて食べると最高です。
食べる量はしれていますので、どんないい味噌でも一人当り月数百円程度しかかかりません。

<爆心地、秋月辰一郞先生が、味噌と玄米と塩で救った命>

 

今日はアーシングに関心があるという方が、美波動ペンダントを購入してくださいました。
アーシングとは体にたまった電気を放電することで、健康にもいいそうです。

美波動を身に付けていると静電気が起こりにくいのでアーシングになると思います。
そして何より身に付けているだけで免疫力を高めてくれる優れものなので、電磁波の対策として特に放射能の影響があると言われる東日本の方には是非身に付けていただきたいと強く願います。
このことは今後も継続して訴えていきます。

 

今はコロナウイルス対策でマスクが飛ぶように売れ、どこも品薄状態で、ネットで極めて高額で転売されていることがニュースにもなっています。

コンサートチケットを高値で転売する輩がたくさんいるのですから、こういったことを平気でする人間がいても不思議ではありません。

けれど、情けない・・・。
日本人はいつからこんなことができる民族になったのか、しかも人前で。

今みんなが求めているマスクは命を守る大切なものです。
それを自らの利益のために買い占め、転売して利ざやを稼ごうなんて、まともな人間のできることではありません。

これは目の前で溺れている人間に対し、「この浮き輪、百万円だけど買う?」と聞いているようなものです。

 

食料品スーパーでは日々少なくない人たちが、「自分だけは少しでも消費期限の長いものを」と、まったく恥ずかしげもない顔をして食品棚の後ろ側に手を伸ばしているのですから、こういった輩が現れるのも必然なのでしょう。

「恥を知れ」ということです。
その恥の文化はどこにいったのでしょうか。

地下鉄サリン事件が起きた時に、その現場となった霞ヶ関駅の助役さんが、
「私が地下鉄の駅を毎日掃除している。掃除しているところへ、タバコの吸い殻を捨てていく奴がいるぐらいだから、こういうことが起こって当たり前ですよ」
と言われた、それを思い出しました。

 

数日前、東京のバーガーキングが閉店した近隣のマクドナルドにねぎらいの言葉を送ったそのポスターに、まったく別の言葉を縦読みで含ませていたということが話題になりました。

バーガーキング社 「縦読みは偶然です」

自分はこれを見てバーガーキングには悪印象しか持ちませんが、ネット上の反応は、痛快だ、面白いといった好意的なものが多く見受けられ、今のご時世ではそれも当然かもしれないと感じました。

その意見の中に、「アメリカでは比較広告が当たり前」、「アメリカにはもっとひどくライバルを中傷するものがある」といったものがあり、それについて少し考えさせられました。

アメリカがそうだから日本でも当然ということはありません。
アメリカにはアメリカの文化があり、日本には日本の文化があり、それぞれの文化は大切にすべきものです。

けれどアメリカでは・・・、欧米では・・・といった言葉をたびたび耳にするのは、日本人の意識の中に『欧米化イコール善』という強い意識が根付いているのだと感じます。
古い言葉で言うところの「脱亜入欧」です。

欧米の文化は肉食人種の文化で、相手を倒す文化です。
それに対する日本は『和をもって尊し』とする和の文化です。

敵に塩を送り、謙譲の美徳でもって相手と接するその心はどこにいってしまったのでしょう。

日本の文化の崩壊は、その国のモラルの崩壊につながります。

 

今の世はグローバリズム、地球はひとつ、そのひとつの象徴がインターネットです。
インターネットを通せばほんのささいな情報でも瞬時に世界を駆け巡ることがあり、個人の持つ影響力がグローバリズムによって時間的にも距離的にも飛躍的に増大しました。

先のマスクの転売も、昔だったら近隣のマーケットしか対象にならなかったものが、今は日本中、世界を相手に取引でき、一日で百万円単位の利ざやを稼ぐことが可能です。

海外に拠点を置いたオレオレ詐欺、アマゾンのフェイクレビュー、マスに目を向けても日本の報道機関は“報道しない自由”を駆使し、身の回りは嘘があふれ、残念ながら『悪貨は良貨を駆逐する』といったようなことになっています。

これは、地球という狭い部屋に多くの人間がひしめき合うように集まり、その一人一人が相手を傷つけることのできる武器を持っている、そんな状態だと感じます。

 

新たな時代となり、多くの価値観や生活様式が変わっていく中、そこで生まれてくる新たな詐欺的手法に対してそれを法律で規制することも大切ですが、相手を特定することが難しい今のネット社会では、それで完璧に対処することは不可能です。

そこで求められるのが一人一人が持つ“モラル”です。
75年前、原爆で焼け野原になった広島では、銀行においては各人の預金に関する書類が消失し、路頭に迷い困っている人たちに対して自己申告による預金引き出しを行い、それでも残高の狂いがなかったとのことです。

震災時の冷静な対応等、日本人は高いモラルを誇り、そのモラルによって高い信用と発展を得てきました。

このモラルを今こそ取り戻すべき時であり、そうしなければ、日本民族の先行きはないものと考えます。
これから世界のイニシャテイブを取るべき役割を持つ日本の先行きは、今後の世界情勢、人類のあり方に大きく影響してきます。
  <附記 ・・・ ガイアの法則>

 

モラルという抽象的かつ根源的なものは、一朝一夕で培えるものではありません。
けれど必ずやらなければならないことであり、それは新たに創るのではなく、日本人の魂の奥にあるそれを思い出すべきものです。

明日の日本、世界は、各人の心のあり方、行動が創り出すものと信じます。