心の汚れ

橋本町公園トイレ掃除 山陽高校

下坐行トイレ掃除、その中でも誰が汚したか分からない公衆トイレの掃除はなかなか踏み入れにくく、その分実践すると気づきも多いものです。

気づきとは体で感じるもの。
ですから簡単に言葉で言い表すことはできません。
また言葉で表現できることを、体得していくことだと思います。

今日掃除した公衆トイレの汚れはなかなかのものでした。
男子用小便器は二個あり、その水が流れるところにある水濾(こ)しには尿石がびっしりとこびりついていました。
閲覧注意です!

水漉し

尿石は、最初は金属製、もしくはセラミック製のヘラ、マイナスドライバーで削ぎ落していきます。

水漉し

便器の汚れは自らが持つ心の汚れ、いつもそんな思いで掃除をし、今日はまだ参加して間もない男性と二人、いろんな会話を楽しみながらに水濾しを磨いていきました。

トイレによって便器の汚れ具合は様々です。
掃除が行き届いているところは汚れも薄く、それは簡単に落すことができます。
反対に今日のように汚れがベットリとこびりついているところは、汚れの薄いところほどではないものの、ヘラを使って剥がす感じでポロポロと落していくことができ、時間はかかっても案外とキレイになるものです。

一番やっかいなのは中途半端な汚れです。
簡単に落ちるわけでもなく、また剥がれ落ちるほどは汚れに厚みがなく、サンドメッシュというヤスリを使って何百回、あるいは何千回と磨き上げていくしかないのです。

これは人間の心の汚れと同じです。
徹底した悪人は極まで行って改心するチャンスはあっても、中途半端なワル、心の汚れはなかなか顕在化しにくい分だけ変わりにくいのです。

 

ここまではよくいろんなところで話すのですが、今日は実際に目の前にある汚れきった水濾し、その内側のヘラの入りにくいところを苦労しながら磨きながら、思わずこんな言葉が口から出ました。

「この水濾しは人間の心と同じ。外側のよく見えるところは掃除しやすいけれど、内側の誰にも見えないところの汚れは汚れていることに気づきにくく、また掃除しにくいよね」・・・と。

 

こんな風に気づきは突然やって来ます。
こんな話をしたすぐ後に、二人の横で木の枝を処理していた高校生の男の子が二人の会話を聞いていたらしく、
「それって、いい話ですね」
と言葉をかけてくれました。

高校生でもこういった心の綾が分かるのですね。
公衆トイレ掃除はいろんなことを教えてくれます。

人生で必要な知恵

これが原典です。