原点に還る

Love Letter

現在のエセ・コロナ禍に於いて、多くの人が実に簡単なトリックに騙されるのは、自ら物事を考え、判断しようとしないからです。
それは身近なところにあまりにも情報があふれ過ぎ、それらをひとつずつ必要に応じて収集、分析するよりも、それらを加工して分かりやすく届けてくれるメディアに自らの思考を預けてしまう方が楽であり、その結果メディア依存になっていることが大きな要因です。

これは街に食料品が大量に流通しているがゆえ、ついつい外食や加工食品に頼ってしまうことと似ています。

健康の源は日々の生活習慣から。
特に食生活のあり方は大切です。

偏った食生活はよくありません。
バランスを取ることが必要です。
現代人の多くは過食傾向であり、本当に体にいいものを少量、感謝の気持ちとともにしっかりと咀嚼していただくことが何より大切です。

情報もまた同様で、自分にとって真に大切なもの、基本となるものを少量、何度も噛み砕くように取り入れ、しっかりと身に付けることが極めて重要です。
日々メディアから垂れ流される使い捨て消費財のような情報にのみ身を任せ、本当の自分を見失うことだけは避けなければなりません。

 

その人の基本となるものは人様々で、それを見つけること自体に大きな学びがあります。
自分はそういった、例えば本などを何冊か持っていて、時折読み返すことによって原点を振り返っています。

また時を経て振り返ることによってその間の変化を感じ取れるのも財産です。
以前は何も感じなかったところで心打たれ、その要因を探り、その間体験した何が自分の心に深く染み渡っているかを知り、大切なことに気付かされることがあります。

 

恥ずかしい話ですが、歳を重ねる毎に涙腺が弱くなっています。
母のこと、インドのこと、・・・自分にとってこの話題に触れると胸が熱くなるというチャンネルがいくつかあって、そのチャンネルが人生経験を重ねる毎に増えていっています。

いいように言えば純粋なのでしょうか、エゴグラムという精神分析をすると、父(批判的な親)、母(保護的な親)、大人、自由な子ども、順応する子ども、この五つの要素の内、自分は優しい母と自由な子どもの部分が圧倒的に大きく、厳しい父、大人の部分が少ない典型的な子供じみた自由人です。

エゴグラム

本当に、家で一人音楽を聴いていて涙を流すこともよくあるのですが、一昨日、少しのお酒を飲みながら観た「Love Letter」には何度も嗚咽するほど号泣させられました。

この岩井俊二監督の作品は自分にとって真の名作です。
作られたのは95年、阪神淡路大震災の年、自分にとっては母が亡くなった忘れられない年です。

この映画は映画館ではなく、その数年後にレンタルビデオで観ました。
その時もとても感動し、それを友人に話したところ、VHSのセルビデオをプレゼントしてくれて、さらに何度も見返して感動を深めた記憶があります。

この作品は大林宣彦監督作品に通じる心象風景の描き方が素晴らしく、すべてのシーンが透明な風のように心に染み渡ります。

一昨日この「Love Letter」が、Amazon  Prime Videoで無料で観られることを知り、十数年ぶりに見入ってしまいました。

以前も深く感動したのですが、今はその心揺さぶられる深さが違います。
プライベートなことで細かい説明はできませんが、様々なシーンがここ最近体験したことと重なり、自分でも驚くほど感情が高ぶってしまいました。

そしてこの感情の高ぶりを体験したことにより、ここ最近身近で起こった出来事が、自分にとっていかに大きな意味を持っているのかを理解することができました。
ですからその時の涙は、それを感じ取れた喜びの涙でもあります。

振り返ることのできる原点があることは幸せです。
確実に足元を固め、そこから一歩ずつ前に進んでいくことができます。

 

最近読んだこの本も素晴らしいものでした。

この本、この作者は初めて触れたものですが、ここに書かれているワンネス、自他の区別がないこの世はひとつであるという概念は、これまでたびたび究極の真理として感じ取っていたもので、それをこの本によってとても分かりやすい言葉で振り返ることができました。

この本を読んでいると、心の奥の最も深い部分が、何かとても懐かしい故郷にでも還ったかのような感慨を覚えます。
そして同時に肉体もまた、究極の自己に回帰したかのようなリラックス感に浸り、不思議な浮遊感が湧き上がってきました。

真に原点となるものは、肉体、魂の奥深くに元々刻み込まれているのだと感じます。
それを新たに知るのではなく、ただ気づくだけです。

今という時代の大転換期、古い衣を脱ぎ捨て、新たに築き、気付いた原点に立ち帰ることが求められています。

世界のすべてはその、空、意識、気づき、神、ワンネス、などなど、どんな言葉で呼んでもいいけれど、そのたった一つの存在(あるいは存在の基盤)のさまざまな表現であって、一見別々のものであるように見える私と山、私と本、私とあなた、私と世界は一つの同じもの。

人生とは、一度分離の苦しみを体験し、そこから全体性へと戻ってくるプロセスそのもののこと。本当の自分に目覚めていくことが人間が肉体を持って生まれてきた目的。世界にはその進化の衝動が埋め込まれている。その進化のプロセスを意識的に体験していくことで、個人は世界の進化の流れに乗ることができ、より深く人生を味わい、楽しむことができる。  そして、全体性へとたどりつけば、そこから先の人生は神のゲーム(リーラ)となる。自分を通して宇宙のプロセスが展開していくのを見守っていく。