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悪銭身に付かず

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今動きつつある時代の流れは陰から陽、西洋から東洋であり、また肉体重視から精神、心の持つ力への転換です。

心の持ち方については、太古より宗教や倫理といった形で語られていたものが、近年は引き寄せの法則に代表されるような、より実践的で身近な意識のあり方、マインドパワーといった形のものへと移りつつあります。

これは多くの人が心の持つ偉大な力に気付き、またその力が強まってきたことの証であり、これは今の時代の大転換期において、今後ますます強まっていくであろうことは間違いありません。

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心の持つ力とは、イメージすることによって自分の望むものが現実化するといった表層的なものではなく、その奥にある、物質、精神といった垣根を越えた精妙な因果律の中にこそその本質があります。

そして人間がこの世に肉体を持って生まれてきた意味とは、その因果律というこの世のルールの元で、いかに魂の本質に気付くかという、その一種のゲームのようなものなのだと感じます。

なぜゲームいう言葉を使うかというと、人間をはじめとするすべてのものが持つ生命は実に偉大であり完璧であり、その完璧な生命システムを持つ人間が、現実世界で争いや憎しみといった極めて低次元のことで悩み、苦しむのはどう考えても不合理であり、これは意図して設定したゲームでの中の出来事だと考えるのが、最も整合性の高い解釈だと思えるからです。

その因果律に気づけるというのは幸せなことです。
因果には悪因縁と呼ばれるものと良因縁とされるものがあり、これは自然になぞらえて考えれば、花は茎を切ってしまえば一瞬にして枯らすことができますが、花を種から育てるには多大な手間と時間を要します。

このことからも分かるように、悪因縁とされるものの方が、いいことよりも早く結果が現れます。
これは基本的な自然法則です。

少し恥ずかしいことですが、過去自分はこの悪因縁の如実な現れ方を何度か体験し、この世の因果律を深く知ることができました。
これは本当に有り難いことであり、これこそが「神のご守護」だと強く感じています。

 

その因果律はすべてのものを支配し、ただ表に現れる形が同じだから、同じ形のものはすべて同じであると考えるのは間違いです。

これまで何度も書いてきたように、この経済社会を律しているお金にもそれは当てはまります。
「お金に色は付いていない』、『どんな儲け方をしようが、お金はお金で価値に変わりはない』などと言われますが、これはお金以前にモノというものの本質を理解していないから言えることです。

一攫千金を手にするチャンスである宝くじは、ささやかな夢を追う庶民にとって大きな楽しみです。
けれど宝くじで一夜にして大金を得た人が、その場で大きな喜びを得た後に人生を大きく踏み外し、悲惨な末路を送ったという話は誰しも何度も耳にしたことがあると思います。

宝くじの賞金還元率は半分以下の40%台です。
宝くじを買うかどうかは自己判断ですが、それでも胴元である国、自治体、銀行が、どこの宝くじ売り場は以前高額当選が出たとか、当選者はこんな人だったとか、射幸心を煽る情報ばかりを流し、実際に大きな不幸を生んでいる人の情報を明かさないのは大きな罪だと感じます。

 

「お金に色は付いていない』という言葉は古くから日本にあるものなのでしょうか。
日本人の本来持っている美徳や感性からはほど遠いものだと感じます。
その反対の『悪銭身に付かず』ということわざ、こちらの方がよほど真理を突いています。

宝くじで得たお金が悪銭だとは言いませんが、細い茎しか持たない花に、一気に大きな花が咲き誇ったら、その重みに耐えかねて茎はポキッと折れてしまいます。
また宝くじの賞金は、膨大な人たちが手にしたいと欲望の眼差しで見つめていたお金です。
何か大きな貢献をして、その喜びの対価として支払われたものではありません。
その思いが宝くじの賞金には乗っています。

 

今日のニュースで、横浜市の林文子市長が、横浜に大規模IR誘致を正式表明したと報じられました。
IRとは統合型リゾート、具体的にはカジノ、もっとハッキリ言えば賭博場です。

横浜は首都圏にありながら近年は人口減少で、将来的に横浜の経済を活性化させるための施策とのことですが、賭博場で得たお金で街が潤い、そこに暮らす人たちが幸せになるとはどうしても思えません。

賭博というのは人間の欲望が集積した極めて醜い世界です。
自分は幸いにして高校生の頃、学校で少額の金銭を賭けたトランプや花札に興じ、そこで嫌な思いをたっぷりとしたお陰で、今はギャンブルといったものにまったく興味も関心もありません。

けれど今も日本にはギャンブル依存症という病に苦しむ人が少なからずおられるようで、こんな不幸な人は絶対に増やしてはいけません。

 

今から九年前、自らの運命の流れで二度の死に目に遭いました。
一度目の死に目は、街中の川で溺れてパトカー、救急車、新聞記者が来る大騒ぎとなりました。
昭和20年、広島の原爆で亡くなった人がたくさん浮んでいたであろう川に、原爆記念日の翌日に入り、まるで脚を引っ張られるような感じで、その場からまったく動くことができなくなってしまいました。
そしてそれを助けてくれたのは一緒に川に入っていた在日の方で、広島の裏社会で活躍されていた人です。

その方の家は広い二間続きの和室があり、昔はそこを賭博場を開帳していたそうです。
その方の言われるのに、畳の下には磁石が備えてあり、自由に自分の好きなサイコロの目が出せるのだそうです。
また当時はパチンコ屋も経営しておられ、横の部屋にはモニターが並び、台の出玉をそこから操作できるとのことでした。

 

これからは東洋の時代、その東洋の価値観を引っ張っていくのは日本の役目です。
その心の大切さに気付く時代にあって、日本に賭博場が開設されるというのは、あまりにも常軌を逸したことと言わざる得ません。

その新たなるリーダーとなる日本の中では、これまでの東京、首都圏中心ではなく、「ガイアの法則」にあるように、たぶん関西圏が日本の中心になってくるものと思われ、横浜のIR誘致は、その首都圏衰退のひとつの先駆けなのかとも考えられなくはありません。

 

この文明の大転換期、人類が無事乗り越えることができるのか、あるいは核戦争、天変地異で絶滅するのか、選択肢はこの両極端の二つしかないものと考えます。

そしてそのいずれを選択するのか、それを決めるための時間はそう長くは残されていません。

今ここに生きる人たちが、新たな時代の理を深く心で感じ取っていただくことを切に願います。