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ヨガナンダ



神のご守護

「正直者が馬鹿を見ない世の中であって欲しい」

若かりし頃、天理教で説かれている因縁の法則(因果律)を知り、
この神秘に満ちた生命体を有する宇宙は、
「善はいつかは報われる」そういった因果律で支配されていることを感じ、
またそうであって欲しいと強く願いました。

テレビや新聞を見ても、報道されるニュースのほとんどは暗いものばかり、
不正や汚職、様々な犯罪でも表に出てくるのはごくわずかでしょう。
その裏では摘発される何倍もの数の不正行為が行われているのだと思います。

悪いことをしても見つからなければいいのではないか、
馬鹿正直に生きても損をするだけではないのか、
そんな疑念を打ち消し、
自ら考える因果律に支配された理想の宇宙、
善行はいつか花開き、みんなが笑顔でともに暮らせる社会、
そういった世の中を作っていく “はたらき” をしたい、
若く純粋で、正義感が強く、理想に燃えていた当時の私は心からそう願いました。
    『働くとは、端(はた)楽(らく)、周りの人を楽にさせるという意味です』

50歳になった今もその気持ちは変わりません。
これまでの三十年は、この因果律を求める旅だったとも言えます。


因縁、業(ごう)、カルマ、・・・宗教によって呼び方は様々ですが、
原因があって結果がある、
この法則性は誰しもが納得する自然法則だと思います。

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ただこれをどこまで信じることができるのか、
またはどこまで体で納得することができ、
実際の生活に活かすことができるのか、
そこが大きな課題だと思います。

誰しもが100%因果律を理解し、生活で実践することができたなら、
世の中すべてがバラ色でしょう。
犯罪は起こらない、警察はいらない、
たぶん貨幣というものも不要となるでしょう。

私たちの生きる目的とは、
この宇宙の最も基本である因果律を
自ら理解することではないかと思います。


精妙なる因果律は絶大な力を持っていて、
万にひとつの狂いもないものと信じています。

原因があって結果がある。
実りを得るためには必ず種をまかなければなりません。

その種をまくのを怠り、ただ豊かな実りだけを求めるの行為は、
必ずそれなりの結果が返ってきます。
御利益だけを追い求め、たまたま努力をせずいい結果が得られたとしても、
それはただたんに “ツイている” だけです。

ツイている “ツキ” とは、キツネやタヌキなどの憑き物のツキです。
そういった低級霊の力を借りるからツキが得られるだけで、
その低級霊からのツキは、いつかは何らかの形で返さなければなりません。

また原因と結果の法則は時空の流れを超越するので、
過去に種をまかなくても、
ある日突然巨額の宝くじに当選するようなこともあるかもしれません。
けれども大きな実りを先取りし、その後種まきという善行を怠ったなら、
その人には大きな不幸が襲ってくることにもなりかねません。

そんなことは、宝くじと人生<1><2><3>にも書きました。
これらの文章を書いたのが数年前、
その後もかなりの頻度で
宝くじの巨額当選者が不幸になったというニュースを目にします。
因果の法則は本当に恐るべきものです。

願望実現、物欲に支配されたスピリチュアリズムは、
最終的にはそれなりの結果しか導かないことをよくご理解ください。


なぜ私たちはこの因果律をしっかりと理解し、
日々の生活に活かしていくことができないのでしょうか。

それは長い人生の歴史の中、
あるいは今この与えられた生命を超えて、前世、来世、
長い魂レベルでのスパンの中で、
様々形を変えながら不規則に自らまいた種の実りが現れてくるため、
それを実感として感じることが難しいからです。

またそうした環境の中、少しずつ自ら体験を重ねながら、
この宇宙の因果律を感じ取っていきたい、
そう魂が願っているのだと思います。


天理教を熱心に信仰していた時、
ある先生からこんな話を聞かせてもらいました。

『信仰をしているからといって、いいことばかりが起こるわけではありません。
 いい結果を望むなら善行を積まなければなりません。
 悪いことをすれば必ずその結果が返ってきます。
 ただ信仰をしていると、
 そういった因縁の法則が鮮やかな形で目の前に現れて、
 常に心を正さなければならないということを教えていただけるんです。
 これが信仰で得られる御利益であり、神のご守護なんです』


なんという素晴らしい言葉でしょうか。
今でもこの言葉は深く胸に残っています。

因果律のひとつの明確な現れがシンクロニシティー(共時性現象)だと思います。
人生において、このシンクロニシティーが多発する時期は、
自分の心が研ぎ澄まされていたり、
何かに向けて一心に努力をしていたり、
または大きな転機に差し掛かっていた時のように感じます。

シンクロニシティーは、スピリチュアルな道を歩む際に
何よりの勇気づけとなる一輪の花のような存在です。

原因と結果の法則が、明らかな形で現れることを、
天理教では「理が鮮やかに現れる」と言いますが、
私は長年、その鮮やかな理の現れ方を、
天理教の先生の身近なところで見せていただきました。

神に身を捧げる真剣な生き方には、
真剣で鮮やかな形で理という結果が返ってきます。
これは天理教に限らず、仏教でもキリスト教でも神道でも、
どのような宗教でも同じでしょう。

私は歴史という生命体の流れから、
現在ある金属の理を有する宗教(団体、組織)という形は
もうまもなく終わることを予測しています。
けれども今はまだ宗教の堅い教えで人を導き、
人を真剣に目に見えないものと対峙させる力は、
ちょっとお気楽な流行のスピリチュアルムーブメントよりも
はるかに勝り、必要性の高いものだと感じます。

神因縁のある私は、この「神のご守護」に人一倍恵まれてきました。
この神のご守護に導かれ、人とはかなり異なった人生を歩んできましたが、
今ようやっと自分なりにつかんだ宇宙、自然、時空の真理を
体現できるようになりつつあります。

不思議な出会い、導き、数え上げればキリがありません。
そんな中でも最も鮮やかな形で因果律が現れるのが、
悪いことをした時です。

シンクロニシティーは一輪の花です。
花に水をまき、太陽を当てるときれいな花が咲きますが、
種から育てるには長い時間が必要です。
けれども花を枯らすのは一瞬です。
茎をポキンと折ってしまえばいいのですから。

ですから因果律も悪いものほど早く現れる、
これも宇宙の基本法則です。

己の悪行をさらすのは勇気がいることですが、
こういったことほど皆さんの参考になると思い告白します。
まあそんなハデな悪いことはしていません。
ほんのちょっと、ささいなことです。 (;^_^A

大昔、会社の数字を少し操作しなければならないことがありました。
これは部内公認で行ったのですが、
その結果、少しだけ現金が宙に浮き、私の手元に残ってしまいました。
それをありがたくポッケナイナイとしたのですが、
その直後、みんなで行った社内旅行で、
ほぼ同額の現金が入った財布を落としてしまいました。

これもやや大昔、飲み会があり、二次会か三次会でスナックに行き、
カラオケを歌ってかなり酔っ払うまで大騒ぎしました。
帰りの会計の際、一人何千円かずつを支払うべきところ、
出口のところが混雑していたので、そのままスルーして出てきてしまいました。
ラッキーと思ったのはつかの間です。
その帰り道、酔っ払い運転の自転車で前のめりに転倒し、
顔面を傷付け、眼鏡をレンズ、フレームとも壊してしまいました。

私はこういった面でのリアクション(結果の現れ方)は、
誰よりも早いのです。

こういう時、
「オレって神様に守られているんだな〜♪」
と実感でき嬉しくなります
悪いことができないよう、神様(サムシンググレート)に守られているのでしょう。

つい先日、レストランで会計をする時、
伝票に書き漏れがありました。
その時はわざわざ時間かをかけて伝票を修正してもらいました。
別に私がいい人間だからではありません。
そうしなければ我が身に恐ろしい仕返しが返ってくることを知っているからです。
まるで目に見えない存在に、脅迫を受けているようなものです。 ^^☆


神のご守護、それはけっして楽な道を与えてくれるものではありません。
気づきを与えてくれる、それがご守護です。

もの、こと、それ自体には価値はありません。
価値とは、その人自身がそれをどうとらえるか、どう感じ、活かしていくかです。

心の中の気づき、それは何よりの宝物です。

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2010.3.17 Wednesday  
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