宝くじと人生<3>
宝くじというものがいかに人を幸福にしないのか、
宝くじと人生<1><2>をお読みいただきご理解いただけましたでしょうか?

けれども頭で理解するのは論理の世界、
人間の行動原理は論理では推し量れません。
特に欲得が絡む問題は、論理よりも感情、衝動といったものが優先されます。

「分かっちゃいるけどやめられない♪」
たとえばお酒の好きな人は、体を壊そうが、お酒の席での失敗を繰り返そうが、
二日酔いで何度となく死にそうな目に遭おうが、
“のど元過ぎれば” といった感じて、何かと理由をつけては酒を飲もうとします。

“何かと理由をつけては・・・” というのは、
論理をねじ曲げ、あるいは無視してでもということですね。
私もお酒はきらいじゃない(大好き)ですのでこの気持ちがよく分かります。

最近はやりの言葉で言うと
「でも、そんなの関係ねぇ」 ・・・ ということになるのでしょうか。


かく言う私も、このホームページにいいと思えることを「論理」として書いてはいても、
必ずしもそれらを実践できているとは限りません。
文章として書き Web に発表するということは自己決意表明であり、
“こうなりたい・・・”という思いも込めて書いているということは、
このホームページにたびたび綴ってきました。

けれども宝くじをはじめギャンブル、賭け事には、
幸いなことに一切興味がありません。
これもやはり論理を超えて体にしみこんだ思いです。


ギャンブルが嫌いな理由はふたつあります。
ひとつは約三十年間スピリチュアルな世界を歩んできて、
人生というのはすべてが必然であり、
目に見えない厳然たる自然法則が森羅万象を支配しているということが
身にしみて分かるので、投機的なものにはまったく関心がないのです。

言葉を換えて言うならば、
人生ほど面白いギャンブル、ゲームはないでしょう。
宝くじや賭け事に時間や労力を費やすのは、エネルギーの浪費としか考えられません。

もうひとつ、ギャンブルへの関心は、
幼い頃に早くも卒業(中途退学?)してしまったからです。

自慢じゃありませんが、
小中学校の頃の私は学校の成績は最底辺、
授業はまったく聞かず、宿題は全然やらず、
先生から怒られるようなイタズラは人一倍積極的に実践し、
授業中に立たされたり先生から殴られたりする回数はクラス断トツNo.1でした。

中学校、高校では休み時間になると必ず花札やトランプ・・・、
そうなると子供ゆえに少額ではあっても現金が飛び交うのは当然のことです。

当時(70年代)の子供にとって千円というとかなりの大金でしたが、
負けが込んでくると金額が二千円、三千円となり、
現金で払えないようになるとその金額をノートに書き、
貸したり借りたり ・・・ そして最終的には踏み倒したり踏み倒されたり ・・・ 、
そんなこんなでいやな思いを山ほど経験してきました。

それが今思えばギャンブルに対して
まったくアレルギーといってもいいぐらいの拒否体質を作ってくれたので、
すべての賭け事に対して関心がなくなってしまったのです。

大人になってから付き合いでギャンブルをして、
ほんのわずかなお金を手にいれたことは片手で数えられるぐらいはありますが、
そんなお金を手元に持っているのがイヤで、
すぐに友達と酒を飲みに行ったりして使ってしまいました。

一時期徹底的にギャンブルにはまり、
ギャンブルで得たお金は “悪銭” だということが体で分かっているからです。
世間では『お金に色はついていない』と言いますが、
あれはウソですね!!


最近ネットで面白い宝くじの話を見つけました。
もしあなたが宝くじを理屈抜きで大好きで、
「分かっちゃいるけどやめられない♪」という状態であるならば、
どんな論理、情報をもってしてもその気持ちを変えることはなかなか困難でしょう。

けれどもコップの中に一滴ずつ水を注いでいけば、
いつしか水がコップ一杯になり、
表面張力に耐えられなくなった水は堰を切ったようにコップからあふれ出てくるように、
論理もたくさん集まれば、自らの感情、衝動を変えうる力を持つはずです。
このホームページのメッセージがその一助となれば幸いです。

     「でも、そんなの関係ねぇ」なんて言わないでくださいね。(^-^)v


宝くじはどのくらい当たらないのか  ← クリックするとリンク元にジャンプ!

年末ジャンボ宝くじ。
毎年買う。いつも1等が当たると思って買うのに、なぜだか当たらない。筆者の友人夫妻は「もし当たったら人生変わるから買わない」と言うが、こんな夫婦ばかりだったら世の中平和なんじゃないかと思う。

さて、コネタ「宝くじの残りに当たりがあったらどうなるの?」にもあったとおり、1等の当選確率は1,000万分の1。「万が一」のさらに千倍当たらないのだが、どうもピンとこない。そこで宝くじをいろんなものに例えて、どのくらい「当たらない」のか実感してみることにした。

○宝くじ1,000万枚を敷き詰めてみる
宝くじの大きさを測ってみよう。縦7センチ×横15センチ。これを1,000万枚敷き詰めたらどうなるか。面積は7×15×10,000,000=105,000平方メートル。これを東京ドームの面積46,755平方メートルで割ってやると、2.25という答えに。東京ドーム2個と4分の1に宝くじを敷き詰めると、その中に1枚だけ1等があるのだ。

○宝くじを米粒に例えると
米粒1,000万粒の重さを計算してみよう。ひと粒の重さは約0.02グラム。0.02×10,000,000=200キログラム。5キロ入り米袋40袋の中にひと粒だけ1等があるのだ。何だか当たりそうな気がしないでもない。ちなみにお茶碗にすると軽く3,300杯分。

○宝くじをイナゴに例えると
筆者宅の冷蔵庫に、たまたまイナゴの佃煮があった。
カップ半分(90cc)にイナゴを詰めてみたところ、44匹入った。イナゴ1,000万匹ではどのくらいの体積になるのか。90÷44×10,000,000=20,454リットル。家庭用のお風呂1杯が大体200リットルだから、お風呂100杯分のイナゴの中に、1匹だけ1等イナゴがいる計算。想像してたら気持ちが悪くなってきた。

○宝くじをトイレットペーパーに例えたら
宝くじの横の長さは15センチ。これをつなぎ合わせて毎日お尻を拭いたとして、何日待てば1等に巡りあえるのか。
日本人のトイレットペーパー消費量は年間およそ50ロール。1ロールの長さはシングルの場合60メートル。ここから計算すると、15×10,000,000÷100÷(50×60)=500年。500年間宝くじでお尻を拭き続けると、1等のくじに出会うことができる。そのままうっかり捨てちゃいそう。何代かかるやら。

今年も早々にバラを10枚買ったのに、こんな計算をしていたらちっとも当たる気がしなくなってきた。ちゃんと仕事しようかな。
(R&S)


2007.12.21 Friday


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