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断続も力なり

『継続は力なり』
これは多くの先人が語ったあまりにも有名な言葉です。

大きな事を成し遂げるにはまずは小さなことの積み重ねから、たしかに何事も続けて行わなければ大きなゴールに辿り着くことはできません。

この言葉が誤りであるとは毛頭思いませんが、これは絶対的に守り、心得なければならないものだとも思いません。

どんな立派な教えも相対の中に存在し、絶対というものはあり得ません。
そしてそれを絶対と信じるところから誤りが生じます。
これはこの『継続は力なり』に限りません。

もし何かこれに関係した絶対的なものを求めるとするならば、それは、

この時空に絶対的に正しいもの、善なるものは存在せず、もしそれとよりいい関係を持ちたいのであれば、その負の側面を認識し、その上で関わることである。

ということです。

これがなぜ絶対的なモノしかない世界の中で“絶対”の“法則”だと言えるかというと、この相対の世界の中で、その相対性のあり方自体を説いているからです。
ちょっと言葉が難しいでしょうか。

 

継続のデメリットというのはいくつかあります。

『過ぎたるは及ばざるがごとし』
継続というものも、あまりにも徹底しすぎると周りのものが見えなくなってしまいます。
また価値観を自分の外に置くようになってしまう危険性もあります。

たとえば体にいいと感じて始めたことでも、あまりにもそれを連続して長期間続けると、続けること自体が目的となり、それが本当に自分の健康に役に立っているのかどうか、まったく検証しなくなることがあります。

さらにはそれを続けることに強迫観念を覚えるようになり、もし何らかの原因でその継続がストップした時は自責の念にかられ、それ以降プッツリと途切れるということがよくあります。

どんないいことでも、継続することでその本質が失われては意味がありません。
「ありがとう」という言葉がいい言葉だからそれをなるべく多く口から発しようと心がけて実践した結果、その言葉が少しずつ体に染み入って自己成長の礎となるかもしれません。
また逆に言葉がマンネリ化して記号のようになり、「ありがとう」の言葉にまったく心がこもらなくなってしまうかもしれません。

要はその人の心がけ次第ということ、“継続”という形はその外側にあるものです。

 

また大切なのはその人がどういうタイプかということ、金科玉条、何かひとつの事を徹底することが得意で、そこから大きな糧を得るタイプの人がいます。

また自分のようにその正反対で、真面目に毎日継続しない、適当にさぼりながら気軽にやる、その方が細く長く続き、長い目でいい結果を得やすいという人間もまた存在します。

『継続は力なり』そして『断続も力なり』、二つひとつでより絶対に近づくように感じます。

 

こまでは前振りです。

前項でこれまで学んだ心の世界のことを少し振り返ってみるということを書きました。
これってとってもいいですね。
以前深く感じ入ったもの、その世界に再びテキストを開いて浸るというのは新鮮な感覚です。

少しのインターバルを置くことによって、その間の自分の変化を感じ取ることができます。
これぞ『断続の効果』です。

今日は「今すぐ人生を変える簡単な6つの方法」を開き、目に入ってくる文字が以前とは異なる感覚で身に沁みるのを心地よく受け止めました。

やはりいい本にはいいことが書かれていますね。
まず心に響いたのがこの言葉です。

『出来事は重要ではない、出来事に対する反応がすべてである』(易経)

これを見て継続のことを思ったのですが、大切なのは継続するという形(出来事)ではなく、そこから何を得ようとしているかということ(反応)です。

けれど人間というのは弱いもの、「形ではなく本質を見よ!」と言ったところで、本質というのは本来自分で気が付くもの、そう簡単に見えるものではありません。
またそれが意識の中に入ったとしても、それを日々の生き様に反映していくのは大変なことです。
だからこそ本質の外側にある形というものを尊ぶのでしょう、そのようになった理由がよく分かります。

 

次に心に残った言葉、

『質の高い人生は、まず内側で創造されるものである』

これは前項で書いた「形の解決ではなく、心の解放、苦しみからの解脱を選ぶ」というのと同じことです。

ここで思うのは、内側も外側も鏡の世界、どちらも互いに通じ合っているということ。
これは内側は「反応」、外側が「出来事」と解釈することができます。

内側と外側、これは「鶏が先か卵が先か」という問答の鶏と卵の関係と似ているかもしれません。
けれどこの内外に関しては、まず内側の世界が先と考えるのが妥当でしょう。

その内側の世界を変えると必然的に外側の世界も変わります。
そして外側の世界への執着を手放すことで、真の自由が手に入ります。

 

その内側の世界は目に見えない世界、だからこそそこに通じ、目に見え形ある外の世界が大切であり、茶道、華道、武道といった道の世界、禅をはじめ仏教、キリスト教、その他すべての宗教・・・、心の世界を目指すもので形という外の世界をおろそかにするものは何ひとつありません。

ただこのあり方も時代の流れの影響を受けない訳にはいきません。
今は陰陽で言うところの陽から陰、五行では金属から水、すべては形をしっかりと保つ硬い世界からより柔軟な世界へと流れて行っています。

これまでの宗教に取って代わるように現れたスピリチュアリティの世界は、半世紀前のヒッピームーブメントのようであり、その流れを強く受けています。

近年世界中で広く認められるようになったLGBTの存在もまた同様です。
LGBTの人たちが掲げている旗は虹色、レインボーカラーです。
これまでの二色でハッキリと色分けられた性の区分から、より多様性のある世界への脱却を示しています。

型にはまった形の世界からより自由な形へ、
この流れは性区分だけではなく、すべてのものに通じるもので、これは誰の力をもってしても変えることはできません。

 

継続、断続という言葉に戻るならば、『継続は力なり』そして『断続も力なり』もまた力なり。
その中で、世界の大きな流れは“断続”というより自由の方向へと向かっています。

そして最終的には継続、断続という形を越えた内側、その本質が求められています。