英語を学び、その語源を知ると、日本語と英語との意味、解釈の違いに学ばされることがあります。
以前教育の会社に勤めていた時、教育は英語で言うとEDUCATION、この元となる言葉のEDUCATEは引き出すという意味で、教育とは持てる能力を引き出すことだということを何度も聞かされました。
日本語の教育は「教え、育む」こと、これは母性原理であり、対する英語の「引き出す」は父性原理的なもので、東洋と西洋の違いがよく現れています。
今『下坐に生きる』という本を少しずつ読んでいます。
十年来実践しているトイレ掃除もまさに下坐(下座)行であり、その意義深さは身に沁みて感じています。
「水は高いところから低いところへと流れる」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
社会人になりたての頃、「部下は三日で上司のことが分かるが、上司は三年経っても部下のことが分からない」という言葉を聞き、妙に納得したことがあります。
アメリカか香港か、大金持ちが社会のことを知るために、身分を偽って靴磨きとして街角に立つといった話も以前何度か聞いたことがありました。
こんな話はたぶん数え切れないぐらいあるのでしょう。
けれど誰しもが頭を下げる大切さを知りながら、その対極である自らをよく見せたいという承認欲求を同時に持ち、そのバランスの中で生きています。
またこれは国民性にも大きく関係し、日本人は謙虚さの美徳を重んじる民族であるのに対し、欧米人はまずは自分の権利をしっかりと主張することを旨とします。
インドでも職業身分差別のカースト制度が根深く浸透し、高いカーストの者は低いカーストのする仕事に一切手を付けようとしません。
この春訪ねたインドの大学で環境美化の話をし、教員や学生自ら学内の掃除を実践するべきだと話したところ、以前学生に掃除をさせたら「勉学をするべき学生に掃除をさせるとは何事か」と新聞沙汰になったのだと聞きました。
少し不思議なのですが、英語で「理解」を表すUNDERSTANDという言葉に、その下坐の思想が生きています。
UNDERSTANDとは「UNDER STAND」、相手の下部(しもべ)に立つからこそ相手との理解が得られるということです。
西洋にもやはりそういった考え方があるのですね。
そのUNDERSTANDの思想をうまく表している画像はないかと検索し、下の画像を見つけました。
UNDER STAND、男性が跪きながら女性と手を握り合っています。
この画像を見つけたのは韓国のサイトです。
今は日韓関係最悪の時ですが、韓国にもう少し真実に基づくこのような謙虚な姿勢があればと望むのは、日本人の身勝手でしょうか。
下坐行の目的は相手への理解とともに、自らの幸福度を上げることだと感じます。
公衆トイレで誰が汚したか分からない便器を一心に磨いていると、生かされているありがたさ、今この瞬間の喜びをしみじみと感じます。
そのありがたい気持ちと反対に、今抱えている感情の中に大きな不満がある場合、人は刹那的快楽に走ろうとする傾向があります。
刹那的、享楽的喜びにその不満の解消を求め、やけ食い、やけ酒などがその例です。
下坐行ができるというのは幸せなことです。
心に不満や葛藤が渦巻いていたならば、そういうことをしようという気持ちにすらなれません。
常に自らの権威や能力を誇示する人は、心の中に不満や劣等感を抱えているその表れなのでしょう。
目に見えない心と目に見える形は表裏一体です。
常に自らの心を正すため、見える世界で「UNDER STAND」の姿勢を保つことはとても大切であり、その姿勢という形が心を律します。
これから下坐行を行う時は、その意義を今まで以上に深く噛みしめたいと思います。
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