自分が変わる

アドラーの言葉
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平成元年、文明法則史学と出合ってから東洋、生命の真理を知り、気付かせてもらったことが多くあります。
そのひとつが、極端なもの同士は性質が似ているということです。

身近なスケール(大きさ)では、スケールが近いものほど似た性質を持っています。
翌年小学校に上がる幼稚園児と小学一年生は、伸び盛りの時期とはいえ体型は似たり寄ったりです。
けれど彼らと高校生は身体の大きさがまったく違います。
これは誰しもが分かる当然のことです。

ところがこれをさらにスケールを広くしていき究極の世界にまで遡ると、人体を構成する細胞、分子、原子までいったミクロの世界と、地球を通り越して太陽系全体まで見渡す世界とはその形態が極めて近似しています。

原子モデル 太陽系

このことは「フラクタル」のページに書いています。

政治的に極右のグループと極左グループはともに過激で暴力的で、思想は真反対でも行動指針は同じようなものです。

極大にまで膨れあがった風船の行き着く先は破裂した極小の世界です。
いつも顔を真っ赤にして走り回っている超陽性の人は、いつか倒れて寝こんでしまい、超陰性の日々を過さなければなりません。
無理に伸ばしたバネはいつか縮み、逆に強く押さえつけたバネは反発で大きく伸びようとします。

陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。
極陰と極陽とが性質、形態が似ていても、その真ん中である中庸の世界に似たものを見つけることはできません。
原子や太陽系のような構造は、人間が普段肉眼で見る世界ではなかなか見ることがないのです。

これはちょつと考えるととても不思議なことですが、これがこの時空の真理です。

 

2020年は本当に激動の一年でした。
コロナ禍に始まってまだ決着が着かないアメリカの大規模な不正選挙まで、大きな闇の動きとそれをまともに報道しようとしないマスコミの姿勢に感情のボルテージは上がりっぱなしでした。

時代の大転換期のスタート地点である今、2020年、この時にこのような闇の勢力が大きく力を伸ばすというのは極めて好ましくない状況であり、だからといってそれを傍観するだけでは何の解決にもなりません。

 

本当に時間の流れは一次元的で絶対的なものなのでしょうか。
ある考え方では、未来はまだ確定しておらず、未来は選択可能ないくつかのものがあり、それが今という時から未来に向かって何本もの枝を広げていて、その中のひとつを自分が選び取っているというのです。

つまり時間軸上の瞬間ごとに無数の選択肢が枝葉のように広がっているという、到底通常の常識では考えられない無限の世界です。

これは荒唐無稽とも思える考えですが、未知の時空世界では絶対にありえないとも言えません。
人間はそれぞれすべてが創造主であり、外部をすべてコントロールする力があるとしたならば、この考え方にも一分の理があるように思えます。

そして現実世界で極小と極大の世界が近似しているのですから、自分というミクロの存在が変われば、それに応じて地球全体のマクロ世界も変わっていくと考えることができます。
これは自分が大切にしている信条のひとつです。

 

最近は紙の年賀状はほとんど出さないのですが、今日は朝からデザインを考え、宛名やコメントを加える作業をしました。
暗い時勢の中で苦労しながら書いたメッセージがこの言葉です。

昨年は日本も世界も大きな闇が露呈した激動の一年でしたが、
マクロ(極大)の世界はミクロ(極小)とフラクタルであると信じ、
今年も自らを磨いていきます。

これが自分の中でモチベーションを上げていく最高の言葉です。

このことを今日東京にいる友人と電話で話をしたら、その後彼から電車の中で同じ言葉を見たと言ってメールを送ってくれました。
これがそのメールに添付されていた画像です。

アドラーの言葉

あなた自身が変われば、世界はシンプルな世界を取り戻します。

問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

さすがアドラー、究極の世界、究極の真理です。

年末年始、自粛を強く要請する社会の中で、ゆっくり何冊か本を読んでみたいと考えていましたが、アドラーの本も今一度読み返す必要があるようです。

自分のため、そして世界を変えていくために・・・。