感情の解放再び

感情を解放する

感情を手放し、心をスッキリ浄化させる方法として、セドナメソッドとタッピングは最も優れたものだと体験的に感じています。

それをずっと定期的、継続的に行えばいいのですが、それがなかなかできません。
たまに行ってその効果を体感しても、気持ちが落ち着いた後はそのままになってしまいます。

けれどこれでいいのかなとも考えます。
毎月行っている公衆トイレ掃除も、『トイレ掃除は心磨き』という題目で行っているので二つと近いものですが、トイレ掃除に参加した人たちは一様に「素晴らしい」「とても心地よかった」「また参加したいです」と言われますが、継続して参加する方はごくわずかです。

たぶん参加された方の素晴らしいという感想はみな本音だと思うのですが、みなさんそんなに“清々しくなる体験”を求めていないので、それで続けて参加しようはならないのだと思います。
実際に毎回継続参加している方は、自分を含め何か心を浄化なければならないと感じている方が多いように思います。

ですからセドナメソッドもタッピングも、その時々、心が求めている時に行えばいいのだと感じます。
家の大掃除も年に何度か、ホコリがしっかりたまった時にまとめて行うのですから・・・。

 

今はちょうどその時なのでしょう。
なぜか心の中にもやもやしたものが残り、また今の状態から大きくステップアップしたいという欲求を感じ、久しぶりにセドナメソッドの本を取り出して感情を手放すワークを実践しています。

間隔を空けて久しぶりに実践するというのもいいものです。
前回行った時の感覚と比較ができ、その間の自分の変化を知ることができます。

 

自分が健康を維持するために行っている様々な方法の内で、最も大切で効果的だと感じているのは「身体との対話」です。
これはお風呂の中で行っているのでもう二十数年間継続しています。
方法は簡単で、全身に手を当て、声をかけ、視線を向け、感謝の思いを伝えるのです。

浴室で身体を洗う時に全身各箇所に手を当て(手当て)、実際に口から声を出し(肥がけ)、そこを見つめながらその身体の部分、手なら手、指なら指に対する感謝の思いを伝える、実に簡単かつストレートな方法です。

これを行うことにより、身体全体を含めすべてのことに対する感謝の思いが高まり、もちろん健康維持にも大きく貢献していると感じますし、さらには全身の感覚がとても敏感になりました。
さらに感じることは、実践を重ねれば重ねるほど、感謝の対象となる身体と自分自身の大本、心が、ひとつではなく分離しているように思えてくるのです。

身体に感謝し、思いを伝えようとしている自分、あるいはその自分の心と、伝える対象となる自分の身体が分離された別のものであるという感覚、身体は自分ではなく、自分は身体とは別のところにあるという感覚、そういうものが芽生えてくるのです。

身体、肉体は真我という本源を包み込む鞘(さや)のようなもの、こういった感じ方で、これは実際に体感してみないと分からないかもしれません。

 

それと同じ感覚を、セドナメソッドの回数を重ねるごとに感情と心というその二つの分離感で味わいました。

「今自分は怒っている」「悲しんでいる」というのではなく、
「今自分は怒りの感情を抱いている」「悲しみの感情を抱いている」
といった感覚です。

これは肉体と心の分離よりも実感として感じ取れる方が多いのではないでしょうか。
感情に囚われず事実のみを見つめる、冷静になる、これと同じようなことです。

セドナメソッドを知ってもう十年ほどになるでしょうか、少しずつこの感覚が理解できるようになってきました。

 

これはセドナメソッドに限ったことではありませんが、何か自分が大きく変わろうとする時は、その決意を試そうとすることが訪れます。
これは何度も体験し、また同様の話もよく耳にします。

そして今回もまたそんなことがあったのですが、今は量子力学のことが頭の中にあり、そこでの時間を遡るような振る舞いをする時間の可逆性を考えると、
「自分が変わろうとするからそれを試すようなことが起こる」のではなく、
「何かが起ころうとするからその予感を受けて自身が変化しようと行動を起こす」
のではないかとも感じます。

これは答えのでない考察であり、そのどちらであっても大きな問題はありませんが、こういったことに思いを巡らすことにより、未来創造に対する主体性が芽生えてきます。

今の自分を変えようとする、そうするとその行動結果をより強固にせざる得ないようなことが起こってくる、これはひとつの時間の流れの中で起こってくることではなく、本質的にひとつのセットになったものであるという考えです。

大切なのは今この時、この瞬間に全力を尽くせば、それに応じた未来が創造される。
こう書いてみると大きな気づきではなく、ごく当たり前のことですね。

 

別の言葉で言うと『準備をしたところに奇跡は起こる』ということ。
これは天外伺朗先生の言葉で座右の銘にしているものです。

「いつか外国に行きたいな~。外国に行ったら英語が必要だけど、それは行けるチャンスが巡ってきたら勉強すればいいや」
こんな思いで海外渡航を夢見ていても、いつまで経ってもチャンスは訪れません。

「いつか必ず外国に行こう、だから今から万全の準備をしておこう」
この思いと行動が理想の未来という“現実”を創り出します。

 

セドナメソッドは、感情を解放する方法自体はとても簡単ですが、その心の上にまるでタマネギの皮のように折り重なった様々な感情や思い込みをはがすには多方向から心のあり方を見つめることが必要であり、その手法がテキストには詳しく書かれていて、これまで何度も読み返してきましたし、また読むたびに新たな発見があります。

今回心にとまったのは、
『自由を望むなら、理解したいと思う気持ちをぜひ解放してください』
という言葉です。

新たな課題に直面し、それを解決したいと強く望むがため、その対処法とともにその原因といったものにも深く心を傾け、堂々巡りに陥り、囚われてしまいます。
それをも手放さなければならないということは、その問題に直面している時にはなかなか気づくことができません。

 

今日はキッチンタイマーを利用し、一時間という時間の枠の中でセドナメソッドに取り組みました。
このキッチリと時間を区切るやり方はいいですね。
多方面に意識が向く自分にとって、何かの作業や片付けをする時などによく利用しています。

タッピングはセドナメソッドと同等かそれ以上に効果があると感じています。
ただその分ほんの少し手間がかかるので、今回はセドナメソッドが一通り終わった後に再トライしてみようと考えています。
(セドナメソッドが簡単すぎます!)

タッピングはこれまで何冊か本を読み、手法は少しずつ異なっていても効果はどれも大きなものを感じます。
自分としては最も簡単なこちらの本をお勧めします。

まずは実践から、心の大掃除でスッキリ気分を味わってください♪