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成功から幸福へ<2>

アンブマナイ・ボーイズホーム

成功哲学、成功法則、・・・成功こそが人生における幸福である。
現代人の多くがそう考え、またこんな根本的なことは当たり前のこととして、ほとんどの人は思うことすらないのではないでしょうか。

けれどこの違いを考えることこそが、現代人の思考のあり方を知る大きな鍵であることを、「人生論ノート」を読んで教えられました。

 

三木清が「人生論ノート」を書いたのは今からおよそ八十年前、その頃から当時の人間を“現代人”と称し、それ以前の人たちとの幸福観の違いの中で、成功と幸福との違いを説いています。

「成功について」に書かれている成功と幸福との違いを表にしてみました。

成功 幸福
現代的 現代的なものでない
現代人のモラルの中心 古代人や中世人のモラルの中心
進歩、直線的な向上 進歩というものはない
非宗教的 徳の根本としての中庸
一般的なもの、量的に考え得るもの 各人のもの、人格的な、性質的なもの
過程に関わる 存在に関わる

こうして表にしてみると、ほぼ同義と感じられていた成功、幸福という二つのものが、天地、男女などと同様に対極にあるものだということがよく分かります。

成功は進歩し、量的充足感が得られて初めて満足できるもの。
それは過去から現在という時間の流れ、他人や身の回りという空間の広がり、常にそれらの比較の中に存在する相対的なものです。

対して幸福は、個人的、質的なものであり、相対的ではない絶対的なものです。
その絶対的なものは己の内にのみ存在します。

 

人類の歴史はおよそ数百万年と言われていて、その気の遠くなるような歴史の中で、ここ数百年、数十年という極めて短い期間に爆発的進化、発展を遂げてきたことは誰もが知るところです。

そしてその変化の度合いがあまりにも急激すぎたので、変化という相対的、量的なものこそが人類の目指すべきものであり、幸福の本質であると現代人は思うようになったのではないかと考えられます。

けれど人類の暮らす地球環境は有限であり、量的拡大にはいつの日か終止符を打たねばなりません。
それがコロナ禍に翻弄されている今、この時ではないでしょうか。

 

今いるここは、インド最南端カニャクマリのマダラムドラというところです。
自分が初めて南インドを訪ねた12年前の当時は、ここはアンブマナイ・ボーイズホームという名の男の子たち四十名ほどが暮らす児童養護施設でした。

当時カニャクマリにはこことシオンブラムという二ヶ所の施設があり、そこで限りなく純真な子どもたちと出会い、カルチャーショック以上のものを感じ、以来ここに何度も足を運ぶようになりました。

アンブマナイ・ボーイズホーム

その時子どもたちから教えてもらい、深く心に刻んだこと、それは、
『足るを知る』
『価値があるから生きているのではなく、生きている、そのことに価値がある』
というこの二つです。

この誰と比べるのではない、心の内から湧き出てくるもの、これこそが真の幸福である。
三木清の説く幸福感が、そのことを思い出させてくれました。

 

幸福は自分の内から湧き出るもの、人との比較の中で生み出されるものではありません。

けれど日本語の“自己満足”という言葉には、あまりいい響きはありません。
これは競争社会、比較社会に於いて、しゃにむに生きることを求められてきた旧時代の名残です。

これからは自分を愛し、自分を喜ばせ、自分の心の声に素直に耳を傾け満足させる、それが人類共通の価値観になってくるものと信じます。

成功から幸福へ、コロナ禍の向こうには真の幸せが待っています。