追悼 村上和雄先生

村上和雄 SWITCH

数々の著書、映画「祈り~サムシンググレート」で知られ、筑波大学名誉教授である村上和雄先生の訃報をネットで知りました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

村上先生のお話は、自分が大学の最終学年だった39年前の夏、村上先生のご実家である奈良県天理市の天理教典日分教会の神殿で大勢の子どもたちとともにお聴きしました。
天理教では子どもたち向けに夏休み期間中「子どもおぢば帰り」という泊まりがけの大きなイベントがあり、自分は典日分教会とご縁があったので、その引率をさせていただき、村上先生のお話はそのプログラムの中のひとつとしてお聴きしました。

お話は子ども向けの易しいもので、ご自身の日々の研究において、牛の脳下垂体をいろんなところを駆け回って懸命に集めているということなどをお話しくださいました。
子どもたちに地道な努力の大切さをお伝えされたかったのでしょう。

 

村上先生のご実家である天理教典日(のりのひ)分教会は、天理駅のすぐ近くにある大きくて歴史ある教会です。
村上先生のご両親は天理教の布教師としてとても立派な方で、その立派なご両親の下、お二人の弟さん、妹さんとともに素晴らしい素養を磨き、徳を積まれたのだと思います。

自分が典日に足を運んでいた頃は、まだ先生のご両親ともご健在で、何度か話をお伺したことがあります。
村上先生は教会のご長男としてお生まれになり、本来なら教会長として教会を引き継ぐ役割をお持ちでしたが、学者になられたがゆえ、すぐ下の弟さんでいらした忠雄先生が教会長となり、自分はこの忠雄先生からいろんなことを教えていただき、啓発を受けました。

その頃父が胃ガンを患い、その快癒を願うため、自分の生涯を天理教の布教師として神に捧げようと神前で真剣な誓いを立てました。
けれどその大きな決断に所属している布教所の先生はたじろいでしまい、ともに忠雄先生のところにお話をお伺いに行き、その時に忠雄先生から
「社会に出ていろんなことを知ることも大切な学びです。大学だけは出ておいた方がいい」
というお言葉をいただき、大学をギリギリの成績でしたが卒業し、就職するという道を選びました。

就職して初めて体験する一人暮らし、社会人生活でものの見方が大きく広がり、自分は特定の宗教というひとつの狭い枠の中では生きていけない人間であることを知り、その後少しずつ信仰という面では天理教から離れ、これまでの宗教とは違う道でこの世の律法を知り、それを伝えていくことが己の天命であり、己の神の道であると感じるようになりました。

自分にとって天理教典日分教会、村上忠雄先生は自分を天理教とは異なる別の広い神の世界へと導いてくださった忘れることのできない大切な存在です。

 

その後天理教とは疎遠になりながらも、自分の直接の先生が宗教家としてとても尊敬できる方であり、今でもご縁は続いています。
その間二十数年前に神殿に置いてあった村上和雄先生のご著書を読ませていただき、それから数年経ってサムシンググレートとという言葉とともにスピリチュアルの世界で広く名前を知られるようになっていかれました。

忠雄先生とは社会人になってからお会いしたのは、所属する先生の息子の結婚式で隣の席にご夫婦でお座りになられた時一度だけです。
あれが11年前の2010年、その4年後の2014年、忠雄先生は享年76歳でご永眠されました。
下の写真は結婚式で仲人の挨拶をされている忠雄先生です。

裕介結婚式

忠雄先生は晩年天理教のケニア布教に尽力され、いきさつはよく分かりませんが、その間典日分教会は血縁のない当時住み込んでおられた方が教会長となり、村上家との縁は切れてしまったようです。

天理教の教会は、本部組織が各地区に支部を設けるといったような形ではなく、信者個人が布教をして自分の思うところに自分の力で布教所なり教会を建て、所属するのは地区ではなく、教えを直接授けてくださったところという形になります。
けれどこれも詳しいことは不明ですが、天理教の教会はその設立の経緯に関わらず、所有権は天理教教会本部にあるようで、教会の中には前任者と本部が指名した後継者との間で争いになっているところがあるようです。

自分も一時期形の上で典日分教会所属となったことがあり、典日には忠雄先生が亡くなられた後一度だけ参拝に行かせてもらいました。
その時上がらせてもらった神殿には、壁の上の方に村上先生のご両親のお写真が飾られていましたが、もう村上家のご実家ではありません。
宗教の問題は複雑です。

 

村上和雄先生の唱えられていたサムシンググレートは、目には見えない、形は感じられないけれどこの世を律し、生命を形作っている何か偉大な存在、それを人は神と呼び特定の神名を拝したりしていますが、これを宗教的イデオロギーを除けた純粋なものとしてこの言葉を用いられたのだと思います。

これは人によってキリストであったりアラーであると感じるのでしょう、また何か特定の宗教を信じないことをポリシーとし、サムシンググレートという言葉であるがゆえに尊いと感じられる方も多くおられると思います。

村上先生ご自身は天理教の信者の方に向けての講演で、
「サムシンググレートとは天理王命です」
とハッキリと述べられています。

天理王命は「てんりおうのみこと」と読む天理教で拝する神名です。
ただこの神名を出しても一般の方には受け入れていただけないので、サムシンググレートという名前にしていると話されていました。

サムシンググレートとは自分の外に絶対的存在を認めること。
つまり天理教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、これら一神教の考え方に基づいています。

天理教の根本原理に『ふたつひとつは天の理』という言葉があります。
これは東洋の陰陽論とまったく同じです。
これに従って考えるならば、神という存在を自分の外に置く一神教と、自分を含めたすべてのものの中に神を感じる多神教的考え方とは「ふたつでひとつ」、陰と陽との関係であると考えられます。

そして生命ある歴史の大きな流れで見たならば、今は「原初の理」である陰性に回帰する時であり、時代の流れは一神教的なサムシンググレートから多神教的なエブリシンググレートとなっていくと考えるのが自然であり必然です。

 

これは極めて大切な生命観の根本であり、いつの日かこのことを、村上和雄先生の考え方を認めた上で村上先生と語り合いたい、それが心の中に抱く大切な夢でした。
けれどそれはもう叶わない夢となってしまいました。

それでも村上先生が伝えたいと願われていた生命の偉大さ、神秘、それに対する畏敬の念は、自分も村上先生と変わることなく持っていて、それを世代を超え、その時代に合った形で伝えていくことが自らに課せられた天命だと信じています。

生命は限りなく尊く永遠です。

村上和雄先生の魂という永遠の生命も、業績も、思いも、これからも永遠に光り輝き続けていくでしょう。

 

映画『祈り~サムシンググレートとの対話~』を献映画として、地球蘇生プロジェクト様より4月18日(日)まで無料で視聴できるそうです。
視聴方法はこちらをご覧ください。