SSH 忘れられない日

今回はインド最南端タミルナド州を訪ねる八回目の旅であり、五年前の2014年には、タミルナド州の北西にあるカルナータカ州にも三ヶ月半滞在しました。
カルナータカに行った目的は、アジア協会という大阪にある公益社団法人がサポートするコスモニケタン日印友好学園に駐在し、そこでの里親制度構築の支援をすることでした。
<公益社団法人アジア協会アジア友の会>

このアジア協会ホームページのトップに出てくる子どもたちの笑顔いっぱいの写真は、自分がコスモニケタンを訪ねた最初の日、盛大な歓迎式典の終了直後、子どもたちに声をかけながら撮ったものです。

アジア協会はアジアの貧しい国々に対し、子どもたちの教育機会を与え、安全な水や食料を提供する活動をしています。
そのアジア協会が行っている様々な活動の中に、自分が頻繁に行くタミルナド州で支援をしている団体があり、その活動内容はほとんど何も知らないものの、今回渡印を前にアジア協会と連絡を取り、そこを訪問させてもらうことにしました。

そこは「SSH – SOCIETY FOR SERVING HUMANITY」という団体で、貧困家庭やHIVに感染した子どもたちの支援、女性の経済的自立、地位向上のための活動をしています。
場所はディンディカルというタミルナド州のほぼ中央に位置する町です。


<SSH – SOCIETY FOR SERVING HUMANITY>

 

SSHはアジア協会が支援しているのだから間違いなく素晴らしい社会活動をしいるのだろうと感じていた程度で、事業内容やホームページのアドレスはインドに着いてから知りました。

ディンディカルという町もまったく行ったことがありません。
幸いなことに懇意にしているスシルが亡くなられたお父様の法事でタミルナド州最南端のナガラコイルに帰省する予定があるとのことで、彼の車に乗せてもらい、ディンディカルまで送ってもらうことになりました。

3月23日、州最北部の州都チェンナイを早朝出発し、年々快適になるインドのハイウェイを車で飛ばして約六時間、午後二時前にディンディカルにあるSSHに着きました。
そして到着後車の中で、施設の様子を見たスシルが自分に向かってこうささやきました。

「サカイさんのことをみなさん大歓迎しておられるみたいですよ」

 

建物の入り口にはたくさんの女性や子どもたちが集まり、床にはチョークで描かれた絵レンゴリで “JAFS” と書かれています。
JAFSとはアジア協会のことです。

そして建物を入ったところの壁には名前入りで大歓迎と書かれたポスターが貼られています。

さらに二階はレセプション会場になっていて、正面の黒板にも大歓迎の文字が・・・。
まずはそこでスシルの上のお嬢さんシャリーンと一緒に記念写真を撮りました。

SSHの支援母体はドイツの団体で、日本のアジア協会もその支援に加わっています。
自分はまったく何気なくここを訪ねたつもりでしたが、先方は賓客として扱ってくださり、スシルが言うには、「サカイさんはアジア協会の代表としてここの状態をチェックしに来たと思っているんじゃないでしょうか」とのことです。

スシルはインドで現地法人の日立で通訳として働き、日本語も堪能です。
彼が言うには、自分たちが行くので施設もきれいに掃除され、今日の食事もいいものを提供されているようなので、今回ここに来た事情は詳しく説明しない方がいいですよ、とのことです。

 

施設一階にある代表者ブリトーさんの部屋でスシル夫妻、子どもたち二人とともに食事をとりました。
その後で二階に上がってレセプションスタートです。

ブリトーさんの挨拶、自分たちの紹介の後、支援を受けている子どもや女性たちが挨拶に加えそれぞれの現状を一人ずつ詳しく話してくれました。
タミル語で話す彼らの言葉をスシルが日本語で通訳してくれます。

子どもたちの多くは片親か両親を亡くしています。
そして驚くべきことに、ここに集まった子どもたちの半数以上がHIV/AIDSに感染しているのです。
HIVはよく知られているように根本的治療法のない病です。
そしてできることはそれがエイズとなって発症するのを防ぐしかありません。

インドの子どもたちは限りなく明るく素直で可愛らしく・・・、それは今目の前にいるHIVに感染した子どもたちもまったく変ることがありません。
HIVに感染してもエイズが発症するまではほぼ元気です。
そしてHIVの子どもたちのすべてが両親からの感染です。

この元気で可愛らしい子どもたちがこんなにも深い苦しみを抱えているなんて・・・、日本では到底味わうことのできない過酷な現実を目の前にし、胸が押しつぶされそうになりました。

子どもたちはこの施設で暮らしたり学んだりしているのではなく、自分たちの村にいて生活や学業、食糧支援を受けています。
そして今日はこのレセプションのため、わざわざ村から母親や祖母といった親御さんとともに集まってくれたのです。
中にはバスを三つ乗り継ぎ、三時間半かけて来てくれた子どももいました。

HIVの子どもたちは毎日政府から支給される薬を飲まなくてはなりません。
それは忘れることがないようノートで管理されていて、そこにはHIVという刺激的な言葉を避け、代わりに “A.R.T” という言葉が使われていました。

子どもたちのほとんどは貧しい村の出身で、カースト最下層であるダリット(不可触民)です。
HIVの子どもたちは今は健康状態を保っていますが、親御さんの中には体調を崩し、まともに働くことのできない人もいます。
ですから子どもたちが日々当たり前の日常を過ごし、学校に通って知識や技術を身に付けるためにはそのための資金、援助が必要であり、SSHはそれを助ける活動を行っています。

子どもたちの中には医者や看護師になりたいと具体的志望を語ってくれる子もいます。
そしてそのために進む上級学校の学資の必要額も教えてくれました。
それは年間15000ルピー、日本円で約25000円といった程度で、日本人が少し贅沢を我慢すれば決して払えない額ではありません。

『うばい合えば 足らぬ わけ合えば あまる』
この言葉を心の底から噛みしめました。

うばい合えば 足らぬ わけ合えば あまる

SSHの活動は1988年から三十年以上続いていて、その間学資援助を受け学校を卒業した23歳の大きな子も来てくれました。
彼らはハイスクールを卒業してエンジニアになったり、さらにディプロマという専門技術を学ぶ上の学校に通っています。

あまりにも過酷な現実を目の当たりにし、もう本当に言葉がありません。
たまたま縁あってインドと深い関係を持ち、
たまたま縁あってアジア協会を知り、
たまたま縁あって日本語が堪能で正義感の人一倍強いスシルと懇意になり、
たまたま縁あってスシルの帰省に便乗してSSHまで連れてきてもらい、
たまたま縁あってスシルに通訳とインドの現状について解説をしてもらい、・・・
すべては必然によって導かれた何かだと思わずにはいられません。

そしてそれは目の前で微笑む貧しいHIVの子どもたちもまた同様なのでしょう。
彼らも、そしてそれとともに向かい合う自分たちも、この現実から何を学び、どう対応していくのか、それを強く求められているように感じます。

過酷の現実を抱えながらも微笑みを湛え今を懸命に生きる子どもたちから、自分もその精神を強く求められていることを感じました。

女の子の一人がアクセサリーを作って生計を成り立たせていると言っていたので、そのいくつかをお土産として買わせてもらいました。
女の子の嬉しそうな表情に心癒やされます。

最後に全員で記念写真、この子たちからとてつもなく大きなものをもらいました。

この後で一階に下り、日本から持ってきたぬいぐるみやお菓子を配りました。
みんな素晴らしい笑顔をしています。

この子は子どもたちの中でも最も印象に残った女の子です。
ぬいぐるみを受け取って大喜びし、お米や穀物、豆などが入った食料支援物資を手にしています。

よく子どもは天使みたいだと言いますが、彼女は “天使みたい” ではなく、もう天使そのものです。
年の近いスシルのお娘さんとも瞬時に仲良くなり、何をしても楽しそうに微笑んでいます。

こんな穢(けが)れなき存在が・・・。
この子から学んだこと、真の穢れとは、肉体やモノといた形あるものに存在するのではなく、目に見えない心のあり方にのみ存在するのでしょう、そのことを知りました。

日本に戻ったらこの子の微笑みを鏡とするべく、彼女の写真をプリントアウトし、机の前に飾っておこうと思います。

ここでスシルと別れ、彼らは田舎へと向かっていきました。
スシルには本当にお世話になりました。

 

この後は車に乗って支援してる子どもたちのいる村へと向かいました。
インドの田舎の村はどこもたくさん子どもたちがいて、いつも興味津々で出迎えてくれます。

最初はこの女の子の家に行きました。
ハイスクール11年生の17歳、お父さんは亡くなり、お母さん弟とともに生活し、SSHから生活物資や学資のサポートを受けています。

彼女の家はこんな簡易型のもので、頭をかなり低くして入らなくてはなりません。
また屋根は瓦を並べただけのものなので、雨の時は激しい雨漏りがして、地面むき出しの床はびしょ濡れになるそうです。

彼女も自分の望む職業に就くため上の学校へと進みたいものの、クーリー(農作業などの手伝い)をしているお母さんの収入では難しと語っていました。
自分はただそれを聞くだけです。
本当に申し訳ない・・・。

貧しい村の家は粗末なものばかりです。
朽ち果てた家を見ると、構造の芯に素焼きの植木鉢のようなものが使われています。

次の家庭も二人姉弟、両親はおらず、おばあさんと暮らしています。
写真右の二人です。

自分にできるのはただ話を聴いてあげるだけ、そしてお菓子とか風船をプレゼントし、ハグしてあげることぐらいです。

最後は女性の自立支援活動をサポートしている村に行き、女性グループから話を聴きました。
女性たちは村の集会所のようなところに集まっています。

インドでは女性の地位が低く、経済的にも自立困難で、SSHはそこから脱するたるの起業支援や職業訓練などを行っています。
近年日本では女性の地位が向上し、男女が同じ権利を有し、いずれインドもそうなるでしょうと語ると、とても喜んでくださいました。
また日本の冠婚葬祭のあり方も急速に変化してきているのと同じく、インドでも今後婚姻時の花嫁側から贈る巨額の持参金制度ダウリもなくなる方向へと行くものと思われます。

ここでも大歓迎を受け、立派な花輪を首にかけていただきました。

今日はもう胸に抱えられる許容量の何倍ものものをみんなからいただき、こうした機会を与えられた使命感と責任感の重さをひしひしと感じます。
自分に何ができるのか分かりませんが、何もしなければ何も始まりません。
また何かを始めれば何かが生まれます。

とにかく今の思いを大切にし、今自分にできることから始めて行きます。
ただそれだけであり、それがすべてです。

今日は自分にとって生涯忘れられない一日であり、また忘れてはならない一日となりました。