建設工事の現場では、安全に対する心構えとして「ヒヤリ・ハット」という言葉が常に唱えられています。
ヒヤリ・ハットはハインリッヒの法則とも呼ばれ、ウィキペディアにはこう書かれています。
ヒヤリ・ハットとは、重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の認知をいう。
文字通り、「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりするもの」である。
300件のヒヤリとする危険なことがあれば、その十分の一の29件は実際に軽微な事故・災害につながり、また1件は重大な事故や災害に起きる可能性があるというものです。
逆に言えば1件の重大な事故の陰では、軽微な事故が29件、ヒヤリとするようなことが300件は起きているはずであり、重大事故・災害を防ぐには、そういった身近なヒヤリとするようなこと、軽微な事故を防ぐ努力をしなければならないということです。
これは建設現場だけではなく、医療、農業、・・・すべての作業現場に通じることです。
通常の風邪やインフルエンザと変らない、あるいはそれよりも影響が軽微と考えられる日本に於ける新型コロナウイルスに、今でも異様と言えるほど社会全体が萎縮してしまっています。
この現状が異様なら、それに対する政府の施策も的を外れた異様なものという印象を強く持ちます。
近年日本では毎年のように大きな災害が起き、自分もここ数年は毎年県外に災害ボランティアとして出かけていましたが、今年はコロナの感染拡大防止という名目で、県外からのボランティア参加は原則禁止となり、どこの被災地にも行くことができませんでした。
それなのにGo To トラベルと称するキャンペーンで、遊びに出かけるのはOKという施策はまったく理解不能です。
ここ数日前からGo To イートキャンペーンで、本来の目的から外れたポイント取得をする利用者が多いということが話題になっています。
なんでも300円ほどの料理一品だけ、あるいは数十円の調味料をひとつだけを頼み、それで夕食千円分のポイントをせしめるというものだそうです。
なんとも浅ましい行為ではありますが、ルール上は違法ではありません。
けれどこれをやられると、サイト経由で予約して来た客に対しては、サイトによっては数十円から200円程度の手数料を支払う必要があり、店は人件費以前に完全なる赤字となってしまいます。
まずはこういったことをする人間のモラルに大きな問題がありますが、それ以前に、こういった悪用可能な制度を作った行政に大きな責任があると考えます。
今はどのスーパーに行っても、少しでも消費期限の新しい食品を手にしたいと、食品棚の奥に手を伸ばす買い物客の姿を必ずと言っていいほど目にすることができます。
商品の入荷、出荷は「先入れ先出し」が基本です。
先に仕入れたものを先に販売し、無駄なく、商品が劣化してダメになるのを防ぐごく当たり前の手法です。
そのため店の商品を並べる販売員さんは、床にひざまずき、並んでいる商品をいったん手前に寄せるようにしてその後ろ側に新しい商品を並べていきます。
けれどこのことを知った上で、
『自分さえ新しいものが手に入ればいい』
という思いで手を棚の奥に伸ばし、消費期限の数字を確認し、より新しいものを買い物かごに入れようとする買い物客が後を絶ちません。
本当に残念なことですが、これが今の日本の現状です。
他人への思いやり、恥の文化、そんなものはどこかに行ってしまっています。
このスーパーで行われている『自分さえよければ』という行為は、Go To イートキャンペーンの制度の裏をかいてポイントをせしめる行為と本質的にまったく変らないものと考えます。
これをさきほどのヒヤリ・ハットに照らすならば、今の利己的な消費者が多数いる現状では、そういった浅ましい人間が複数現れてくるのは至極当然なことなのです。
そのことを事前に理解できなかった制度を作った政府、政治家や官僚たちは、ハッキリ言って相当頭が悪いのか、庶民感覚からかなりズレた思考の持ち主なのだとしか考えられません。
残念ながら、今の日本は性善説では物事は成り立ちません。
それでもまだいくらかは希望が残っています。
台風や地震で被災した地区には多くのボランティアが集まり、そこでは他の国のように暴動や混乱が起こらないのは日本の美徳だとはよく言われることです。
スーパーの利己的行為がキャンペーンの浅ましい行為につながるのであれば、なんとかして最も身近な利己的行為をなくすことが、全体を大きく変えるキッカケになるはずです。
身近なヒヤリ・ハットをなくすことが大きモラル崩壊、凶悪犯罪の減少等、社会を大きく変えていくキッカケになり、これがヒヤリ・ハット、ハインリッヒの法則です。
具体的には、スーパーでは必ず棚の手前の消費期限の古いものから取るということ。
これは以前も書きましたが、大切なので再度述べます。
商品の製造日が数日違っても、それで品質や味の変化はほとんどありません。
それは目隠しをして実際に味わってみればよく分かります。
それでもより新しいものをと手を棚の奥に伸ばす行為は、食品ロスを生み、大切な食料を廃棄する事へとつながります。
これはもちろん犯罪ではありませんが、とても罪な行為であり、それは『自分さえよければ』という思いとともに、その人の心に永遠に残り続けます。
よく運命をよくする方法というのを目にします。
朝起きたらすぐに窓を開ける、玄関、トイレをキレイに保つ等々・・・。
それになぞらえて言うならば、食品棚の奥に手を伸ばすのは、確実にその人の運命を悪い方向へと導く行為です。
もしスピリチュアルなことに少しでも関心をお持ちなら、そのことを深く心に留めておいてください。
もうひとつは、ゴミを道端に捨てないということです。
自分が暮らしている広島は、国際平和文化都市という名称を掲げ、平和公園や原爆ドーム、資料館といった各種施設を備えています。
けれどいくら平和や戦争に関する施設やモニュメントがあったとしても、その街自体がゴミだらけで風紀が乱れていたとしたら、そこの荒んだ空気に平和を感じ取ることはできません。
真の平和とは、施設や文言で提示するものではなく、そこに漂う“空気”のようなもので感じ取るものだと信じ、広島の街の公衆トイレを磨く作業に勤しんでいます。
特に願うのは、小さな子どもたちにゴミ取り体験をしてもらいたいということです。
街のゴミを掃除してキレイになったその心地よさを体感し、住民の人たちの喜びの笑顔を知ったなら、大人になっても道端にゴミを捨てたり、書店で平積みになった本の上に自分のカバンを置くような行為は決してしないようになるでしょう。
これがいい国を作るための最も底辺を支えるモラルという文化になると考えます。
『悪事千里を走る』
今のネット社会では、悪い情報、不正なことは一瞬にして大きく広がっていってしまいます。
それを食い止めるのは機械的なシステムではなく、一人一人の心の中にあるモラルであり、それを培っていくことが今最も求められているものと考えます。
食料品は棚の手前から取る、ゴミを道端に捨てない、できれば自ら拾い集める、これらが社会を変えていく大きな力になるものと信じます。
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