五嶋みどりのヴァイオリンの音が頭から離れず、今日も彼女のことを書かせていただきます。
五嶋みどりの音を一言で言い表すなら「精神性」だと感じます。
このバッハのパルティータは、以前このホームページでヒラリー・ハーンの演奏を紹介させてもらったことがあります。
この演奏も見事ですが、受ける印象はまったく異なります。
極めて繊細で美しく、その点ではひとつの極にある演奏だと思います。
ヒラリー・ハーンの奏でる曲はすべてそうですが、一音一音があたかも宝石のように美麗でそれがキラ星のごとく連なっています。
ヒラリー・ハーンが流れるキラ星であるのに対し、五嶋みどりは一音一音を糸のように紡いで布を織っているかのようです。
ハーンの演奏は世界のトップクラスと言うよりも、自分の知る限り、技術的にはもうトップと言ってもいいのではないかと感じます。
けれど演奏を耳にした時、聴き手の精神に与える力は五嶋みどりの方が大きく、かつ深いように感じます。
音というのは耳の鼓膜を震わせ、身体の表面に振動として伝わってきます。
通常はそこ止まりですが、五嶋みどりの奏でる音は、鼓膜や身体の皮膚という外面との境を超え、身体の内面へと染み入ってくるのを感じます。
身体の内面まで入ってくる、だからこそ身体の内にある心を震わせます。
そして五嶋みどりの音楽は、その心と密接に共鳴するがゆえ、“心を震わす”のではなく“心が震える”というより主体的な印象を持ちます。
この音の印象は、美波動を使った時と極めて似ています。
種類はなんでも結構です、美波動がお手元にある方は是非試してください。
美波動をステレオやラジカセなど音の出る機械の上に置くと、そこから出る音がそれまでは身体の表面で留まっていたものが、まるで遠赤外線のように身体にグッと浸透してくるのが感じられるはずです。
五嶋みどりの演奏が、誰にとっても深く心に染みるものかどうかは分かりません。
たぶん多くの人が感じられることと思い、これから機会があれば尋ねたいと思います。
けれど感覚評価というのは100%客観というのはあり得ず、演奏スタイルにも好みがあり、主観、客観の折り混ざった難しいものです。
ここインドで膨大な自由時間を与えられ、日々思ったことをやりながら、日本にいた時に続けていた習慣は、ここインドでも継続できるよう努力しています。
けれど何しろロックダウン中は外出もままならず、運動不足になることは否めません。
(ロックダウンが解除した今もまだ外出できません)
今いるゲストハウス周辺を掃除することが唯一の運動で、言い訳になりますが、ここはヨガマットもなく、長く体幹トレーニングもしていません。
それとここでは毎日水浴びで浴槽に入ることがないので、お風呂でしていた習慣は別の形で補うようにしています。
ところが、日本では毎日行なっていて、ここインドではすっかり忘れていてしていなかったことを、今日ひとつ思い出しました。
いつもお風呂に浸かりながらしていたことです。
それはご先祖様への感謝です。
半身浴で湯船に浸かり、目を閉じ、自分の頭の後ろあたりに両親、その後ろに四人の祖父母、その後ろにはひいお爺さん、ひいお婆さんたちと、倍々で広がっていくご先祖様を思い浮かべ、その生命の継承のお陰で今の自分があるということを感謝を込めてイメージするのです。
一昨日から五嶋みどりの素晴らしい演奏に触れ、そこで『己の生の根源』を見たような思いになり、それが忘れていたご先祖様への感謝を思い出させてくれたように感じます。
さらにはもうひとつ気が付いたのは、扇型に広がっていくご先祖様からの生命の継承の歴史はどこに原点があるのかということです。
それは扇の形を見れば明らかです。
過去に向かって広がっていく原点、たったひとつの点、そうです、自分がこの世に生を受けたその瞬間です。
これまでいろんなものや出来事に感謝の念を送ってきましたが、自分の誕生日の生まれた瞬間に思いを馳せたことは一度もありませんでした。
この瞬間の光景、それが五嶋みどり奏でるバッハを聴いた時に浮かぶ情景ではないかと感じます。
今こそ生の原点を振り返る時、この世に生を受けたことに感謝します。
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