読書について

読書

ここインドに来て百日以上経ち、最初の二週間以外は同じところでほぼ缶詰め状態で過ごしています。

それでも日々快適に過ごせるのは、ここの環境がとてもいいことと、タブレットやスマホといった電子機器のお陰です。

 

この間ずっとネットは見続けています。
インドで入手したSIMカードは28日間有効、通話サービスと一日2GBの容量制限で約600円、もう三回期間延長しました。
日本のSIMやケイタイ料金は高過ぎです。

ネット以外は当初は音楽鑑賞と英語学習がメインだったのが、途中から読書の楽しさに目覚め、今は日々読書に勤しんでいます。

本はAmazonの電子書籍Kindleからダウンロードし、大きなiPad pro 12.9インチとスマホの両方に入れています。

これまで日本にいる時は電子書籍にはほとんど触れたことがなく、最初は大画面のiPadの方が絶対に読みやすいだろうと思っていましたが、意外とスマホの方が手軽で便利ですね。
画面が小さくてもそれで読みにくさを感じることはなく、競走馬の遮眼帯のように、その方が意識が集中できるように感じます。
これはまったく想像外でした。

 

本は無料の古典文学、百円前後の電子書籍専用本、日替りや月替りといったセール本ばかりを選び、それでもこの間一万円ぐらいは使ったように思います。

この本を選ぶ作業がものすごく楽しいですね。
古本屋に行って安い本が並んでいると、ついついいろんな本を手に取ってしまいますよね。
あの感覚です。

まったく無作為にすべての中から選んでいると、どうしても偏った志向のものになりがちで、このある程度限られた範囲(それでも相当あります)から選ぶというのが普段は興味がいかないものにも目がいくから楽しいのです。

 

古典、推理小説、近現代史、宗教、民族学、エッセイ、・・・
お陰様でこれまで触れることのなかった広い範囲の本を読むことができました。

日替りセールは毎日三冊、日付が変わった直後、インド時間で午後8時半過ぎに表示され、これを確認する時はワクワクします。
昨日はこの児童虐待を受けて育った人の生き方についての本を買いました。

単行本で1760円、それがKindle日替りセールだと299円です。

 

ここ二ヶ月ぐらい、ほぼ毎日ホームページを更新するように心がけています。
今の変化の乏しい環境の中でそれができるのは、読書によって日々新鮮な情報を頭の中に入れているからです。

特に最近はいろんなジャンルの本を読むことにより、以前より俯瞰的なものの見方が身についたように感じます。

 

読書については、こんなに安く手軽に上質の情報が手に入る手段は他にないので、何かことを為したいのなら、積極的に読書をすべきだという考え方があります。
それに読書は映像情報よりもより能動的に関われることがメリットです。

それに対して本ばかりを読んでいると頭でっかちになるという反対の意見もあります。
特に天才型、感性型の人、イチローや島田紳助などは本をほとんど読まないそうです。

 

これまでたくさんの本を読んできて、すごく心に響くものとそうでないものがありました。
これは当然ながら自分にとってということで、その本の絶対的評価ではありません。

ユーザーレビューで評価の高かった仏教の解説書を先週読みました。
葬儀の際に檀家さんに説法するように仏陀の歩んだ道のりや数々の教えが紹介されていましたが、あまりにもキレイな言葉すぎて、何ひとつ心に残るものがありませんでした。

そうかと思うと半分マンガで解説されたスピ系の本で、生きる上で重要なヒントをいくつももらうことがあり、自分にとって役に立つ本とそうでない本を見定めるのは、今流の言葉で言う“自分探し”の楽しい歩みです。

 

本の価値が自分にとって相対的であるように、読書が役に立つかどうかもまた同じく相対的なものであり、それは自分次第です。

イチローや島田紳助のような天才的感覚に恵まれた人、またそうなりたいと思う人は、読書という間接情報ではなく、自らが体験するものの中からその感覚を養っていくべきでしょう。

けれどそうではない一般的な人間は、いかに読書といい関係を築けるかを考えるのが得策だと考えます。

 

これは本に限らずネットでもセミナーでもそうですが、現代人の多くは情報過多でインプットに偏り過ぎています。
しかもそのほとんどが理解しやすく加工された受動的情報であり、まるで情報メタボになっています。

悪い言葉で言えば、狭い鶏舎に閉じ込められて大量の餌やビタミン剤を強制的に摂らされるブロイラーのようです。

情報の中でもより能動的で自らの頭の中でイメージを組み立てる読書は、今の時代だからこそ情報伝達手段として価値を持つと感じますが、それでもやはり知識を入れる一方では健全ではなく滞ってしまいます。

入れたものは出す、あるいは使う、これが循環という宇宙の大原則です。

 

自分は読書をすることで日々ホームページを更新できると書きましたが、逆もまた真なりで、ホームページを使って思いをアウトプットすることにより、読書をする意義が高まります。

電子書籍は紙の本と同様に、しおりを挟んだりラインマーカーで線を引くことができます。
そしてそれを後日簡単に検索することができ、これは大きなメリットで、これを活かし、大切なことは頭に入れ、自らの知恵として生かしていきたいと考えています。

本を読んでいくと興味はどんどんと広がっていきます。
その思いを適えるためにも、多読と同時に精読を心がけています。

精読とはただじっくりと読むことではなく、それを知恵として昇華させることです。

具体的には、ある本を読んで一年経った後、それが今の自分に何らかの形で生かされているかどうかを問うということです。
これは講演会でもセミナーでも同様です。

なかなかそこまで厳しくはできませんが、この“生かす”ことが読書の本来の目的であることは忘れないよう心がけています。

 

短期的に見て、読書は意識付け、動機付けにも活用でき、ちょっとやる気が減退した時など、明るいテーマの本を手に取ると気持ちが明るくなります。

先日ちょっと失敗したと感じたのは、太宰治の「人間失格」と松本清張の推理小説(殺人事件!)を続けて読み、しばらく暗い気持ちになってしまったことです。

本の気持ちに与える影響は大きいですね。
長い目で見ればこれもひとつの糧ですが・・・。

 

読書の価値は相対的なもの。

いい本と出合えるよう、それをいい出合いにできるよう、読書という旅を続けていきます。

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