新たな時代へ

インドのスコール

ここインド最南端の町では、ほぼ毎日夕方ごろに遠くから雷鳴が鳴り響きます。
実際に雨が降るのは数日に一回程度で、南国の雨は激しく降って短期間で降り止み、とても爽やかです。

インドのスコール

この雨粒とともにウイルスも流れてしまえばいいのに・・・そんなことをいつも思います。
これはきっと日本の人も同じでしょう。

 

世界中がロックダウンや自粛によってステイホームを強いられ、ほとんどの人たちがそれ以前よりも鬱々とした気分で過ごされていることと思います。

先の見えない不安を抱きながら閉ざされた環境に身を置くと、思考が短いサイクルでぐるぐると回り、それによってより不安が増幅され、時にはそれが怒りに変質し、自粛警察のような正義の衣を着た怒りの発露になる場合もあります。

だからこそ長い思考サイクルを保ち、感情を制御できるよう腸を健やかに保つことは大切です。

怒りの感情

普段からこのホームページを見ている方は、
「いつも同じようなことばかり言ってるな・・・」
と感じられるかもしれませんが、真理はすべて生命というひとつのところに通じ、深い真理ほどシンプルで汎用性が高い(広い世界に通じる)ので、『一事が万事』で同じところに還ってきてしまうのです。

 

マスコミはその不安を煽り、衆人の関心を集めようとする性質があり、それが行き過ぎると一種のヒステリック症状のようになります。
さらに言うならば、ひとつの方向に向けて洗脳する装置ともなり得ます。

マスコミは明らかな嘘は“ほとんど”報道しません。
けれど『報道しない自由』を駆使し、真実をねじ曲げようとするのは多くの人の知る事実です。

切り取り報道

真実は事実とは異なります。
上の図で左の人が右の人をナイフで襲っているように見えるのは事実ですが、それは真実ではありません。

インドから日本の報道を見て、3蜜を避け、外出を自粛し、手洗い、除菌を行うことを徹底して報道し、それを真面目に実践できる日本人は素晴らしいと思います。

けれどあまりにもそればかりを日々繰り返し報道することによって、その3蜜を中心とした行動規制こそが武漢肺炎対策のほぼすべてかのように思わせるのは大きな罪だと感じます。

それらが感染拡大を抑えるというのは事実です。
けれどそれのみに意識を集中させ、他の大切なことに目を向ける機会を阻害しては意味がありません。

 

多くの人が興味を持つのは、すぐに理屈と効果が理解できる対処療法的なものです。
なのでマスコミも意図してそれを集中的に報道しますが、それでは本質的な問題解決にはなりません。
特に今のように価値観が大きく変わろうとする過渡的時期はなおさらです。

大きな不安を抱え、狭いループで悪い思考パターンに陥ろうとしている今こそ、その悪しきパターンを生み出すものから抜け出さなければなりません。

そのための最もシンプルな方法はひとつです。
自らの価値観を絶対的なところに置くということです。

絶対的なものとは何なのか。
ひとつは自分自身、その内的なもの、
もうひとつは自然でありそれを取り巻く生命です。

 

これから人類の価値観は大きく変わっていきます。
それに基づいて今人類に与えられたこのウイルス危機をどう乗り越えていくべきなのか、それを「目覚めの時」に短くまとめて書きました。

そこに書いたのは対処療法的なものではなく本質的なことです。
けれど即物的、科学的価値観が頭に染み込んだ多くの人には、この本質的なことの重要性は理解できないのだと思います。

それも致し方ありません。
今は時代の過渡期なので、全員が新たな価値観を理解するにはまだ早すぎます。
今後少しずつ時代が進み、それにつれて理解する人たちが着実に増えてくるでしょう。
自分はそれまで新たな価値観をアウトプットし続けるだけです。

 

「目覚めの時」に書いたことは絶対に間違いありません。
それは書いた人間が絶対的に優れた知性、感性を持っているからではなく、絶対に狂うことのない自然の摂理に基づき、そこから導かれることのみを記しているからです。

つまり変わることのない普遍的真理ということです。

普遍的なものは誰しも尊いと思うでしょう。
けれどそこに魅力や関心を持つかどうかは別問題です。

 

それは宗教を見るとよく分かります。
世界にあまたある宗教は、どの宗教も自らの教えを絶対のものとして説いていますが、そのほとんどの宗教が、それが生まれた時代や気候風土、国民性や歴史を色濃く反映しています。

つまり普遍性を捨てることによって人を引き付け、組織を大きくしていくことができたと言えます。
その中でも禅の教えには深い普遍性を感じますが、禅問答にはほとんどの人が興味を示さず理解もできません。
これはマスコミが多くの人の興味を引くため事実をデフォルメして伝えるのと同じことです。

『上善如水』
最高の真理は水のように澄み切って透明なものであるものの、多くの人はそこに多少の味付けがあり炭酸が含まれている方が『旨い水』と感じるものです。

 

これからの時代、向かっていくのは東洋であり、それが真理です。

これから価値観が転換していきますが、ゼロのものが100になり、100のものがゼロになるのではありません。
あくまでも重点が移行するだけです。

武漢肺炎について言えば、現在の感染予防施策やワクチン開発が不要だと言うのではなく、それとともに、また今後それ以上に東洋の知恵、養生法が大切になってくるであろうことが導けるのです。

そうすると「発症しないための知恵」に書いたように、感染者数よりも患者数、患者よりも感染しながらも発症していない人に対して注目がいくはずです。

日本はなかなかPCR検査が受けられない、また検査数を絞ることで感染者数を低く抑えているのだと批判されますが、それでもなお感染者に対して死亡する人の数が少ないのは驚異的なことです。

まずこのことを報道機関も政府も徹底して解明すべきであり、そこから武漢肺炎に対する様々な知恵が生まれてくるはずです。

 

長い歴史から見ると、今のこの文明転換現象は人類の価値観を新たなものへと導くためのものであり、今回はそれが最終的とも言える巨大なものなので、その乗り切り方をあらかじめヒント、あるいは答えそのものを伝えてもらっています。

人類はいつそのことに気がつくのか。
普遍的なものの大切さをいつ知るのか。

それは人類自身に決定権が与えられています。

 

自分の心の中には『一日も早く』と正直焦る気持ちがありますが、自然の生命と同じく絶対的である己の心を見つめ、ただただその時を待たなければと自分に言い聞かせています。

『新たなる生命の時代』をともに明るい気持ちで迎えましょう。

そのために一歩を踏み出してください。